第30話 君がいるなら


 奏多がいた場所で小爆発が起き、奏多の体が跳ね飛ばされて地を転がった。


 一瞬、何が起こったのか分からなかった。だが、地を転がる奏多を見てユルカの時間が動き出す。


「奏多ぁっ!」


その声はほとんど悲鳴のようであった。


即座に駆け寄るが、彼女はピクリとも動かない。彼女の服は灰に汚れ、ところどころ焦げてさえいる。それどころか、肉の焼ける嫌な匂いまで漂っている。


「嘘だろ……! こんなことってあるかよ!」


 抱き起こすも彼女はグッタリとして動かない。


「奏多! 奏多!」


ユルカの顔が青ざめる。


奏多は呼吸をしていなかった。


この世界で落雷の直撃による死亡率はおよそ70%と言われている。無処置なら90%。そのほとんどが心停止によるものだ。ユルカは死亡率こそ知らなかったが、それでも雷の直撃を受けた人間の生存率が低いことくらいは知っていた。


だが、処置の仕方を知らない。


ユルカの手が震える。奏多を再び横たえ、自身のバックを漁るが、手持ちに奏多を救えるような想互術サージェン魂法パオの道具はない。いや、そもそも奏多にはそういった不思議な力は全て効かないではないか。


絶望という雷が彼を穿つ。しかし、それでも諦めきれず、彼はカバンをひっくり返し、思考をフル回転させて何とかしようと考える。


そんな彼の視界の端に淡い光が目に入った。


奏多の胸ポケットに入っているものが弱い光を発しているのだ。それは、奏多が以前作ったと言っていたお守りだった。


「……!」


 ユルカの目が見開かれる。


 そうだ。このお守りには、体を治癒する魂法パオの札が入っていたではないか。


「そうだ! 最後の一枚を渡したんだ……!」


 ユルカの願いに応えるように、「ッハァー……ッ」と突然の深い深呼吸とともに、奏多の呼吸がはじまる。ひとまずは即死は免れた。


「やった! これで――」


 待て、と彼の思考が声を止める。


 


なぜ奏多に魂法パオが効いている?




ユルカは空を見上げた。


そこに走るは黒煙を切り裂く雷たち。


雷。時に奏多やユルカのような、霹靂宿りを生み、そしてその力を消しもする自然現象。


「まさか……奏多の力が……」


想像を裏付けるように、奏多の胸元の魂法パオの光が強まっていく。


(いや! なんでもいい! 頼む奏多を助けてくれ!)


とはいえ、事態はほとんど好転していない。奏多は呼吸を取り戻したものの、全力疾走をした後のような激しいペースで不規則な呼吸を続けている。


この魂法パオは、小さな怪我を直す程度の力しかない。例えこのまま効力が切れるまで奏多を回復させていったとしても、ちゃんとした治療を施さなければ奏多が助かる見込みは薄い。


(どうすれば……! どうすればいい!)


 麓まで降りるか? いや、そんな時間はない。そもそも、ユルカが運んでいっては、病院に誰もいなくなってしまう。想互術サージェンでワープしても同様だ。今はもう飛び先の想盤フィズは、廃墟にしかない。ユルカが一緒にワープしても結局町の人間は離れていってしまうし、奏多だけ飛ばしても、あんな廃墟にたまたま来る人間でもいなければ意識不明の奏多を見つけてもらうことはできない。そして、そんな人間が来る確率は限りなくゼロに近い。


「どうすればいいんだよ!」


地面に拳を叩きつけるも、事態は何も変わらない。


そのとき、地面を叩いた腕に、そっと奏多の手が添えられた。


ハッとして彼女のほうを見ると、奏多は苦しそうなに激しい呼吸を繰り返しながらも、薄く開けた目でユルカを見ていた。


「ユ……ルカ……」


まだユルカを認識できている。だがそれもいつまで持つかわからない。


「奏多! 話さなくていい! 俺が何とかするから!」


 その声は届いていないのか、そのまま奏多はユルカの頬に触れ、ゆっくりと口を開いた。


「ユル……カ……。自由に……生きて……。お願い……」


「……!」


自由に生きる。誰かを気にすることなく、自分のために生きる。それは、今まで奏多がユルカに言ってきたことと真逆の言葉だ。それはそのままユルカの決意を否定するものだった。


「あなたは……人の……ために……生きたほうが……苦しんじゃう……から……。だから……」


 これが奏多の言いたかった『酷いこと』。変われと言われた変わったユルカに、その言葉は間違いだったと告げる言葉。


 さっき奏多は言っていた。自分が普通だと思っていることも、違う基準照らせば普通ではないのだと。なるべく人に迷惑をかけないように生きることも、奏多にとっては普通だった。だが、どうだろう。どうがんばっても、ユルカにそれは不可能だ。彼の悪意とは関係なく、彼は人を害してしまう。そんな特異な力を持つ彼に、普通の人間と同じ感覚を持って生きさせるのは、呪いでしかない。


「私も……自由に……生きるから……」


 ほんの少しだけ、奏多は口端を上げた。


「奏多……」


 目に涙を滲ませるユルカ、しかし、現実は非情に迫る。


ガアアアアアン……。


稲妻の音すら押しのけて、腹を揺さぶる重厚な鐘の音が空間に響き渡った。


そして溶岩に照らされた灰色の世界に、真っ黒な塊が出現する。


ユルカの『お迎え』が来た。


焦りと動揺と怒りが混ざり、ユルカは気が狂いそうになった。心拍数が上がり、呼吸も自然と荒くなる。なぜこんな目にあわなければならないのか。


(頼むよ神様! この世界にはいるんだろ……!)


 自分の呼吸も鼓動も大きく聞こえる。


 どのみち、どうあがいても、ユルカが近くにいる限り奏多を助けることはできない。


「ゴホッ……」


「奏多! 大丈夫か⁉」


「…………あ……なた……だれ……?」


「……‼」


 その言葉は、深くユルカの心を抉った。もはや奏多から力が失われているのは確実だった。胸元のお守りは、既に本来発するに光に近い光量となっている。ゆっくり奏多を治療しているが、焼け石に水だろう。奏多の内臓の傷どころか、体表の火傷すら治しきれないはずだ。


「はぁ……はぁ……」


 自分の呼吸の音がうるさい。心音が思考の邪魔をする。


 何もできることがない。このまま神を憎んだまま奏多を死なせ、次の世界にはじき出されるのか……。


 頭の中を奏多との思い出が巡る。


 横浜、軍艦島、雷門、別府の地獄、そして……


「…………」


 わずかな思考が挟まった。


ユルカは奏多を見て、形を変え始めている『お迎え』を見た。


そして彼は覚悟を決めた。

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