無鐘寺の鐘

@tnozu

前編

八月のなかばを過ぎた頃、大雨が1週間も降り続いた。

町のいたる所で用水があふれ、何百件もの家が水につかった。


そのせいで、夏休みだというのに、家の中での缶詰状態が続いた。ゲームし放題といえばその通りだが、自由があってからこそ、ゲームも楽しいというもの。

いい加減、気持ちが腐りかけてきた頃に、やっと雨が上がった。


夏の太陽をありがたく迎えながら、僕は近くの寺に自転車を走らせた。


目指す無鐘むしょうは、隣に小さな公園があり、僕ら六年生が遊びの待ち合わせをする所でもある。きっと誰か暇な奴が来ているに違いない。


「ん!」

寺に着いたところで視界に飛び込んできたのは、静かな境内には似つかわしくない大型のトラックだった。フォークリフトと赤土色の大きな塊を積んでいる。


自転車を降りて前に進みと、トラックの前で5、6人の大人が、住職を囲んで話をしていた。


大人たちの後ろで、同じクラスの誠二せいじのぼるが、自転車にまたがったまま立っていた。

「おっ!」

「よっ!」

声をかけあって、「どうしたの?」と僕が聞いたところで、

誠二が「しー」と言って大人たちの方を指さした。誠二と昇は、大人たちの話に聞き耳を立てていたらしい。


・・ ・・ ・・


「確かにあれはこの寺の鐘だが」

トラックに積まれた赤土色の塊を見上げながら、住職がかすれた声で話した。


「…だが、ここは知っての通り無鐘むしょう。江戸時代に、殿様よりその名を名乗るように言われて以来、ここにはないはずのもの」


鐘…

錆だらけになっていたので気づかなかったが、赤土色の塊は、確かに寺の釣り鐘だった。


「この寺の鐘なら、ここにあるのが道理というものでしょう。おかしな事を言ってはいけませんな」

作業衣姿のおじさんが言い、居合わせた大人は皆、そうだとばかりにうなずいた。


住職は、険しい顔をして首を振った。

「この鐘には災いが取り憑いているかもしれぬ。事のよしを話せば、あなた方に災いが降りかかるかも知れない」


「いずれにせよ、鐘の持ち主ははっきりした。住職さんのおっしゃるとおり、災い云々うんぬんと言うのなら、なおさらに寺に置いて供養してもらわんと」

鐘に手を合わせた住職を後目に、おじさんたちは動き始めた。


「作業開始だ」

「子供らはここから離れてな」

僕らは境内の外に追いやられた。

見る間にも、トラックからフォークリフトが降ろされ、ガタガタと音を立てて、鐘は本堂の向こうに運ばれていった。


「あの鐘って?」

僕は隣に立つ二人に聞いた。

「もともとは黒蛇川くろへびがわの底に沈んでいたらしいんだ。それが、今回の大雨の濁流で転がされて下流の浅瀬に打ち上げられたんだ。それを見つけた河川管理組合の人たちが、この寺の空っぽの鐘突き堂を思い出して運んできたんだ」

昇が言った。

「けど、災いだなんて大袈裟だよな。住職はあんな鉄クズを届けられて迷惑だったんじゃないかな」

そう言った誠二が、パチンと手を叩いた。

「おっと忘れてた。黒蛇川といえば、あそこの潜水橋せんすいきょうが、大雨のせいで壊れてしまったそうだ。見に行こうよ」

「それは見物みものだね」

気持ちを切り換えた僕らは、自転車のペダルに置いた足にぐっと力を込めた。


・・ ・・ ・・


「あれはひどいや」

土手から見下ろした橋は、真ん中から切り取られたようになくなっていた。


僕らは自転車を降りて、通行禁止の看板がぶら下がっているロープをくぐった。


土手を下ると、泥だらけになった橋が前に伸びて見えた。橋の両端には、濁流に運ばれてきた枯れ草がワカメのようにへばり付いている。


「やっぱり潜水橋だね。川の水かさが増してた時、濁流の下に沈んでいたんだ」

「多分、上流から流れてきた材木かなんかが激突して、橋は壊れてしまったんだろう」

僕と昇が話している横で、

「ちょっと先まで行ってみよう」

と誠二が歩き始めた。橋のたもとを過ぎても止まろうとしない。


「危険だよ」

と僕は呼びかけようとしたがやめた。怖がっているなんて思われたくはなかったのだ。隣に立っている昇も同じ思いらしい。硬い表情をして誠二の歩みを見ているだけだ。


「少し行くだけならきっと大丈夫だ」

僕は、昇を岸に残して橋を歩き始めた。


コンクリートでできた橋の下、三十センチぐらいの所を黄土色おおうどいろの水がどうどうと流れている。


「このぐらいにしとこうか。さすがにこの先は危険だよ」

誠二に追いついた僕は言った。


あと十メートルほど先で、橋はぶち切れてしまっている。足元のコンクリートは少し揺れているように感じる


「なっ、そうしよう」

と声をかけた僕は息を飲んだ。

誠二は小さく「呼んでる…呼んでるよ…」と言いながら、そのまま止まらずに歩いていったのだ。


「だめだ誠二。止まれ!」


大声で叫んだが、誠二は止まらずに、途切れた橋の先にふいと消えた。すぐに下流に視線を注いだが、流れていく誠二の姿は見えなかった。


「誰か、誰か!」

助けを求める昇の金切り声が響くなか、僕は橋の先にそっと進んだ。きっと誠二はどこかに引っかかっているに違いない。


「誠二!」

幸運なことに、誠二は砕けたコンクリートから飛び出た太い針金に、ベルトで引っかかっていた。下半身を濁流が洗っている。


「大丈夫か」

声をかけたが、誠二は身動きひとつしなかった。

僕は夢中で手を伸ばし、誠二の肩に斜めに掛かっているポシェットの紐をつかんだ。


「うっ、なに…」

全身に鳥肌が立った。


意識を失っている誠二の腰の下に黒いものがまとわりついていたのだ。枯草などではない。ぬらつくボロ布のようなそれは、水の流れに逆らうように、じりじりと誠二の体を登り始めている。


僕は得体の知れないものを見ないように目をつぶり、渾身の力を込め、手にしたポシェットの紐を引っ張った。

「!」

急に手の中の重みがなくなったように感じた。


目を開くと、鼻の先に黒く開いた何者かの口があった。


…ひ・とつかえ  ふ・たつかえ…


その口から くぐもった声とへどろのようなものが吐かれた。


僕の目の前は真っ暗になった。


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