秒針が動き出す時、事象の地平線はまた輝く

@Trap_Heinz

秒針が動き出す時、事象の地平線はまた輝く

 一の有を祖とし、二の性を持って神と成し、三本の光を織り、四日目の夜に子を成した。光を素に子は五つの色を持ち、次世代で無の性を授かった。

 そして五つの色はヒトの心、“夢”を抱き六度目の覚醒を待った。


「おはようございます団長!」

「おはよう。どうしたんだい?」

「へへ、良い夢が手に入ったんですよ……。これ、食ってみてくださいよ」

「良いのかい? ありがとう少し頂くよ」

リクムはその団長と呼んできた男が跪き差し出す泡玉の様な物体、“夢”の欠片を受け取り、噛み砕く。噛み砕くとは言っても、その軽い一口で灰の様に脆く消え去ってしまうのだが。

「甘さの後にほろ苦い感覚が舌に残る……“恋”、かな?」

「ご名答。ある女の子が失恋を夢の中で追体験していたので少しばかり頂いちゃいました。全く、人間ってのは面白いですなぁ」

「フフ、君だって“夢境”を出れば普通の人間だろう?」

「でも僕らはここに来る事が出来る、もう普通の人間じゃあ無い」

「まぁ、そうかもね」

 その時、二人のすぐ傍の地面に無作為に置かれてあった時計が、秒針が止まった事に気付く。

「あ、また止まった。なんなんスかね、この時計達」

「さぁ、夢境を創った人間とセンスに訊いてみなくちゃあな」

その地面に置かれてあった時計は、静かに夢境世界と一体となり消えて行った。限りなく広がるこの豊かな緑の地には、無数の時計達があちこちに鎮座し、秒針の音を奏でていた。


 “私”が『ロクム』として目覚めたのは一年程前。普段通りベッドに横になり寝ていたはずだ。『寝ているにも関わらず夢の中で起きている』、明晰夢の様な現象を体験した後、夢境と呼ばれるこの世界へ入る事が出来る様になった。

 私はこの世界の虜となり、人々の夢の味を知って行った。そしてこの夢の中の世界の住人達と手を組み、“夢怪盗団”などと言う大層な名前を掲げた組織を作り上げた。怪盗団とはいう物の、単純に私達は美味しい夢を盗み、時には他の団員とシェアし、至高の夢の味を追い求めるだけの、唯のお遊びグループだ。

 この怪盗団に於ける規律『ザ・ルール』は三つだけだ。

 ・団員の夢は盗まない

 ・現実世界で団員と関わらない

 ・人間を夢境へ入れない

人間、というのは勿論、この夢境世界を知らない、現実世界の一般人の事だ。このルールも誰が創ったのか知らない。誰かが言い出した訳でもなく、皆の暗黙の了解と成っていた言葉を掲げただけである。

 当然夢境世界で団員同士での繋がりも無い。お互いの素性を探らない事も夢境の不文律だ。もしかしたら万に一つの確率で、現実世界で会っているかもしれないがここでは皆、孤独の無であり全である。だから私が掲げた“美味しい夢を探す”というしょうもない提案にも乗ってくれているのだ。そう、皆なぜ夢境という物が存在し、この空間を他人と共有しているのか、その存在意義が、使い道が分からないのだ。


 私はベッドの上で目を覚ました。しまった、夢境に長居しすぎた。とても疲れている。科学的な事はよく分からないが、夢境に居る間も普通に活動し、他人の夢に侵入し、団員達とコミュニケーションを取っている。つまり脳は動き続けている訳である。夢境や夢の中を動き回っても肉体的疲労は全く感じないが、睡眠不足になるのは当然の事なのである。

 身体を起こすと棚に飾ってある一つの小さな起き時計が目に入る。深い緑のフレームに、黒猫があしらわれた黄色み掛かったの文字板が可愛らしい時計だ。とはいっても既に、遥か昔に単三電池は切れ時計としての役目は果たしていないのだが。映画か何かの影響か、一時期起き時計を買い集めるのがマイブームだった事があり、今も無数の動いている時計と動いていない時計がこの狭い部屋に混在している。少し夢境の世界の様だ、とも思った。

 おい、新しい一週間が始まる。今日は月曜日だ。自分にそう言い聞かせ、纏わりつく布団から漸く抜け出した。


 二十五年間、私はあまりに普通の人間として生きてきた。普通の家庭に生まれ、普通の学校に入って、普通に友達を作って、普通に働いている。

 あまりに何もない人生。それが贅沢と言われるのかもしれないが、面白味の無い、真っ平らな人生だ。だがそれに不満がある訳では無い。今の生活にも人間関係にも満足している。だが、夢境という私が願ってもいなかった“異変”が、私を突き動かし始めた。


 今日もまた私は夢境の地へ来ていた。つい二・三ヶ月前に体得したのだが、寝る時に夢境に行くか、そのまま眠りにつくのかを自分で意識して選べる様になっていた。以前までは横になると必ず夢境の地へ入ってしまっていたのだが、その頃はこの異常現象に、文字通り夢中になり毎日入り浸っても疲れなかった。だがおかしなもので、人間は不自然な程何事にも慣れてしまう。最近では偶に行って少し遊ぶ位で良いと思い普通に寝る事も多くなった。普通に夢を見る。普通の人の様に。……私はもう普通の人では無いのだろうか? 先日団員が云っていた言葉が脳裏に蘇る。

 ここに居る人間達は名前を与えられている。誰が与えているのかは分からない、だが気付けばその名前を自覚しているのである。子が親に名前を付けてもらい、それを受け入れている様に。私はロクム、と名付けられた。だが微妙に呼び辛いので『リクム』と自称し、周りもそう呼んでいる。

 夢境に入ってくると、いつも決まって巨大樹の周辺に私は存在している。他の皆んなもその様だ。この木の幹には何故か動いていない時計が一つ埋め込まれており(飲み込んだのか? いずれにしろこの時計は他の時計の様に消えないのは何故だろう?)、幹の先は巨大な五つの枝に分かれ存在感を示し聳えている。まるで自分が夢境の世界樹だ、とでも言っているかの様に。

 この世界に果てがあるのかも分からない。いくら疲れないからと言っても延々と歩き続けるのは無理だ。いつか現実世界の自分が目を覚まし、強制的にこの場を離れてしまう。そして再び夢境に戻ってくれば巨大樹の近くにまた私は生まれるのだ。私達と同じ様に夢境に入ってきている人間が他にいるのかも分からない。そもそもここに入ってきている人間の数すらも分からない、ただただ漠然とこの空間は存在しているのだ。

 私は今日もある人の夢へ飛び込もうとしていた。いつも甘い夢をもたらしてくれる彼女の元へ。


 彼女はある女性に恋をしていた。だがその相手は空想上のキャラクターに過ぎない。彼女はそのキャラクターとの恋を毎日夢見ているのだ。同じ人間として少し悲しい様な、寂しい気持ちにもさせられるが、純粋な狂気とも言える一方通行で終わりのない恋は無尽蔵に甘い夢を私へ生成してくれる。

 だが、今日の彼女は違った。

「やっぱり、私から何かしないと、貴方は何も、話しかけてすらもしてくれないんですね」

真っ白な空間で、その二人は木製の肘掛け付きの椅子に座り対面している。二人の膝と膝は十センチメートルも離れていない。その“キャラクター”は不敵で自然な笑顔のまま目の前の彼女を見つめている。美しい白い肌を持つ女は腰ほどまでありそうな長い青髪を後ろで一つに束ね、瞼を黄と青で彩り、深い青い瞳は相手を虜にさせる。

「そんな事はないよ」

優しくその言葉へ反論する。低く、落ち着いた声だ。だが当の相手の女は失望し頭を抱え項垂れている。ぎしり、と彼女の椅子が泣く音が響く。

 無言の時間。その光景を傍観している私は、何とも居づらい重い空気に段々と押しつぶされそうになっていた。まるで私を認識して、この夢から私を追い出そうとしてる様にも取れる。このキャラクターも何か言ってやれよ、と私は心内で思う。そっと、その彼女の頭でも撫でてやって、また甘い蜜の様な夢を私にもたらしてくれよ、とも思いながら私は右手を前に翳す。

 その瞬間、私の視点が切り替わる。私は一瞬呆気に取られた。私が彼女の目の前に座っているのだ。だが私はそっと右手を差し出し、突き出している彼女の頭頂部を優しく撫でてやっている。

「え……」

彼女は輝く涙を落としながら顔を上げ、私の目を見つめてくる。

「ご、ごめんね……?」

私は若干語尾が上がってしまい疑問系の様な言葉を投げかけてしまう。その瞬間、彼女の感情を堰き止めていた壁が決壊したかの様に泣き出してしまった。私は優しく彼女を抱きしめ落ち着くのを待った。

「大好きです、団長……」


「うわ……予想通り、いやそれ以上にしょっぱさが勝ってるなコレ……」

私はその『私が作ってしまった』夢を一口食べ愚痴をこぼす。

「どうしたんですか団長?」

「あぁ、いや。私が甘そうな夢と見誤ってしょっぱい夢を奪(と)ってしまったんだ」

徐にその夢の破片を話しかけてきた彼に手渡す。

「あぁ、確かに涙の味だ。でもどこか甘さも残ってる……。この夢の持ち主、相当想いが強そうですねぇ」

「ああ、いつもの甘い想いかと思って夢に入ったんだがな」

「……団長、一人の夢に固執してるんですか?」

「いや、本当いつも甘い夢をくれるから、今日も甘いのを摂ろうかなと思っただけで……」

「へぇ〜」

その男はニヤけながら私を見つめてくる。

「団長だからって、油断しちゃダメですよ。『ルール』は絶対ですから」


 目が覚め、ベッドの上で放心状態と成っていた。なんという事だ。私は彼女に干渉して、夢を作らせてしまった。夢を変えてしまった。『夢を作り変える能力』これは他の夢境の人間達も使えるのか? 使っているのか? 本能的にこの話を他言する事は危険だと判断した。だがこの能力は、使ってはいけないような気がする。だが、夢の中で彼女に見つめられた時の顔が脳裏を離れない。「大好き」という言葉は私であって私ではない、キャラクターの彼女へ向けて放たれた言葉なのだから。そうとは分かっている。私は頭を抱えた。


 またしても夢境の世界。私は足繁く彼女の夢へ侵入した。そして私はそのキャラクターを演じて、彼女から甘い夢を奪い続けた。

「おはよう。今日は何をしようか?」

嬉しそうな彼女の顔を見て、私は何故か嬉しく感じてしまっていた。今日はゲームをしよう、今日はお菓子を作ろう、明日は映画を観よう、明後日は……。

 私もまた、彼女を夢見ていた。私は卑怯者だ、この能力を使って他人に成り代わり、相手の好意を浪費させている。最低だ。

 私は彼女に恋してしまったのだ。



 私が夢を“偽造”する様に成ってから、どれほどの時間が流れただろうか。いつもの夢の世界。私は今日もまた彼女に依存しようと企んでいた。だがその時であった、巨大樹の遥か上空で眩い光が起こる。唯の爆発ではない。

「なんだ!?」「皆んな夢境から出ろ!」「クソ! 良い夢見てたのによォ!」

空を見上げながら口々に団員達は叫び、そそくさと夢境の世界を後にしてしまった。私はその光が発生していた空を見上げたまま放心していた。罰が、この世界の神の様な奴に罰でも下されるのだろうか。私は何故かそれを受け入れ、寧ろ罰して欲しいとすらも思っていた。

「……あのぉ〜」

突然、後ろから声を掛けられ振り返る。

「ここ、どこですか?」

ふわっとしたその声の持ち主は、美しい金髪を後ろで二つに束ね、美しい青い瞳が光っていた。私は一瞬その宝石の様な瞳に見惚れてしまう。

「えっ?」

「ここ、どこですか?」

「初めてここに来たの?」

「うん、だから訊いてるんやけど?」

「あ、あぁ。久しぶりだ新しくここに来た人を見たのは。ええと、ここは夢の中の世界、夢境って言うらしくて」

「らしくて……?」

「そう、誰もこの世界が何なのか分からないんだ」

「そうなんやぁ〜……。ここで何してるん?」

彼女のまるで海外のモデルの様な見た目とは裏腹な関西弁のイントネーションが違和感を生む。そもそもこの世界で関西弁の人に会ったのも初めてかもしれない。

「何って……。説明が難しいんだけど、この世界に来ると他人の夢が見られるようになるんだ。そして私達はその夢を食べて、味見する遊びをしてる。それ位しかこの世界ではする事が無いんだ」

「はぁ〜」

分かった様な分かってない様な答えを返してくる。

「ウチは六星(ロクボシ)・リリー。貴方は?」

「私はリクム」

「はぁ」

またよく分からない声を発して答えてくる。

「ウチな〜、色んな世界を見てきてん。五番目の星では、時計を抱き抱えて永遠に泣き続けるヒトを見たわ」

「え?」

急に何を言っているんだこの女は。私は隠せずその怪訝な表情を向けてしまう。

「だからここは六番目の星、世界なんよ」

「えぇと、つまり……?」

「この星は誰が作ったんやろなぁ。まぁ面白そうやし、また来るねリクムン」

そう言い残し、彼女は消えて行った。一体何者なんだ彼女は。私は考えるのを止め、誰も居なくなってしまった夢境で宙に浮かぶ夢達を眺めた。そしていつもの彼女の夢へ飛び込んでしまった。


「おはよう。今日は何をしようか」

私は優雅に彼女へ問いかける。

「おはようございます、団長」

彼女の朗らかな笑顔が私を救い、同時に罪悪感を刻みつける。

 私達は様々な花が一面に咲き誇る緩やかな丘をただただ歩き続けた。

「ねぇ団長?」

「? 何?」

「私の事、好き?」

丘の頂上に着き、彼女は真剣な眼差しで言った。私は躊躇った。私は君が好きだ。気持ちの良い風が花びらを乗せ私達の間を通り抜ける。

「もちろん、好きだよ」

私は余裕ぶった言葉を返しをした。

「もーそうやって他の人にもそう言ってるんでしょー!」

違う、私は本気で君の事が……。彼女は真剣な顔を止め控えめに笑った。そのいじらしい表情が益々愛おしかった。気付いたら私は彼女の唇に口を付けてしまっていた。

 彼女が私を突き飛ばす。「なっ……」同時によろめいた彼女は地面に尻餅をつき、唇を抑えている。

「ゴメン……。大丈夫?」

私は右手を差し出す。その右手を左手で取り身体を起こす。

「ごめんなさい」

そう言い残し、彼女は夢の世界から消えてしまった。私はたまらなく膝から泣き崩れ、地面の花を押し潰してしまう。


 川辺の公園。現実世界の、だ。少し曇りが掛かる肌寒い日。テニスコートやバスケットコート、簡易的なアスレチックが設けられているどこにでもあるような公園。一本の木の下にあるベンチに座り、コンビニで買った紅茶を傍に置いた。私は黄色い表紙が眩しいこのサスペンス小説の続きを読み始めた。川のせせらぎと、遊具で遊ぶ子供達の笑い声が心地よい。私の様な最低な人間には全く似合わない空間だ。

 強い風が吹き、運んできた花びらと共に私の本のページを荒く捲る。巻末に挟んでいた栞が落ち、飛ばされていく。

「とぉッ!」

一人の少女が優雅にジャンプし、その栞を空中で見事にキャッチする。

「はい、コレ」

彼女の美しい白い左手が青い栞を差し出してくる。右手に持った白い日傘をひょいと上げ、その青い瞳をこちらへ覗かせる。

あ、と思った。その時再び風が吹き私は目を一瞬瞑る。

「ん、リリ……」

たしかそんな名前だった。夢境で会ったあの女だ。

「みりり? ちゃうよ、ウチはリリー」

「え?」

私は再び彼女に向き直り、顔を見上げた。美しい顔立ちだ。夢境で会った時と全く変わりない。

「別の女の名前〜?」

彼女は少しワザとらしく拗ねた口をした。

「いや、リリーって言う前に風が目に当たって、んって言ってしまっただけで……」

「どういうこと?」

なんだこの噛み合わない会話は。そうだ、彼女に『ルール』について言っておかなければ。

「リリーさん。夢境の人間は、現実世界では関わっちゃいけないんだ」

「あぁ、『ルール』な。知ってる知ってる」

「え、あっそう……」

団員の誰かから聞いたのだろう、私は勝手に納得した。

「でも、ウチがここに来たのは偶然やし、仕方ないやろ?」

「まぁ、そうだけど……」

「何してんの? 一人で現実逃避しながら読書〜?」

オブラートに包む、等という言葉は彼女の辞書には無いのだろう。

「いいでしょ、別に……」

「現実じゃなくて、夢境の方が居心地良いんでしょ?」

私は彼女の言葉を無視しベンチに座り直す。そして閉ざされてしまったページを開き直す。確か二一九ページだった筈だ……。

「あんまり深入りしすぎちゃダメだよ、夢怪盗さん」

私の左耳で彼女が突然囁き、全身の鳥肌が立つ。

「ちょっと! いきなり変な事……」

思わず立ち上がりながら言う。だが左を見てもそこに彼女は居なかった。

「んふ、結構可愛い反応するんや! じゃあね〜」

いつの間に移動したのか、二十メートル程後方で彼女が手を振っていた。その時、再び強い風が吹き、目を細める。彼女が立っていた場所を再び振り返って見ても、どこにも彼女の陰は無かった。


「あら、おはよう。ん? こんばんは?」

夢境に来ると、リリーが私を巨大樹の前で出迎えた。

「あぁ、おはよう……」

なんだか苦手だ、この女。

「そんな露骨に嫌な顔せんでーや! ウチはリクムンの事、結構好きやで」

そう恥ずかしげも無く彼女は笑顔で言ってみせる。

「私の何を知って……」

一瞬で私は自己嫌悪に走る。

「何も知らんよ? でも、一目惚れってあるやろ?」

「は……?」

何も返す言葉が見つからず相手の目線を逸らす。

「ま、彼女と仲良くしいや。じゃあね〜」

そう言い残し、彼女は夢境から消えた。棘のある言い方だ。

 彼女、とは勿論私が入り浸っていた夢の彼女の事だろう。その彼女は、最近夢を見ていない。だから逢う事も出来ていない。私の自分勝手な行動の所為で、彼女を傷つけた。どう贖えば良いのだろう。

 この夢境の世界。巨大樹の近くを流れる小川に沿って歩く。源流の方向と思われる山の方へ。穏やかで、気持ちの良い世界だ。夢境で一度でも雨が降ったり、天候が崩れた日があっただろうか? 少なくとも私がここに来たタイミングでそういう事は一度もなかった。現実世界よりも遥かに居心地の良い、静かで、豊かな空間だ。アイツの言う通りだ、とも思う。常に春の様な心地よい日差しと、鼻腔をくすぐる植物と土と空気の匂い。この夢の世界で私は確かにこれらを感じている。

 不意に涙が零れ落ちてくる。彼女に会いたい。名前も知らない彼女。嗚咽を抑えられない。甘い夢を味わいたいのでは無い、『私が夢を見ていたい』のだ。彼女に私の心を伝えられたらどれだけ楽だろう。同時に私は自分自身がこれ程までにエゴが強い人間なのだと初めて感じた。自分で自分を別人に思いたい程、嫌いになる程。

 夢境に来てからの私はヘンだ。今までこんなに他人を欲した事も、自分のエゴを突き通そう等と思った事もした事も無いのに。他人の夢を覗く事が出来る。更に夢の内容を改変してしまう事も出来る私に与えられた能力。それが私を増長させているのだろうか。涙を雑に拭いながら私は自分自身を診断した。

 その時、目の前に一つ新しい夢が生まれる。“彼女の”夢だ! 私の心は煌めいた。もう二度と会えなくても良い。出来る事なら彼女に謝ろう、私の罪を洗いざらい話してしまおう。これは自己満足だ。だがそう思いながらも宙に浮かぶ夢へダイブした。


「やっぱり来ましたね、団長」

「おはよう……。この前は、ごめん」

「良いんです、分かっていたんです。貴方が私の想っていた団長では無いと」

「え……」

「貴方は誰?」

「私は……リクム。夢の世界の住人なんだ」

「リクム。私はアイよ。どうして私の夢の中に?」

「アイ……。私達夢の住人は、他人の夢を見て食べる事が出来る。君が見ていた夢はその……とても美味しくて、よく貰いに来ていたんだ」

「まぁ、悪い人ね」

「ごめん……」

「まぁ許すわ。それで、何で私の団長に成り代わっていたの?」

「……最初は美味しい夢を作りたくて演じてしまった。でも、段々と君の事を……私の方が好きになってしまっていたんだ」

「……そう」

嘗て見た様な真っ白な空間で二人は向かい合って木製の椅子に座っている。

「ねぇ、私をその夢の世界へ連れて行って?」

「ごめん、それは出来ないんだ……」

「他人の夢には土足で上がってくる癖に、そんな事は出来ないなんて言うのね」

「ルール、なんだ……」

「私への贖罪と思って、連れて行きなさい。これは命令形」

いつも見ない彼女の強い語彙に圧倒される。身じろぎし、彼女の視線をかわす。

「ねぇ」

彼女は立ち上がり、私の顎を持って顔を近づけてきた。甘い。恋って、こんな味なのだろうか。


 私はルールを犯した。団長、という名前だけではあるがトップに立つ人間が。

 巨大樹から遠く離れた川のほとり。小さな滝が心地よい音を紡いでいる私のお気に入りの場所へ彼女を降ろした。

「わぁ〜……。何と言うか、意外と普通な場所ね」

「まぁ……」

宙を舞っている夢達に彼女は見惚れている。

「これが、他人の夢?」

「そう」

そう言いながら、私はその夢の一部をもぎ取り口にした。黄色い雰囲気、甘酸っぱい味が一瞬して消える。

「わぁ……!」

私に倣い彼女も夢を手に取ろうとするが、まるで煙を掴む様に触れても掴む事は出来ない。

「やっぱり私には無理なのね。この世界には入れるのに」

「本当に、よく分からない世界なんだ」

「ねぇ」

「なに?」

「貴方は現実世界で生きてる人間でもあるんでしょ?」

「そうだよ」

「いつか会いたい」

「え」

「あんたの本当の顔をいつか拝んでやりたいわ。私の愛する人に成り代わった変態に」

「それは……」

その時、地面に転がっていた一つの時計が秒針を止める。

「あ……」

理由があって声を発した訳ではない。ただその現象に気付き声が漏れただけであった。

 目の前に居た彼女が力なくぱたりと地面に突っ伏す。

「お、おい……」

彼女の傍にしゃがみ込み、彼女に触れる。一瞬で冷たくなった身体に血は通っていなく、息もしていない。

「アイ! アイ……!」

彼女の身体を乱暴に揺らし起こそうと必死になる。

「ダメだよ、リクムン。そんな事しちゃあ……」

背後から声がする。

「リリぃ……」

その瞬間、リクムの左手首に光の矢が突き刺さる。

「ルールを自分で破っちゃうなんて、意外とバカなのね。それとも“恋は盲目”?」

「いってェ……。お前がやったのか……?」

怒りに似た感情が湧き起こる。リリーが左手を前に掲げ、その指先に光の矢が浮かんでいる。

「そうよ。そしてルールを破った貴方にも勿論、罰が下るわ」

「私はどうなったって良い! だが彼女は、彼女だけは戻してやってくれ! 全部私の所為なんだ!」

リリーに懇願し、彼女の足元に駆け寄りしがみ付く。

「ダ〜メ♡」

彼女はニヤリと笑い、リクムを見下す。



 私は裁定者。この宇宙のルール。だが決して神の手足となって働いている訳ではない。私はこの宇宙に転がる数多の星世界に存在する“ルール”を守る者。それぞれの世界のルールに則って私は私の力を行使する。

 この前の世界は何とも面白く無いモノだった。真っ暗な空間でただただ泣き続ける“五蘊”と名付けられたヒトらしき者が存在しているだけの世界。小さな時計を胸に抱え、自分の髪色を自分の涙で染めてしまう、哀れな存在であった。私は特にする事も無かったので、早々に次の世界へ行ってしまおうと思っていた。だが彼は進化した。彼が持っていなかった“夢”を自ら生み出し、次の世界の礎を創り始めてしまったのだ。私はその瞬間この世界から弾き出されてしまった。この次に出来た世界を私はまだ見ていない。どんな世界を“彼女”は作ったのだろうか。また会いたいな。



 世界樹の幹の中腹にリクムは両手両足を光の矢で打ち付けられ、緩やかに死を待っていた。

「リクムン。貴方の事もっと知りたかったなぁ……」

リリーは身体を浮かせリクムに近付き接吻するが、当のリクムは力なく項垂れるだけで何も反応しない。その無惨な姿は、前に見た五蘊の姿に少し重なる部分があった。

「じゃあね、リクム。この世界のルールを行使するわ」

リリーが右手を差し出すと、光の矢が生成される。そして軽く手を振りかざすと矢はリクムの左胸部を貫通する。

 その瞬間、夢境世界は真っ黒な雲に覆われ、真っ黒な雨が降り始める。

「な、何……!?」

リリーは地面に降り立ち空を見上げたじろぐ。そして気付く。

「六つ目の夢、六夢(ロクム)!? まさか……なんでそんな簡単な事に気が付かなかったんだ私は……」

世界樹はリクムから永遠に流れ出る真っ赤な血の色に染まっていた。世界樹に埋め込まれた時計の針が高速で逆方向に空転している。彼女の骸を見上げながらリリーは悟る。そしてその事実に膝から崩れ落ちる。

「貴方が五蘊の生まれ変わりだったのね……。これでは、このままでは私が七つ目の世界『七星(テラ)』と成ってしまうわね……」

どうしようもなく、リリーは笑い出してしまう。

「ハハ……。私が六番目の世界に来たのも、全て仕組まれていた事だったのね」

五蘊め、そう心の中で呟いた。

「皮肉ね。彼が望んだ世界を繋ぐ線と、現実に干渉出来る身体を手に入れていたのに、貴方はそれに気付けなかった。私自身も」

この夢境世界が収縮し、消滅を始めている事に気付く。

「私を伝令にでもしたつもりだったのかしら。でも私は世界を、宇宙を旅する小さなお姫様よ。七番目になんてなりたくないわ」

真っ赤な血と、真っ黒な雨が混ざり合った水溜まりを踏みながら、リクムを見上げる。そして光の矢を収め、力なく落ちてくる彼女の身体を受け止める。

「それでも私を七にするなら、一の有、また宇宙の始めの爆発を起こしてみせるわ」

彼女の身体を地面に寝かせ、彼女の髪を撫でる。

「次の世界ではもっと楽しい事しましょう、リクム」


 そして世界は再び真っ黒な空間、無と夢の間へ戻った。


×  ×  ×


「おなかすいたなぁ……」

真っ暗な空間を、一人の少女が彷徨っていた。ボロボロの身体に、力は僅かしか残っていない。

 私は確かに『世界を移動する力』を振り絞った筈なのに、この無の空間に放り出されるとは。なんと運がない。あと一歩で魔王の座に鎮座する事だって出来たのに……。本当に運がないんだ私には。

 その時、遥か遠くで一つの光が生まれる。その閃光が起きた後、新たな世界が創られ始めた事に気付く。来た……! この最後の最後に、運は私、ルルン・ルルリカに味方したのだ! 残された力を振り絞り、その光の元へ近づく。


 そこには二人の女が居た。美しい青髪を持つ女と、美しい金髪を持つ女。二人は手を取り合い、宙を舞いながら世界を眺めている。宙を揺蕩う二人の髪は溶け合う様に混ざり合い、世界の色と成っていった。

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