8話―癒しの夜とうごめく謀略
「ふー、いいお湯だったのじゃ。……ん? どうした、アシュリー。そんなぐでっとして」
「心配ありませんよ、お坊っちゃま。溜まっていた疲れが出てしまっただけなようです」
「ふむ、ならはよう風呂に入ってくるといい。わしのおうちの風呂は凄いぞ。ジェットバスに壺風呂、サウナまであるんじゃからな!」
「おお……そうか、ンじゃ入らせてもらうわ……」
一時間後、たっぷりとマリアベルに尋問されたアシュリーは憔悴しきってしまっていた。身の潔白を証明出来たのだけが、彼女の救いだ。
真っ白なもこもこのバスローブ姿で戻ってきたコリンに促され、アシュリーはマリアベルに案内されて浴室に向かう。
「デカッ! 広っ!? 帝都一番の風呂屋よりも豪華だな、この風呂。湯船がいっぱいあるぜ」
「もちろん。お坊っちゃまの趣味趣向に合わせて、わたくしが創り替えてきましたから。お召し物は洗濯しておきますので、こちらに用意したバスローブをお使いくださいませ。アシュ虫さん?」
「……一応アタイを敵じゃないって認識してくれてることは分かった。うん、もういいよ虫で……」
敵ではないと理解してもらえた結果、アシュリーはウジムシからランクアップ(?)することが出来たようだ。相変わらず虫呼ばわりなのは、もう諦めたらしい。
「お夕食の支度が出来ましたらお呼び致します。それまで、どうぞごゆっくり……」
「あいよ。さて、どの湯船から入ろうか……よし、まずは壺風呂だな! それ、とつげき……エ゛ア゛ッ゛! マリアベルてめぇ、こんなとこに石鹸スタンバイすんじゃねえ!」
『身体を洗ってから湯船に入りなさい、アシュ虫。さもなくば、石鹸という石鹸を全身の穴にねじ込みますよ』
「はい、すいませんでした……」
子どものように目を輝かせ、壺風呂に入ろうとするアシュリー。が、足元に出現した石鹸を踏み、勢いよくスッ転んだ。
石鹸状態のマリアベルに怒られ、正座しつつ謝ったアシュリーは洗面台で身体を洗う。数十分に渡って数々のお風呂を楽しんだ後、脱衣所に戻りバスローブに着替える。
「おっ、サイズぴったり。んー、ふっかふかでいい気分だぜ」
「アシュ虫さん、夕食の用意が整いました。食堂にご案内します、さあこちらへ」
「おっ、待ってたぜ! もう腹ペコペコなんだ」
マリアベルに案内され、アシュリーは食堂に向かう。すでにコリンが上座の席に座っており、下座の席に案内される。
「ようやく来たか、アシュリー。今日ははじめてのお客さんが来た記念に、マリアベルが腕によりをかけてごちそうを作ってくれたぞよ。ささ、はよ食べようではないか」
「かしこまりました。では、料理をお持ちします」
コリンが指を鳴らすと、食堂の奥にあるキッチンから複数人のマリアベルが現れ料理を運んでくる。最初に届いたのは、前菜とスープだ。
「どうぞ、新鮮野菜のサラダと自家製コンソメのスープです。お口に合えばいいのですが」
「おお、旨そうだな! んじゃ、いただきます!」
「いただきますのじゃ!」
二人はフォークを手に、サラダを食べ始める。みずみずしいトマトやレタス、キュウリの素朴な味わいを特製のドレッシングが引き立てる。
あまりの美味しさに、二人はあっという間にサラダを平らげてしまった。
「くぅ~、旨い前菜だったぜ! ドレッシングの酸味が、野菜の旨味を引き出しててよ、パクパクいけちまうんだよなこれ」
「ほっほっ、そう言ってもらえるとわしも嬉しいわい。……ところでじゃ。昼間の渓谷でのことなんじゃがの」
「ん? どしたよ、コリン」
「途中から邪悪な気配が
魚料理が運ばれてくるまでの間、スープを飲んでいたアシュリーにコリンがそう語りかける。予想外の言葉に、アシュリーはスープが鼻に入った。
「ヴェホッ! ま、マジで? レッドドラゴン狩るのに夢中でまったく気付かなかったぜ」
「鈍いのう。ま、わしが背後に殺気を放ってたから襲ってはこなかったがの。夜の闇に紛れて、襲撃するつもりだったのじゃろうな」
「はぁー……ってことは、今ごろクリガラン渓谷であたふたしてるだろうなぁ。アタイらが突然消えちまったわけだし」
「うむ。上司にでも連絡取って、慌てふためいておるじゃろうて。わぁっはっはっはっ!」
コリンが大笑いしていると、キッチンの方からいい匂いが漂ってくる。どうやら、次の料理が完成したようだ。
「お二人とも、魚料理が出来ました。本日のメニューは、オオヨロイブリの照り焼きですよ」
「おっ、ついにメインディッシュか! いいねぇ、待ってました!」
「むふふ、オオヨロイブリはわしの大好物なのじゃ! たんと味わっておくれ、アシュリーよ」
和気あいあいとした雰囲気の中、二人は豪華なディナーを楽しむ。一方、クリガラン渓谷では……。
『なに? 例の二人を見失っただと!? この大バカ者め! 何のために後を
「も、申し訳ありませんオラクル・ベイル。頃合いを見計らって暗殺しようと狙っていたのですが、相手が中々隙を見せず……」
『もうよい、退け。夜のクリガラン渓谷は危険だ。冒険者ギルド本部に送り込んでいる密偵からの連絡が、次々と途絶えている。そっちの調査に当たれ』
「ハッ、お任せを!」
コリンたちを暗殺するべく教団から刺客が派遣されたものの、目的を果たせずにすごすご撤退する羽目になってしまっていた。
部下との連絡を終えた教団幹部、ベイルは苛立ちを隠そうともせずにため息をつく。ここ数日、コリンに翻弄されっぱなしなのが相当頭にきているようだ。
「忌々しいガキめ……一体どこに消えたというのだ? 刺客の報告では、魔法で作ったドアの向こうに消えたというが……」
「失礼します、オラクル・ベイル! 評議会からメッセージが届きました。今お伝えしてもよろしいでしょうか?」
「む、もう来たか。よし、話してみろ」
「ハッ、『我らが同志オラクル・ベイルよ、重要な報告にまずは感謝する。会議の結果、ギアトルクの子孫に関しては情報が集まるまでは監視に留めることになった』とのことです」
教団を運営する仲間たちからの回答に、ベイルは内心舌打ちする。相手がどれだけの脅威になるかを理解していないことに、腹を立てているのだ。
「まだ続きがあります。えー、『貴殿はこれまで通り十二星騎士の家系の一つ、ウィンター家断絶のための工作を進められたし』……以上、オラクル評議会からのメッセージです」
「フン、仕方ない。評議会の意向を無視するわけにもいかぬからな。密偵たちに伝えよ、ウィンター家断絶が成るまでは例のガキに手を出すな。監視に留めよ、とな」
「かしこまりました、オラクル・ベイル」
部下が去った後、ベイルは一人親指の爪を噛んで苛立ちを紛らわせる。が、すぐに思考を切り替えた。
「まあいい。ならば、今はウィンター家断絶に向けて動くのみ。奴らを滅ぼせば、ゼビオン帝国北方一帯に大混乱が巻き起こる。それに乗じて、ガキを始末すればいい。ククク、はははは!」
薄暗い礼拝堂に、ベイルの笑い声がこだました。
◇――――――――――――――――――◇
「忘れ物は……よし、ないな」
「本当に大丈夫かのう? アシュリーのことじゃから心配になるわい」
「だーいじょうぶだって、今回は何も忘れねえよ」
翌日の朝、コリンたちは帝都に帰るために身支度を整えていた。一宿一飯のお礼として、レッドドラゴンの肉はマリアベルに贈られる。
「新鮮なお肉をありがとうございます。お坊っちゃま、今日のお夕食はドラゴン肉のステーキにしましょうか」
「むむっ、それは楽しみじゃのう! 今日は早く帰るとするかの!」
「ははっ、今から家を出るってのにもう帰った後の話か。ま、旨いメシが待ってるってンなら、アタイもワクワクするけどよ」
ほんわかした空気の中、二人は支度を終える。玄関に行くと、マリアベルがスカートの裾をつまみ優雅にお辞儀をする。
「アシュ虫さん、また遊びにきてください。歓迎しますよ。このわたくし……大いなる魔の貴族、マリアベル・ファンティーヌ・アルソブラがね」
「え? 魔の貴族って」
「ほれ、ゆくぞアシュリー。依頼達成の報告じゃ!」
「ちょ、引っ張んなってコリン! ああっ、鎧の留め具が外れる!」
マリアベルに尋ねようとするアシュリーを引っ張り、コリンは慌ただしく家を出る。その様子を、マリアベルが微笑みながら見つめていた。
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