第40話  魔王と聖女の選択 3

 レイラはその日、ラディスと共に西の森を訪れていた。


 シスと森で秘密裏に、元の世界に戻るための法術の最終調整をすることになっていた。


 ラディスは少し不機嫌で、ピリピリしているのが伝わってくる。


 約束の場所にはシスと、その後ろに不貞腐れた顔のマヤがいた。


 レイラは彼女にしては少し元気がないようにも見えた。


 最初は聖女に選ばれたことや、異世界に召喚されチヤホヤされることに喜んでいた彼女だが、力がないとわかってからは教会内で苦労をし、元の世界に戻ることを納得してくれたらしい。


 レイラが考え込んでいると、マヤがじっとこちらを見ていることに気づいた。


「何事もなかったかのように接しているのが理解できないんだけど」


 レイラはあぁとうなずいた。


「悪い噂は、流す人の劣等感の現れただから、気にしないこと。取るに足らない人間を気にするような時間がもったいないからやめなさい。って、会社の上司がいつもいってるから」


 レイラは曖昧に濁さず、はっきりマヤがレイラにとって取るに足らない人間だと言った。


「それ、ひどいんですけど」


「まあ、優しくする必要もないでしょ。実際見ず知らずの人間すべてに優しくできる人間なんていないもの」


「……なんか悟った感じでいやな奴」


 マヤは悪態をついていたが、何とシスが元に戻る方法を調べるとき協力してくれたらしい。


 教会内には異世界から召喚された聖女の日記や手記が残っており、彼女は苦心しながらも解読していったとか。


 異世界から救いを求めて召喚され、聖女ともてはやされた彼女たちの心の内を知るうちに、現実を受け入れるしかなかったのだと通信でシスは言っていた。


 レイラが何度もマヤの成長に感心していると、彼女はレイラの後ろにいるラディスをちらりと見て、顔をよせてきた。


「彼氏と離れ離れになるのに、元の世界に戻るの?」


「彼氏? えぇ!? 違うよ」


「でも……」


 何を勘違いしたか、マヤはレイラとラディスが恋人だと思ったらしい。



 レイラは照れ隠しで、マヤの肩をバシバシとたたく。


 ラディスがマヤの言葉を気にしていないか心配になったが、いつもの無表情で、わずかに眉間にしわが寄っているだけだった。


 レイラたちが話している間に、シスが彼の力を込めた小石を地面に配置し、手をかざすと魔法陣が出現する。


「おぉ、このまま帰れるんじゃない?」


 レイラが明るい声を出すが、シスは首を振る。


「強い法力のある私でも、どれだけ大地のマナを消費するか……試しに中に入ってください。あなたたちのいた世界にパスがつながるか試します」


「わかった」


 レイラとマヤは顔を突き合わせてうなずいた。


 一歩踏み出そうとしたとき、後ろからラディスに手首をつかまれた。


「わっ! 何? どうしたの?」


 驚いて振り返ったレイラを見て、ラディスはすぐに手を引っ込めた。


「……なんでもない」


 少し変だと思いながらも、その日の調整はうまくいき、元に帰るのは、数日後のマナが高まる日ということになった。


   *   *   *


 夜、レイラはベッドの上で、ラディスにマッサージをしていた。


 激務の間の時間に、レイラの瘴気の浄化につきあっていたのだ。


 案の定、体には疲労がたまっていて、心なしか顔色も悪い気がする。


 レイラが帰る前に、少しでも疲れを取って欲しかった。


 香りは王道のラベンダー。


 疲れたときは、これが一番いい。


 リンパを流しながら、特にリンパの滞る場所に圧をかけていく。


 わきの下、デコルテライン、鼠径部、ひざ裏など、大体決まっている。


 ラディスは時々、深く色っぽい溜息をもらす。


「……」


 けれども、いつもと様子が違って、沈黙が続いていた。


「ねえ、今日は声出さないの?」


 冗談を言って、少しからかおうと思ったのだが、ラディスはうつぶせになったまま顔を上げない。


 何か機嫌を損ねることをしてしまっただろうか。


 レイラはラディスの弱いところを重点的に撫でて、親指の腹で圧を加える。


 ラディスの体がピクリと反応した。


 それでも黙ったままだ。


「気持ちよくなかった?」


 顔をのぞきこもうとラディスに顔を近づけて聞いてみるが、ラディスはいつもの少しうるんだ目で、レイラをちらりと見てまたうつむいてしまった。


 レイラはいつも無表情で眉間にしわの寄ったラディスの油断した今の顔が結構好きだったりする。


「ね、何か言ってよ」


 脇腹をつついてくすぐってみると、ラディスはようやくレイラの手をつかんで口を開いた。


「……帰るのだな」


 レイラは驚いた後、うなずいた。


「うん……でも私が帰ったあとも、仕事が忙しいからって無茶したらダメだからね。魔族って体が頑丈な分、体に疲れがたまっていても鈍くて気づかないんだもん」


 レイラの小言にラディスが小さく笑った。


「お前は私を心配しすぎた」


「そういう自信が余計に心配なのよね」


 レイラはマッサージを再開する。


「……あの、本当にありがとう。殺されそうになったときに助けてくれたことも、保護してくれたことも、あなたがいなかったら、私はこの世界で生き残れなかった」


 元の世界に戻ろうと思うレイラの決意は固い。


 けれども、やはりラディスと二度と会えないのはつらかった。


 だから考えないようにしてきたのだが、明日の夜、満月が空に昇るころ、レイラは元の世界に帰る。


 突然、レイラの腕を振り向いたラディスがつかんだ。


 レイラの二の腕に、ラディスの指が食い込む。


「ど、どうしたの? 急に」


「……離れると私の魔力が共有できない。体は年をとりはじめるぞ」


 ラディスの表情は真剣だった。


「それで、ラディスから離れたときに爪が伸びたんだ。気のせいかと思ってた!」


「……怖くないのか?」


「まあ、そりゃ若い方が体も軽いし肌もキレイだと思うんだけどね。でも社長に出会ってから、私もああいう風に一歩一歩、年を取るのも悪くないなって思うようになったから」


 レイラがラディスの手をポンポンとたたくと、ラディスの手の力が少し抜けた。


「私はあの人に出会ってから、昨日の自分より、一歩成長した今日の自分が好きなのよ。それが積み重なると、毎日自分が好きになる。私はあの人のように年を取れれるなら、年をとることも悪くないなって」


 レイラは笑う。これは掛け値なしの本当の気持ちだった。


「そうか……」


 ラディスはレイラの腕から手を放した。


 もしかすると、レイラのマッサージが受けられなくて惜しんでいるのかも。


 レイラは胸の痛みとわずかな喜びに気づかないふりをする。


「自分の芯が……出来上がった人間は、何を言ってもブレないから嫌いだ」


 レイラは声を出して笑った。


 嫌いだなんて、すねた子供のような言い方だった。


「ごめんね。もう、気持ちのいいマッサージをしてあげることはできないけど、元気に長生きしてね」


 そして次の日の夜。月に向かって金色の光が伸びた。


 レイラとマヤは、無事に元の世界へ生還したのだった。

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