第29話 聖女たる人 1

 レイラがシスに連れられて、馬車で西の森の近くにある村に到着したとき、人々は混乱のために逃げ回っていた。

 

 表立って聖女はマヤということになっているので、馬車には不貞腐れた表情のマヤもいた。


 最初は警戒して馬車の中で待っているように言っていたシスだが、すぐに悠長なことを言っていられなくなった。


 狂暴化した魔獣や獣が手当たり次第に人や家畜を襲っていたのだ。


 マヤは狂暴化した獣を目の前に、半狂乱になり震えていた。


 ここに召喚されてきてから、神殿の中で手厚く保護されていて外にでたこともなかったらしい。


「戦えるものは、村人を保護しながら狂暴化した獣は必ず仕留めるのです!」


「瘴気の穴のある場所を教えて……癒しの力で浄化するわ。根源をなくさないと、いつまでたっても終わらないでしょ」


「……わかりました。私がついていきます」


「あなたが?」


「私は歴代の神官長の中でもトップクラスの力を持っていますからね」


 険しい顔をしたシスの言葉を聞いて、マヤがシスに縋りついた。


「待って! ひとりにしないで!」


「武装神官が馬車を守っています。ここが一番安全ですよ」


 肩を震わすマヤをなだめるようにシスは言った。


「でも怖いんだけど……」


「じゃあ、シスがここに残って、私は神官の人と一緒に行く」


 レイラはきっぱり言うと、馬車を飛び出した。


「待ってください!」


 シスはマヤを置いて馬車から降りると、連れてきた武装神官たちに指示を出し始めた。


 マヤは大きな声で文句を叫んでいたが、やはり怖いらしく、おとなしく馬車で待つことを選択したようだ。


 レイラとシスは現地の自警団とも合流して、村人の避難と、狂暴化した森の生き物の討伐に当たるそうだ。


 狂暴化したものは元には戻らない。


 シスはその考えを元に、容赦ない指示を出していく。


 瘴気の吹き出す穴は、すでに森の広範囲に広がっているという情報もあった。


 レイラはこぶしを握り締めて、自分のできることを考えていた。


 癒しの力があると言っても、実際に瘴気を浴びて狂暴化した獣に近づくこともできず、数が多いと、たとえ周囲の協力があったとしてもすべてを癒すことは無理だった。


 やはり元凶となっている瘴気の穴をふさぐしかない。


 シスは、現場を武装神官の一人に引き継ぐと、レイラを連れて森に入った。


 レイラは警戒しながら、シスの後に続く。


「……全く、計算外もいいとこです」


 森の中を歩きながら、シスはぼそりとぼやいた。


「計算するから、うまくいかないなんて考えになるのよ。聖職者なら人を助けるのが使命です。とか適当に言っておけばいいのに」


「いい加減な……あなた、本当にかわいげがありませんね」


「それは、こちらのセリフ。知ってるでしょ? もういい歳なんだって。それに自分を殺そうとした人に優しくしてあげるほど寛大でもないのよ」


 シスは初めて、柔和な顔をかすかに歪めた。


「いつまで蒸し返すつもりですか?」


「簡単に許すわけないじゃない。この先、一生警戒してると思うよ」


 レイラは正直に打ち明ける。


「……はぁ、もういいです」


 シスは額に手を当ててため息をつき、何か呪文のような言葉を口にし始める。


「どこまで効果があるかわかりませんが、魔物除けの法術を展開しておいきます」


 レイラとシスの周囲に、金色に光る粒子が舞い散る。


「おぉ、キラキラしてる。もう大丈夫なの?」


「一応、かなり強力な魔物除けですよ」


「へー、ありがとう」


 素直にお礼を言うと、シスはまた、額に手を当てて、長い溜息を洩らした。


「どうしたの?」


「あなたと話していると、調子が狂います。私を許さないんじゃなかったんですか?」


「してもらったことへのお礼は普通言うでしょ」


 シスは、なぜかまたレイラをまじまじと見た後、三度目の長い溜息を洩らした。


 失礼な男だ。


 ラディスと違って、思ったよりも口数が多いし。


 レイラはそう考えて、ふと、ラディスのことを思い出す。


 今まで大丈夫だったから大きな変化はないかもしれないけれど、ちゃんと寝ているだろうか。


 無理をしすぎて、体に変調をきたしていないだろうか。


 ラディスは無口で、あまり思ったことを口にしない。


 シスとしたような気安い言い合いも、ほとんどしたことがなかった。


 言葉がなくても、魔族のラディスがレイラを保護して、心を砕いていたことが今になって身に染みてくる。


 どうしてもっと話をしておかなかったんだろう。


 ラディスの元に戻れたら、たくさん話がしたい。


 なぜかよくわからなかったが、ラディスの低い静かな声が聴きたくなった。


 レイラが物思いにふけりながら、足早に歩いていると、シスが急に止まった。


「報告では、この辺りまで瘴気の穴が広がっているはずです」


 レイラはうなずくと、警戒しながら進む。


 ほどなくして、森の先に小さな瘴気の穴を見つけた。


「えっ? これだけ?」


「小さな瘴気の穴が、村を囲うように数十個確認されています。」


 瘴気の穴から、黒い炎のような形の瘴気が立ち上っている。


 見ているだけで気分の悪くなるような、禍々しい気配。


「危ないから、下がってて」


 レイラはゆっくりと瘴気の穴に近づく。


 意識を集中、瘴気を浄化するように願う。


 聖女の癒しの力で瘴気を浄化していく。


「穴がなくなりました……これで終わりですか?」


「そう」


「地味ですね」


「パフォーマンスじゃないんだから、効果があれば問題ないでしょ」


 レイラは立ち上がる。


「次は?」


「案内します」


 その時、村の方から悲鳴が聞こえてくる。


 シスとレイラは顔を見合わせた。


 全ての瘴気の穴を回るなど、悠長なことを言っていられない。


 レイラは焦りの中で、あることを思い出した。


「村に戻ろう!」


「ですが、まだ瘴気の穴が……」


「いいことを思いついたの! 私を信じて任せて」


「……わかりました。戻りましょう」


 シスが迷ったのはわずかな時間で、不安そうな顔をしながらも、レイラにうなずいた。

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