第16話 神様も……


御神体への道は簡単に見つけることができた。


本宮の近くに山道へと続く鳥居があり、『立ち入り禁止』の看板がかけられた木柵が鳥居の中に立っている。


それを見ると一瞬足が止まるのだが、好奇心の方が優ってしまい再び足を踏み出す。


「ほら行くぞ」


看板など全く意に解すことなく柵を乗り越えていくユルカに続いて奏多も柵を乗り越えていく。


道中はほとんど整備されていない山道だった。この神社の関係者が祭祀や祈祷のために何度か行き来しているようで、人が踏みしめて雑草の生えていない道が形成されているがそれだけ。飛び出した木の根や剥き出しで凸凹した地面は少し歩きづらい。


冬を手前にして紅葉した木々と枯れかけた雑草。湿った地面に落ちた枯葉が進むたびにカサカサと細やかな音を奏でる。ユルカがいなければ、奏多たちの頭上から落ち葉が絶え間なく舞っていたことだろう。


山道を進むような靴ではなかったので少し足元に不安を覚えつつも、奏多はユルカと山を登っていく。


神域とされるこの場所は、どこにでもある山中であるようにも見える。しかし、人をほとんど知らずに育った木や岩たちの深く長い息遣いを肌で感じる。漏れる木漏れ日。静寂の中にだけ現れる語らぬものたちの賑やかさ。一歩を踏み締めるごとに、自身と深い自然との解離が大きくなる。


「神様って本当にいるのかな?」


「いた世界もあった。この世界はどうなんだ?」


「わかんない。いるって言う人もいるけど、でもちゃんと見たって証明できる人は誰もいないと思う」


「そういうところはとことん平等な世界だな」


「平等?」


「神様が出しゃばってきてたら、不公平ばっかりだよ。ただでさえ同じことをしても人によって得られる結果は変わるのに、神様が贔屓して結果が変わったら不平等だろ」


「あー。そんな考え方もあるんだ……」


 パリ、と彼が踏んだ音が山林に響く。


「平等なんて思ったこともなかったな。この世界にも理不尽なことはあるし」


「神様がいたって理不尽なもんは理不尽だよ」


「ユルカはさ、この世界好き? もうずいぶんといるけど」


「奏多は嫌いなのか?」


「私は……」


 ふと、奏多が最近悩んでいることが頭に浮かぶ。


 走る自分の姿。頬を切る風。陸上部の仲間たち。


 奏多は首を振った。


「好きとか嫌いとか言う権利ないと思う。私は、この世界にいる人の中では恵まれているほうだと思うし」


 悩みはある。嫌な思いをすることもある。けれどそれは世界規模で見ればあまりに矮小なもので、世界に思いを馳せられるほど自分は大きくないと改めて思った。


 顔を上げる。そこに映る景色がさっきよりもずっと深く広いものに見えるようになっていた。


風のない山林。自分よりずっと大きな木々たち。何百年とそこにいるであろう岩。揺れる木漏れ日。そのどれも奏多を見てはいない。ただそこに存在している。世界の一部として。


「他人を基準にすんなよ。自分がどう思うかだろ」


「他の人を基準にしなくても、あんまり世界に対して思うことなんてないよ。ユルカみたいに他の世界を周ってるわけじゃないし。で、ユルカはどうなの?」


 ユルカは空を見上げた。


「好きなほうだ。話し相手もいるし」


「え、理由それだけ?」


「それだけって、俺にとってはでかいことだ」


「そうだけど、他にこの世界のいいところないの?」


「飯がうまい。平和。あとは……人が弱い」


「人が弱い?」


「魔法も特別な力もない。大体みんな同じくらいの能力の体一つでいろいろこなしてる」


「それがいいことなの?」


「可能性は差を生む。できるひととできない人。強い人と弱い人の差を大きくする。人が山を吹き飛ばせるような力を持てる世界だと、山を吹き飛ばせる人とそんな力少しもない人間の差はすごく遠い。遠いから、その距離をさらに広げる社会ができる。この世界でも貧富の差や生まれの差はあるんだろうけど、他の世界よりは生まれつきの差は小さいと思う。だからそこはいいことだと思う」


「ふうん?」


 奏多にはない視点からの言葉であった。この世界にだって差はある。武器を持てば、裕福であれば、環境が恵まれていれば、丸裸の人間との差は歴然なものとなる。けれどその事実を見ても、ユルカからすれば些細な差なのだろう。


「可能性は差を生む……」


 どこか心に刺さるものがあり、奏多は無意識に自分の胸を押さえた。去来したのは過去の記憶。かつて自分があらゆる可能性を形にしていた時のもの。


 中学生のころ、奏多は『特別』だった。少なくとも周りにはそう思われていた。勉強は学年上位、陸上部では大抵の先輩より好成績。読書感想文等の提出物では賞を取る。いわゆる秀才なんて呼ばれるような人間だった。もちろんそうなるだけの努力はしていた。勉強も部活も何事も一生懸命取り組んだ。そうした努力も奏多には苦ではなかった。努力するほどに結果が伴い、普通以上の『特別』な結果を出せることが楽しかった。


 だが、中学二年生の半ばあたりには、純粋にそう思えなくなっていた。彼女の『特別』が、周囲との不和を産んでいたから。


 特別彼女の性格が悪かったわけではないと思っている。ただ、部活の先輩に「調子に乗っている」と言われたり、クラスメイトから「頭いい奏多にはわかんないよ」と言われたり、どこか自分と周囲の間に壁を感じることが多くなった。それが僻みから来る仲間外れであろうと、悪意のない遠慮であろうと、その頃の奏多はそんな特別扱いが嫌だった。周囲との不和まで作る『特別』ならいらない、とそんなふうに思うようになるほど……。


 そんな時だった。彼女が雷に撃たれたのは。


 その時もまた、そんなもの珍しい現象に見舞われた彼女を周囲は特別扱いした。雷に撃たれた傷跡に嘆く彼女の気も知らずに。いい加減、彼女は嫌になった。


『私……「普通」がいい! 「特別」なんていらない……!』


 そんなふうに親に泣きついた苦い記憶。


 以降彼女は勉強にも部活にも身が入らなくなり、成績も特別良いものでもなくなり、怪我のブランクもあって陸上のタイムも突出したものではなくなった。彼女は普通になった。


 結果として得られたのは、周囲との調和。楽しい友達との日常。……そして日々の退屈だった。


 特別でいられた頃に感じられていた、特別なことへの楽しさは失われた。求める思いはそのままに。


 だから彼女は旅行が趣味になったのかもしれない。自分ではなく、自分の外にある特別で渇望を満たすために。


 あからさまに怪しいユルカと出会った時、彼と関わろうと思ったのもきっと……。


「おい、奏多」


「え、あっ何?」


「何、じゃなくて。どっちに行くかって話だよ。何ボーッとしてんだ?」


 記憶を巡っているうちに分かれ道にさしかかっていた。一方は山を下る道となっており、もう一方はさらに山奥へ進んでいく道となっている。観光地ではないため、どちらがどの道に続いているかの案内もない。


「これどっちがどっちだろう?」


「こっちは元からあった方の磐座いわくらじゃないか?」


 ユルカは山奥へ続く道のほうを指さす。


「ほら、霹靂宿りの看板の話だと、磐座いわくらに行く道の途中に霹靂宿りを生んだ岩があったんだろ? 」


「あー、だから上った先のほうにあるのが、もともとの磐座いわくらじゃないかってことね。だったら、先に上りのほう行こ。下に行ってまた引き返して上るのはさすがにキツイよ……」


「わかった。じゃあ……」


 ユルカはポケットから想盤フィズを取り出すと下りのほうの道の先へ想盤フィズを投げた。


「こうしとけば、上に行った後に歩きで下らなくてもいいな」


「おおー」


 上の磐座いわくらに行った後、想互術サージェンで今投げた想盤フィズへワープして戻ってくるということか。その便利さには関心するほかない。


 こうして二人はさらに上りの山道を進んでいく。


 軽く息を切らしながら山林を登っていくと、二人の前に切り立った岩場が現れた。道は岩場に沿うように続いており、その先に岩場から張り出すように鎮座する大岩があった。苔むしたその岩には注連縄が巻かれており、確かに崖から一つの岩が張り出しているその様はどこか神秘的にも思える。


 あれがこの神社の磐座いわくら


 ここまで来る苦労と相まって、奏多は安堵の息を漏らした。


「あれだね。確かにすごい」


「近くに行ってみよう」


「うん」


 やっとのゴールに浮足立ち、足早に二人は大岩へと向かう。道は崖上に張り出した磐座いわくらを潜った先にも続いているので、その先から崖上へと登り、磐座いわくらの正面側に回れるのだろう。


 しかし……


グゴッというとてつもなく低い音が空気を震わせた。


二人が磐座いわくらの下にたどり着く15メートルほど前まで来たときだった。


そのあまりの音の大きさに本能的に足がとまる。


 なんの音かもわからず困惑する中、次の瞬間、二人の目の前で磐座いわくらの太い注連縄が勢いよく千切れ飛び、磐座いわくらが動き始める。


「なっ……!」


 驚く声も事象も一瞬。声を発して何が起きたか理解するその時にはもう、すさまじい地響きと轟音を立てて磐座いわくらが崖上から落下していた。


「え、ちょっ!」


 あまりの地面の振動に思わずバランスを崩すも、目の前で起きていることが衝撃的過ぎて体制を立て直すことも忘れて尻もちをついてしまう。


 唖然とする二人の前で、大型トラックほどの大きさの大岩が砕け散る。車ほどの大きさの岩たちが耳をつんざく破砕音とともに木々をなぎ倒して斜面を転がり落ちていく。


 出来事にしてほんの数十秒。ただその瞬間に身じろきもできず、奏多が自分の呼吸が止まっていることに気づいたときには、山に破砕の木霊が残るのみ。かくして巨石は凄惨な爪痕を残して、無常の姿を次の形に変えたのであった。


「…………」


 全くもって声も出せない。


 こんなことがあっていいのか。


 崖上を見れば、磐座いわくらがあった場所には割れた岩の姿残されていた。どうやら二人が来たタイミングで磐座いわくらは真っ二つに割れてしまったらしい。


 もちろん、これを偶然というには無理がある。


「こ、こここここ、これって……」


 声を震わせ隣のユルカを見ると、彼は今の出来事に驚いてはいるものの動揺していなかった。が、その表情の毛色が奏多とは全く違う。彼は割れた磐座いわくらの断面を見上げながら、どこか気まずそうな表情を浮かべていた。


「あー……。やっぱり神様も俺に近づかれたくないらしい」


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