魔王ヴェルナの勇者謀殺計画

宣戦布告

　夜明け前の空の下。

　暁色にうっすらと照らされた小高い丘には、小さな野営と人影があった。

「くっくっく……見えたぞ」

　その小さな人影―――――"魔王ヴェルナティカ"は、今まさに生涯で一番下品な笑みを浮かべている最中であった。

「あれが勇者の家か……随分小さいものだな」

　琥珀色に光る眼を望遠鏡に押し当て、魔王は遠くの集落を覗き見る。その姿は"鏖殺鬼（おうさつき）"と畏怖された先代魔王の娘として相応しい姿――――とは程遠いものであった。

　人間で言うと10歳程度の小柄な背丈に、肩にかからない程度に切りそろえられた茜色の髪。そして謎の生物が編み込まれた寝間着。その様は傍から見れば、望遠鏡で遊ぶ子供にしか見えない。

「首を洗って待っていろよ勇者、必ず貴様を倒してやるからな！」

　夜明け前の空の下、フハハハハハ！と声高々に笑ったヴェルナ。そんな時だった。

「……こんな早朝から何してるんですか。ヴェルナ様」

　そう心底嫌そうな声と共に、近くにあったテントが開く。そこから不機嫌そうに顔を覗かせたのは、魔王と同様に小柄だが、品のある顔立ちの銀髪の少女だ。

「なんだレーネ、お前も起きたのか」

「えぇ。外から騒音が聞こえてきたので」

　眠そうな蒼い双眸を擦りながら、レーネはテントから這い出てくる。

「騒音？　そんなもの聞こえなかったが……」

　あたりをキョロキョロ見回すヴェルナに冷めた視線を送りつつ、レーネは長くさらりとした銀髪を手櫛で整える。

「……それで、結局こんな早朝から一体何を？」

「ふっふっふ、勇者の顔を拝んでやろうと思ってな！」

　敵情視察だ！と得意げに答えるヴェルナに、レーネは色白な顔を顰めた。

「……また阿呆なことを」

「え、 何だって？」

「――――あぁ、いえ。お言葉ですがヴェルナ様、人間達はまだ寝ている時間かと」

「そ、そうなのか？ ふん、軟弱な奴らめ！」

　ムスっとした顔で、望遠鏡を放り投げるヴェルナ。それをサッとキャッチしたレーネは、

「そういうヴェルナ様も、昨日は大蛇ごときに泣きながらおも―――」

「うわあああああああ！ やめろ！ 忘れろ！」

「大丈夫ですよ、このネタは口外しません。今はまだ」

「今はってなんだ！ おのれ私を裏切る気か！」

　ヴェルナに掴まれたレーネは、揺さぶられながら邪悪な笑みを浮かべる。

「まぁまぁ、冗談はさておき………本当に覚悟はできてますか？」

　そんなレーネの問いにヴェルナはハッと気づくと、腑抜け面から一変して真剣な表情を浮かべた。

「ああ、魔界の平穏のためなら私は……やる！」

「それがどんな汚い手であっても？」

「む、無論だ。私は必ず勇者を倒さなければならぬのだ！」

　天に向かって指を突き立てたヴェルナは、そう声高に宣言した。

「なら良いのですが。まーたいらぬ同情心を抱えてお逃げになられたらどうしようかと」

「ば、馬鹿を言うな！　 私は一度たりとも逃げたことなど……この、受け付いだ鏖殺角に、誓ってぇ……」

　そう言いながら、彼女はこめかみ辺りに生えたねじれ角を小さな手で触る。その表情の奥には、言い知れぬ感情が渦巻いているようだった。

「はぁ………」

　見ていられないとばかりにため息を零したレーネは、

「分かりました。あなたを信じていますよ、魔王様（・・・）」

　そう彼女の肩を軽く叩いたのだった。

「も、勿論だ。私の伝説はここから始まるのだ！」

「—――次回、魔王敗北」

「不吉なことを言うな！」

　彼女たちは、そんな他愛もない会話を交えながらその時を待つ。

　彼女たちの目的はただ一つ。

　それは勇者を"謀殺"することであった。

　しかし彼女たちはまだ知らない。

　この謀殺計画が、後に悲惨な結果を齎すことになるなどと。