第34話 魔王と魔女の関係 1
レイラは夢を見ていた。
幼いころの自分が決意したときの夢だった。
7歳で両親を相次いで亡くしたときは、妹がいた。
嫌だと泣いても両親は帰ってこなかった。
でも養護施設で幼い妹だけが養女として引き取られて独りになったとき、レイラは思ったのだ。
人間は独りで生まれ、両親や様々な人と出会い、別れ、そして最後は誰かに見送られながらも、結局一人で死んでいく。
簡潔に言うと、人は独りで生まれて生きて死んでいく。
独りでいることに平気になろう。
どうせ最期はひとりだ。
そうすれば……。
そうすれば……悲しい思いもツライ気持ちも仕方ないと受け入れて、あきらめられるから。
幼かったころのように、欲しいものをただ欲しいと思って、つかむには、レイラは年をとりすぎた。
大人になって社会にでてから、必死に働くうちに、処世術を身に着けて我慢することが当然になって、欲しいものを簡単にあきらめて、仕方なかったと自分に言い訳をするのがうまくなってしまった。
でもそんなレイラを見て、社長は優しく笑う。
「老婆心から言わせてもらうと、もし、本当に欲しいものだったら、無様でも、誰に何と言われても、なりふりかまわず手を伸ばしなさい。後悔は刻がたてばたつほど色づいて、他では取り返しのつかないほど輝いて見えてしまうのよ」
後悔が光り輝くとは変な言い回しをするものだ。
レイラには社長の言葉が抽象的過ぎたので、自分の中でわかりやすい言葉に置き換えてみる。
「わかりました。つまり気になるお洋服を見つけて、似合わないかもセールになるかも、また次の機会にって先延ばししているうちに売り切れてしまって、後で似たようなものを探しても、最初のお洋服がどんどんいいものに思えて、比較しては違う違うと言って、探し続けて後悔してしまう感じですね!」
社長はかすかに目を見開いて、大笑いをした。
「……そんなに笑わなくても」
レイラは頬を膨らませた。
膨らんだ頬を誰かにつつかれる。
誰かいる?
レイラは驚いて、目を覚ました。
夢うつつで、考え込んでいたようだ。
なんだか温かくていい匂いがする。
レイラは寝返りを打とうとして、体が全く動かないことに気づいた。
体に何かが巻き付いている。
今度こそ、はっきり目を開けると、視界一杯にラディスの端正な顔があった。
「わっ!」
小さな悲鳴を上げそうになるのを、かろうじて口をおさえることで耐える。
レイラはラディスにがっちりと抱きしめられて眠っていたのだ。
しかもすでにラディスは目を覚まして、じっとレイラを見ている。
心臓がどきどきして、身が持たない。
「は、はは離して」
「丸一日、よく眠っていた。体に異常はないか?」
レイラの言葉を無視してラディスは続ける。
「……体は平気そうだけど……今、何時?」
厚いカーテンが引かれているが、隙間から光が全く入らないということは、夜なのだろう。
「夜だ」
灯されたろうそくの淡い光をゆらゆらとあたりを薄っすら照らし出している。
見慣れたラディスの寝室だ。
「無事でよかった」
そういって、もう一度ぎゅっと抱きしめられる。
「あ、ううん。助けに来てくれるって思ってなかったから……その、嬉しかったよ。ありがとう」
これは、あれかな? ペットが無事に戻ってきてくれてよかったのハグだよね?
心臓がバクバクと音を立てていたが、レイラは深呼吸をして何とか気持ちを静める。
ラディスは指でレイラの眉間を指でぐっとおした。
「どんな夢を見ていた? 眉間にしわが寄っていた」
「あっ、……ううん、元の世界の夢をちょっとね……けがは?」
「かすり傷だ。ふさがった」
レイラは頭の中で、いつも眉間にしわを寄せているのはラディスの方だと、突っ込みを入れながら、ラディスの手を取って怪我が本当に治っているか確認した。
「……戻りたいか?」
「元の世界? ……うん。もちろん……」
沈黙が続く。
レイラがラディスの拘束から逃れようと体をひねると、あっさりと解放された。
ラディスはベッドの上に片膝を立てながら、レイラの顔をのぞきこんだ。
「あの神官と、巨大な瘴気の穴を塞いだと報告を受けている」
レイラは肩をさすってうなずいた。ラディスから離れたから、少し肌寒い気がする。
「そうなの。たくさんあって湯殿の水と同じような浄化の水を作ったんだけど大変だった」
ラディスは思案するように、顎に手を当てた。
彼の表情からは何を考えているか全く読み取れなかった。
「あの……ね、瘴気と魔女のこと、詳しく教えてくれる?」
今まで気になってはいたが後回しにしてレイラが聞かなかったことを、聞かなくてはいけない。
レイラは何も考えず癒しの力で役目を果たして、元の世界に帰る気だった。だからこの世界の事情をおざなりにしていた。
立ち去る世界の事情を詳しく知って、情を残したくなかったのだ。
瘴気が何なのか、魔女がどういう理由で瘴気の穴をあけているのか。
ロ・メディ聖教会に迎えに来てくれたラディスの言葉を聞く限り、詳しく知っているのだろう。
レイラの真剣な表情を見て、ラディスはうなずいた。
「瘴気は、大地にたまった穢れだ。魔族や人間、動物や植物の営みの中で負の感情が上回った時に発生して、大地に長い年月をかけて蓄積されていく。これは自然現象といってもいい」
「負の感情って……?」
「怖い、憎い、悲しい、殺したい、許さない……些細なものから激情まで。楽しい、嬉しい、喜びなどの感情を上回った時に、大地がそれを吸い取ってくれている」
「それが瘴気?」
ラディスはうなずく。
日本にも、少し違うが同じような考え方がある。
民俗学で言う「ハレ」「ケ」「ケガレ」だ。
「ケガレ」は葬式や不浄な穢れ、「ハレ」は晴れ着や晴れの日など、清らを意味する晴れ。そして日常の営みは「ケ」のことだ。
「ケ」が破られ「ケガレ」となった時に「ハレ」で元の「ケ」に戻す。
人間はこのサイクルを繰り返しているという考えだ。
今、この世界でレイラがしていることと、共通している点が多い。
「魔女が大地に穴をあけているのは、たまった負の感情の穢れが瘴気となったものを解き放っているんでしょ?」
ラディスはこくりとうなずく。
「魔女たちは500年前、大地に穴をあけて瘴気を解き放つという方法で、瘴気がたまり、枯れつつある大地を救おうとした」
500年前の……魔女たち?
それならば、先日、レイラが西の森であった魔女は、そのときの末裔か何かだろうか。
それとも、レイラのように魔族の眷属になって、長い年月を生きるようになったのだろうか。
聞きたいことはたくさんあったが、レイラが口を開く前に、ラディスはベッドからするりと降りた。
「その前に、見せたいものがある」
ラディスは近くにあった羽織りをレイラの肩にかけると、手を引いて寝室の続き部屋になっている書斎へと手を引いていく。
「私と魔女の関係について説明する」
レイラはラディスに手を引かれたまま、書斎の扉をくぐる。
レイラは緊張のあまり、ラディスの手をぎゅっと握り締めた。
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