第30話 聖女たる人 2

 森の中で瘴気の穴を塞いでいたレイラは、村まで戻るとすぐにシスにお願いして比較的、手のすいている神官たちを集めてもらった。


 馬車まで戻ると、マヤはまだ馬車の端の方で震えていた。


「聖女が助けたってことにしたいから、ちょっとついてきて」


「は? 嫌! ここから出たら服が汚れるし、化け物に襲われる!」


 半狂乱で叫ばれ、レイラは早々にマヤを馬車から引っ張り出すことをあきらめた。


 確かに外は危険だし、平和な日本にいた若いマヤにとって狂暴化した獣は恐怖でしかない。


 服が汚れることを気にする余裕はあるじゃないかと突っ込みたかったが、ここは年長者のレイラが頑張るしかない。


「村外れにあった池を利用しようと思うの」


 神官たちが集まる前に、レイラはシスと共に村外れにある池のほとりに足を運ぶ。


「何をする気ですか?」


 さすがに怪訝そうな顔をしたシスの横で、レイラは池の水に手をつけた。


「この間、杯の中の水に浄化の力を宿したでしょ。前にも湯殿にあるお湯を丸ごと癒しの力の宿るお湯に変えたこともあったから使えると思って」


 レイラは意識を集中させる。


 目を閉じていると、次第に自分の体の中に光があるのが見えてくるような感覚に襲われる。


 池の水が瘴気を浄化する癒しの水になりますように。


 指先がほんのりと小さく光る。


 願うだけで実現する能力というのは、お手軽すぎるような気がして怖いのだが、自分のできることが目の前にあるならば、しないわけにはいかない。


 レイラは目をあけると、シスを見てうなずいた。


「この池の水を手分けして瘴気の穴にまいてみて」


「すべての水に浄化の力を付与したのですか?」


 うなずくレイラに、シスは驚いたようだが、すぐに立ち直って、神官たちに指示を出す。


「あなたは少し休んでください」


「大丈夫。手伝うわ」


 レイラは村から持ち込まれた木製の桶(おけ)に水を汲む。


 森の中に移動しようとして、村の中にリスに似た小動物が走っていることに気づく。


「……まさか、あんな小さな動物まで?」


「どこに行くんですか?」


 レイラが気になってリスのような小動物を追いかけると、それに気づいたシスもついてくる。


 マヤの待つ馬車の近くで、5歳ほどの男の子が小動物に取り囲まれている。


「わーん、おかあさん!」


 幼い男の子は泣くばかりで近くに母親もおらず、大人が助けに入る様子はない。


 小動物が男の子に襲い掛かる。


「わぁぁぁっ」


 レイラは思わず叫びながら小動物と少年の間に走って割り込み、牙を立てる小動物を振り払った。


 腕に傷みが走る。


「シス!」


 レイラが叫ぶと、追いかけてきていたシスが法術で小動物を始末する。


「ビックリした!」


 レイラはバクバクと音を立てる心臓を押さえながら、男の子に近づく。


 大声で泣いている男の子をよしよしと抱きしめながら、レイラは馬車に向かった。


 馬車の窓から一部始終を見ていたマヤが引きつった顔でレイラを見ている。


「開けないでよ! さっきの動物が入ってきらどうするのよ!」


 レイラは黙って男の子をマヤに押し付けると、再び瘴気の穴を塞ぐ手伝いをするために森も戻ろうとした。


「おばさん、聞いてるの!? あんな小さな動物を殺して、かわいそうと思わないの!」


 殺したのはシスだが、元に戻るように浄化できなかったのはレイラの力不足でもある。


「母親とはぐれたみたいだから、馬車の中で保護してあげて」


 泣いている子供のそばにいてあげたい気持ちはあったが、今は事態の収拾が優先だった。


「いやっ! 子供嫌いなんだもん」


 あれもいや、これもいや。


 早く瘴気の穴を塞がないといけないと焦っていたレイラには、彼女を説得する余裕がなくなっていた。


「うるさいな」


 レイラがあきれたように言うと、マヤはぴたりと騒ぐのをやめた。


「なん……」


「聖女の力もない。子供ひとり保護できない。何ひとつ役に立たないくせに、口ばかり達者。子供と一緒に待つこともできないなんて……」


 何か言いかけたマヤの言葉を遮って、レイラが語気を強めて言うと、マヤは目に涙を浮かべた。


 それを見て、レイラは大きくため息をもらした。


「泣いたら誰かが優しい言葉をかけてくれると思ってるの? 泣いても状況は変わらないでしょ!」


 現実は、自ら動かなければ変わらないこともある。


 後から考えると未成年の学生に対してあんまりな言葉だと思ったが、レイラの方も彼女に苛立っていた。


 レイラのスタンスとしては、学生は学生らしく、社会人になってからこういうのはオイオイ現実を受け入れていけばいいと思っている。


 いや……きれいな言葉で飾りすぎてはいけない。

本当は、泣いてもどうにもならない現実に直面して、一度痛い目を見れば、変わるだろうと他人事のように思っていただけだ。


 どうでもいい他人だから、こちらの気持ちを伝える労力ももったいないし、向こうも望んでいない説教などありがた迷惑なだけだろう。


 だから失礼な言葉を投げかけられても、取るに足らない人間のいうことなど、鼻で笑い飛ばせるのだ。


 レイラは余裕のない自分をこれ以上さらけ出さないために、踵を返して森の中へ戻った。


 レイラの癒しの力が宿ったため池の水は、瘴気の穴を塞ぐのに有効で森中に点在していた穴は瞬く間にふさがれた。


 その場にいた神官たちは「聖水」のようだと、聖女の力を絶賛したという。


 というのも、情けないことにレイラは最後の最後で意識を失ってしまったのだ。


 一通りの瘴気の穴を塞ぎ終え、子供の親を探し終えた後、馬車に戻ったレイラを待っていたのは、すっかりいつもの調子を取り戻したマヤだった。


「おばさんは若さに嫉妬して若い子にきつく当たるんでしょ。それで調子よく聖女の役を奪うつもりなんでしょ」


 いったいどんな目にあってきたら、こんな考えになるんだろう。


 レイラは怒りとあきれを通り越して、なんだか疲れてしまい、どうでもよくなってくる。


「あのね、癒しの力でこの村を救ったのはあなたよ」


「え?」


 力を使いすぎたのか、森の中を走り回っていたからか、疲労のあまり頭痛とめまいがしてくる。


 レイラは馬車の中の椅子にぐったりと座り込んだ。


「ロ・メディ聖教会にとって、聖女はあなたのことです」


 シスもレイラの横に座って、マヤをなだめるように言った。


「窓から手を振ってあげて。皆あなたに感謝してるわ。よかったじゃない。これからも隠れているだけで、手柄は全部自分のものになるんだから」


 マヤが馬車の窓から顔をのぞかせると、外にいた村人や神官たちが感謝の言葉を口々に言いだした。


「こ、こんなの嬉しくもなんともないんだけど……人をだますなんて、あんた最低よ!」


 何を言ってもこの反応。宇宙人は異世界人じゃなくて、ここにいたな。


 レイラはぼんやりと考えていると、次第に意識が遠のいていく。


「大丈夫ですか? 顔が真っ青ですよ」


 遠のく意識の中で、シスの言葉が最後に聞こえた。


   *   *   *


 意識を取り戻したとき、レイラは教会に戻る馬車の中だった。


 さすがに心配したのか、シスが神妙な顔をしてレイラをのぞきこんでいる。


「大丈夫ですか? 教会に戻って医者を呼びましょう」


 シスの中性的な美しい顔が陰っている。


 まだ意識がぼんやりとして、はっきりしない。


 全身が疲労感で沈むように重かった。


 レイラは手で目をこすろうとして、ふと小さな違和感に気づく。


 爪が……伸びている?


 それは些細な変化だった。


 爪が短期間で伸びたと気にする人間はいない。


 普通ならば当たり前のことだが、レイラの体はラディスの眷属になって以来、体の成長が止まっている。


 正確には代謝がないので、爪は伸びないのだ。


 ……気のせいかな。


 レイラは疲労で朦朧とする意識を、再び手放した。

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