魔王、泣きつく。
事の発端は二カ月前に遡る―――――。
人間界の調査を担っている"監視局"にて、横領事件が発生。
そこから局長の5股不倫、雇用におけるゴブリン差別問題、圧迫面接、パワハラ、魔王軍幹部の人間界での豪遊などが芋づる式に発覚する。
また、副局長が「角っ娘より獣耳娘が調教しやすい」という問題発言が日夜取り沙汰された結果、ついに腐敗しきった監視局上層部は一新される運びとなった。
だがこれで終わりと思いきや、今度は一線を画す不祥事が発覚する。
それが、”勇者が千年ぶりに誕生していた”という事実を秘匿していた事だった。
「ぐへへ……よかったなぁ。付き合うフリから始まる恋………もう可愛すぎる」
そして、そんな不祥事など露程も知らない新魔王"ヴェルナティカ"は、朝から宮殿の図書室に引き籠り、魔王らしからぬ腑抜けっ面で恋愛小説を読み漁っていた。
「さーて次は、何を読もうかなー」
玉座にだらしなく腰掛けながら、テーブルに積まれた本の山を鼻歌交じりに物色するヴェルナ。燃えるような茜色の髪は寝癖が残っており、琥珀色の瞳の下には若干クマができている所から、彼女が怠惰な生活を送っていることは明白である。
「三角関係のやつもいいけど……異種族モノも捨てがたい……うむ、これにしよう!」
そう彼女が次の本を手に取った、そんな時だった。
「ヴェルナティカ様。レーネ様がお見えです」
近衛兵が扉越しにレーネの来訪を伝える。ヴェルナはその声に、新たな恋愛小説を手に取りながら「通せ」と返す。ほどなくして扉が開き、重苦しいローブに身を包んだ小柄な銀髪の少女が一礼して入ってきた。
「ヴェルナ様、お伝えしたいことがございます」
「えー、どしたの~?」
レーネには目もくれず、腑抜け面でページをめくるヴェルナ。そんな彼女に冷ややかな蒼い瞳を向けた彼女は、
「それでは申し上げます……落ち着いて聞いて下さい」
そう前置きしたレーネは、極めて冷静かつ簡潔にこう口にした。
「人間界で、勇者の存在が確認されました」
「へぇーそうなんだー」
「……驚かれないのですね。勇者など脅威ですらないと……流石はヴェルナ様、歴代最年少で王座を継がれただけはありますね」
「そうね、勇者なんか脅威じゃ……………………んえ?」
ヴェルナはページをめくる手をピタリと止め、ポカンとした表情を浮かべる。
「どうされました?」
「今、勇者が出たとか何とか言った?」
「はい。人間界で”勇者の存在が確認された”と申しました」
そう強調した彼女の言葉に、ようやくレーネに目を向けたヴェルナ。彼女はしばらく硬直した後、ハッと何かに気づいた様子を見せる。そして、
「なるほど、そういうことか!」
「はい……?」
彼女は魂の抜けたような顔から一転、何かを看破したと言いたげな顔で足組みする。
「レーネよ。そんな演技で私を騙せると思ったのか?」
「は?」
「必死さが足りないよ君ぃ。ドッキリ仕掛けるなら、もっと焦ったり涙目で縋り付くぐらいしないとさぁ……」
そう腕組みしながら、まるで権威ある演出家の如く助言するヴェルナ。そんな彼女の様子を見たレーネは、心底呆れた顔でため息をつくと、
「…………一体何を勘違いされているかは存じませんが、これは冗談でもドッキリでもありませんよ」
「またまたー、往生際が悪いぞレーネちゃん?」
えいえい、と彼女の白い頬をぷにぷにと突っつくヴェルナ。一方レーネは無表情に青筋を立てるという器用な芸をみせながら、
「ならば外をご覧下さい」
そう言って、ぶかぶかのローブに隠れた手をベランダの方へ向けた。
「ほう……外にまで仕掛けが。やけに手が込んでいるな」
ヴェルナはくっくっく、と愉快そうに笑うと、レーネに連れられバルコニーに繋がる扉へと向かった。
「もーしょうがないなぁ。何を仕掛けたのかは知らんが見てやろう。他ならぬ、可愛い側近の頑張りをな」
ヴェルナはまるで子供でも扱うかのような表情を浮かべ、レーネの頭をよしよしとなでる。
「えぇ。そして是非頭の中にある"お花畑"を焼け野原にしてもらえると助かります」
「ん……どういう意味だ?」
キョトンとした表情を浮かべるヴェルナを尻目に、レーネはヴェルナの手を引いて、バルコニーへの扉を開いた。その瞬間だった。
『『ヴェルナティカ様に勝利を!!!』』
『『ヴェルナティカ様に勝利を!!!』』
『『ヴェルナティカ様に勝利を!!!』』
外気が流れ込んでくると同時、二人は圧倒的な声援の濁流に飲まれた。バルコニーへ出たヴェルナは、耳を塞ぎながら屋外を見渡す。
「な、何事だ……!? ば、万歳!?」
どうやらソレは宮殿近くの広場から発せられており、そこには大量の魔王軍兵士や魔獣兵器が隊列を組んで集結していた。
『『頑張れヴェルナティカ様!!!』』
『『負けるなヴェルナティカ様!!!』』
『『強いぞヴェルナティカ様!!!』』
『『可憐な我らのヴェルナティカ様!!!』』
「なな、ななんだあのこっ恥ずかしい声援は!」
「………想像以上にやかましいので遮音しますね」
顔を顰めたレーネは、人差し指を口に付けて何かを唱える。瞬間、二人の周囲から騒音が消え去り、図書室の中と同様の静けさを取り戻した。
「図書室に組み込まれた魔術と同様のものを使用しました」
「おお、助かったぞ……一体なんなんだ、あの集まりは?」
「あれは近衛隊と義勇軍、そして先王陛下が残された部隊のようですね」
「一体なぜあんなことを?」
「恐らく、1000年ぶりの勇者出現によって低下した士気を高めているのでしょう。でも本当の所は、ヴェルナ様を愛してやまない連中が勝手に集まっているだけかと。マジでキモいくらい愛されてますね」
風で靡く銀の髪を抑えながら、レーネは蔑んだように広場を見下ろす。
「いやそうではない、そもそもどうやってアレを準備したんだ?」
「あのロリコン集団ですか? 私は何も仕掛けてませんよ。言ったでしょう、勇者が現れたと」
「えっと………冗談、だよな……?」
レーネの変わらぬ態度に、初めてヴェルナは焦りを顔に出す。
「れ、レーネがみんなを説得してやってるんじゃ……」
「私には魔王軍を招集する権限はありません。そんな下らない事する暇があれば、闇黒シューでも食べに出かけてますよ」
そうきっぱりと言い切られてやっと理解したのか、ヴェルナの顔から一気に血の気が引く。そして数秒の沈黙を経たのち、彼女はカタカタと体を震わせ始めた。そして、
「ど、ど、どう、どうどう………」
「どうどう?」
「どうしようレーネ!! 私まだ死にたくない!!」
あわあわと取り乱した彼女は、涙目でレーネの体にしがみ付いた。
「……いい表情してますねヴェルナ様。あそこで応援してる彼らに見せてあげましょう」
「そそそそんなこと言ってる場合か! いじわるか貴様!?」
「まぁ魔族ですから」
冷酷に微笑むレーネに反して、涙と鼻水にまみれた顔をレーネに押し当て震えるヴェルナ。そこにはもはや、魔王の威厳は微塵もなかった。
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