第14話 つらいほど、その後が気持ちいいそうです 2

 瘴気の穴を目指してしばらく歩いてところで、突然、ラディスが歩みを止めた。


 レイラは馬に酔って未だに頭が回っていなかったが、状況を確認するために顔を上げる。


「着いたの?」


「顔を伏せておけ」


 後頭部に大きなラディスの手が回り、彼の肩口に顔を押さえつけられた。


「な、何?」


 急に視界がふさがれたので、レイラは驚いて動こうとしたが、頭を押さえられたままでピクリとも動かない。


「瘴気を浴びた狼の魔獣の群れだ」


 獣の唸り声が聞こえる。


 それも一匹や二匹の声ではない。


 緊張で身を固くするレイラを抱きかかえたまま、ラディスは開いている方の腕で、襲ってきた狼に攻撃を加えたようだった。


 レイラにもかすかな衝撃が伝わってくる。


 ギャンッギャンッと複数の犬が次々に声を上げ、次にドサッと次々に地面に倒れる音がする。


「殺したの?」


 レイラは恐る恐る顔を上げ、倒れている数匹の大きな狼の魔獣を確認した。


 どの魔獣も血だまりに倒れ、痛々しい悲鳴をだらりとられた舌の口から漏らし、地面をのたうっている。


 しかも狼の魔獣からは先日ラディスから感じた気味の悪い瘴気の気配が立ち昇っているのだ。


「瘴気を浴びた魔獣は、周辺住民を襲う。駆除するしかない」


 声音は淡々としており、表情の浮かんでいない端正な顔からは、何を考えているかうかがい知ることはできなかった。


「おろして……私なら狼を元に戻すことができるのでしょう?」


「……いやもう手遅れだ。それよりもアレを」


 ラディスは少し離れた場所を指さした。

そこには地面に小さな池ほどの黒い穴が開いており、中から炎のようなものが立ち上っていた。


 何アレ……。


 レイラは思わず口を押えた。


 見ているだけで気分が悪くなるような、禍々しい炎だった。


「あれを昨日練習したように聖女の力で浄化すればいいのね」


 ラディスはうなずいた。


「あぁ、だが私が強引に塞ぐこともできる。慣れていないうちは無理をしない方がいい」


 レイラの身を気遣うような言葉に、レイラの方が驚いてしまう。


「ラディスはダメ! 体が丈夫って言っても影響が全くないわけじゃないじゃない」


 昨晩、ラディスの体にまとわりついていた瘴気の気配を思い出して、レイラは身震いをした。


「やってみる。このために来たんだもの」


 地面におろしてもらったレイラは、ふらつく体を叱咤して瘴気の炎が立ち上る穴に近づく。


 レイラのすぐそばにラディスが来て、ふらつくレイラの腰に手を回して支えてくれる。


 数歩、歩いてみたが、恥ずかしながら足に力が入らないので、おとなしくラディスの手を借りることにする。


「ありがとう」


 瘴気の穴のすぐ近くまで来たレイラは、ごくりと生唾を飲み込んだ。


 穴の中は禍々しく底が見えない穴だった。


 見ているだけで恐怖が湧き上がってくる。


 レイラが瘴気を浄化しようと手をかざしたときだった。


 穴から瘴気が噴き出してくる。


「!?」


 驚いて身動きの取れなかったレイラをラディスがかばう。


 瘴気の炎を背中に浴びて、ラディスが顔をゆがめる。


「ラディス!」


「くっ……問題ない。早く浄化を」


 問題ないと言っているが、ラディスの顔色は明らかに悪くなっている。


 ラディスは魔族を率いる王で、強大な魔力を持ち、瘴気の影響を受けない。


 そう説明をされていても、目の前の苦悶に顔をゆがめるラディスを見ていると不安になってくる。


 レイラが来る前は、ラディスが自らの魔力で強引に穴をふさいでいたらしい。


 そして、瘴気の穴をふさぐたびに瘴気を浴びてきた。


 執務だけで体が緊張状態にあるのではなく、瘴気の影響がなかったとは言い切れない。


 つらくないわけじゃないんだ。


 体には瘴気が影のように蓄積していたし、平気と言いながら体はガチガチに凝り固まっていて、頭痛などの不調も現れていた。 


 レイラは唇をかみしめた。


 瘴気を浄化して、ラディスも周辺の獣たちも助けないと!


 目を閉じて、レイラは集中する。


 昨晩、ラディスに教えられた言葉を、頭の中で復唱する。


 リラックスして、体の力を抜く。


 黒い炎のようなもの。あれはラディスの体にまとわりついていた黒い影よりももっと濃厚な瘴気の塊だ。


 気持ちが悪くなる瘴気の気配を感じたまま、癒したいと願う。


 願ったくらいでどうにかなるなら、何度でも願ってあげる。


 レイラはめまいを覚えながらも懸命に願った。


 しばらくすると瘴気の穴は次第に小さくなり、完全にふさがってしまう。


 辺りを見回すと、のたうっていた狼の魔獣もおとなしく横たわっている。


 どうやら狂暴化が収まっているようだった。


 何の手ごたえもなかったので拍子抜けしてしまったが、浄化に成功したようだった。


 ラディスの顔色も心なしか良くなっている。


 レイラはほっと息を吐いて、ラディスの頬に触れた。


「ありがとう……瘴気を浴びてつらかった分、今夜は準備してフルコースでケアするから」


 ラディスがピクリと体を反応させる。


「……あれか?」


 ラディスが眉間にぐっとしわを寄せる。


「? ラディス?」


「先日のマッサージに道具を使うのか?」


 いつにない勢いで肩をつかまれ、レイラは驚いて瞬きを繰り返す。


 道具?


 確か、ロビィに道具を使う説明をしたのだが、それが伝わっているらしい。


 レイラはうなずいた。


 やはりラディスの体は瘴気を浴びてつらい状態にあるのだ。


「体がつらかった分、うんと気持ちよくなるようにしてあげるから」


 ラディスはうなずいた。


「……急いで残りの瘴気の穴も急いで浄化して回ろう」


 ラディスは早口に言うと、急ぐようにレイラを先に促した。


 何だかそわそわとしている気がする。


 酔いもましになっていたレイラは、ラディスに促されて次々と瘴気の吹き出す穴を塞いで回り、夕方には城へと帰ったのだった。

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