3 森の民サーシャ

3 森の少女 サーシャ


現れた獣は3匹。

黒い狼のようだった。

成人男性の1.5倍ほどの体格に黒い体毛。鋭い牙、口からはよだれが垂れている。

目の前に絶好の獲物がいるからだろう。

獲物、つまり俺は全く動くことができない。

絶望的なことに毒のせいで指一本動かすことができないのだ。

絶体絶命のピンチ。

これが、クロノスが言っていた運命力だろうか。

幸運と同時に困難も同時に引き寄せる力。

そうだとしたらクロノスを呪わずにはいられない。


呼吸が速く速く、さらに速くなり過呼吸となって頭が朦朧としてきた。

だめだ、だめだ。考えろ。

俺のできることは。

そうだ。

クロノスにもらった能力は運命力の他に①前の世界の記憶の持ちこし②言語能力③魔法の才能がある。

①はだめだ。前の世界の記憶を掘り起こしてもこの状況を脱する知識などない。

②の言語能力。これが人以外にも当てはまるならいけるかもしれない。

必死に3匹の獣に向かって喋ってみる。


「おい!俺の言葉がわかるか?

俺の体内には高濃度の毒があるぞ」


必死に呼びかけたが獣は意に介さず近づいてくる。

だめだ。

望みは薄いが最後の手段に賭けるしかない。

③魔法の才能だ。

馬鹿げているとは思う。

ただ、人は追い込まれると時に普段出せない力を発揮するものだ。

火事場の馬鹿力。

これは、医学的にも名前が付けられており”fight and flight”(闘争と逃走)という。

アドレナリンの過剰分泌により、戦う、あるいは逃げるときに普段では考えられない力を発揮するのだ。

俺は一度死んでいる。

生き返って異世界で生を得た。

この世界に魔法はある。

これだけのことが起こっているのだ。

俺が今、魔法を使うことができてもなんらおかしくない。

そうだ、大切なのはイメージ。

そして自分の力を信じることだ。


「大いなる精霊 “クロノス”よ。

我 神崎要の名において命じる。

我に力を、邪悪なる獣を焼き尽くす力、地獄からの燻る呪いの炎を持って森羅万象を灰に帰せ。

“エレメンタルフレイム”」


俺は力の限りに叫んだ。

自分の力を信じて、声の限りに叫んだ。


突如、地面が軋むような音が響き獣がおびえる。

グラグラと地面が揺れた。

俺と狼の間から黒い炎が吹き上がる。

直感的に理解した。

これが俺が呼んだ地獄の炎。

狼のうち1匹は愚かにも俺にとびかかる。

だが黒い炎に包まれ一瞬で灰になった。


「がうっ!」


おびえる狼たち。

2匹は文字通り尻尾を巻いて逃げ出そうとしたが、遅い。

地獄からの黒い炎はもう狼たちを取り囲んでしまっている。

俺はすべての力をもって、狼たちを燃やし尽くした。


「なれない力を扱った代償だな」


黒い炎が消えた後、俺は焦土の上に立っていた。

森の中にいたのだが、見渡す限り、地平線にいたるまで黒い炎に焼かれて生物はネズミ一匹たりとも生きてはいない。

立っているのは俺一人、これは禁忌の魔法だ。

エレメンタルフレイムは禁呪として封印することにしよう。


という妄想をしていた。

当然、現実では何も起きなかった。

この世には神も仏もいないのだ。

いや神はいるのか。

俺はクロノスを呪った。


「ひいい」


情けない声がでてしまうがしょうがないだろう。

ゆっくりと近づいてくる狼が3匹。

逃げることができないのが分かっているのか。

体温が感じられる距離までゆっくり近づいて来る。

くさい息が顔に当たる。

俺の体を動かないように手で押さえつけ、太ももに牙を突き立てた。


「うああああっ」


太ももが灼ける!死ぬ。

どばどばと血が出る。

生きたまま喰われて死ぬのか。

前回は一瞬で痛みもなかったが、これは生き地獄だ。

なんとか体を動かそうとするが、麻痺したままでぴくりとも動かない。

痛みは麻痺しないようだ。


「ぎゃん」


体が軽くなった。

俺にまたがっていた狼が目の前で吹っ飛ばされた。

肩口に矢が刺さっており、血が流れ出ている。


「大丈夫?」


矢が飛んできた方向をみると、黒馬に乗った少女が弓をつがえていた。

藍色の流れるような髪を腰まで伸ばし、橙色の紐で縛っている。

やや幼さがのこる顔立ちである。

瞳は青く澄んでおり、肌は雪のように白い。

毛皮のついた服を着ており、矢筒を背負っている。

立て続けに矢が飛んできてすべて狼に命中した。

結構な距離があるはずなのに大した腕前だ。

馬で駆け寄ってきた少女をみると目が離せなくなった。

現実の女性に対して関わりが少ないというかほぼなかったが、こんなにも綺麗な人はテレビでもネットでも見たことがない。

見とれていて話しかけられていることに気付かなかったようだ。

目の前で手をぶんぶん振られていた。


「ああ、やっと目が合った。

血をたくさん流していたからダメになったかと思ったわ。

こんな奥地にまで人間が迷い込んでくるなんて」


狼たちは警戒して距離を取っている。

不意打ちはうまくいったが、矢は致命傷にはならなかったようだ。

狼たちは俺たちの周囲を一定の距離を取って隙を伺っている。

1匹に矢を放ったらそのうちにもう2匹がとびかかってくるだろう。

俺たちを囲む輪はゆっくりと狭められていく。


「すいません。

見ず知らずの僕を助けて頂いたのに、あなたまで危険にさらさせてしまって」


「あら。きみ、村の言葉がしゃべれるの!

まあ大丈夫よ。見てて!」


少女が呪文を唱えると目の前に地面に光る魔法陣が現れた。


「召喚魔法 完全顕現 中位精霊 氷柱姫(つららひめ)」


白い光とともにあらわれたのは、白い前髪で顔がかくれた女性だった。

全身白い着物をまとっている。

右手に持っているのは扇だ。

これが魔法か。

俺が異世界に来た時もこのような召喚魔法を使われたのだろうか。


「さむっ!」


周囲の温度が下がったように感じる。

いや明らかに下がっている。


「いつものいくよ。水魔法”水飛沫(スプラッシュ)”」


エルフを中止にドーム状の水の塊が広がっていく。

狼たちにぶつかると形を保てなくなりばしゃんと崩れた。

当たりはしたが狼たちにダメージはないようだ。

一瞬怯みはしたが、怒らせたようで低い唸り声を上げながら、さらに囲いを狭くしてくる。

白髪の女性が動いた。

歌うように呪文を唱えながら扇を振る。

狼たちも何かをすると察知して、させる前に肉を食いちぎろうととびかかってきた。


「あぶない!」


と声を上げた時にはすべてが終わっていた。

そこには3柱の氷漬けの狼の彫像ができていた。

白髪の女性は少し微笑みまた扇をふると、もう女性の姿はなく、ただ粉雪が舞っているのみであった。


少女に傷の手当てをしてもらっている間に今までのいきさつを話した。

いきさつといっても3話分であるのでそんなに時間はかからなかったのだが。

ん?3話とはなんのことだろうな。

言葉が通じるのは本当に助かった。

魔法が使えなかったときは神を呪ってしまったが、言語能力はしっかり機能しているようだ。

少女の名はサーシャというそうだ。

狩人をしているそうだ。


「ふーん。なんとも信じがたい話ね。

神位精霊 クロノス様に会ったなんて」


目の前の少女はジト目で俺のことを見てくる。

ああ、ジト目までも美しい。

新しい扉が開いてしまいそうだ。


「君が食べた木の実のことはわかるわ。

クコの実を食べてしまったようね。

これ解毒薬だからちゃんと飲んでね。死んじゃうから」


笑顔で怖いことをいう。


クコの実は遅効性の強烈な神経毒をもっており、食後6時間でやっと効能が出てくるようだ。

症状は指先の痺れから始まり、全身のしびれ、呼吸筋の麻痺が起こり、最終的には呼吸不全で死に至る。

毒が効き始めるまでに時間があるのは、食事をした獲物が移動し、種を移動させるためといわれているそうだ。

死んだ獲物の肉が腐敗し、種の栄養素となる。

恐ろしい植物だ。

こんなに殺意のある植物があるなんて。

もし狼に襲われていなくても、この少女が来てくれなかったら呼吸ができなくなり死んでいたらしい。


解毒薬の効果はてきめんで、飲んでから数分すると徐々に体の感覚が戻ってきた。

本当にあぶなかった。


「さて、じゃあ行きましょうか」


少女は立ち上がり、お尻についた砂をぱんぱんと払う。


「え?どちらに?」


「私の村よ、精霊の村と呼んでいるわ」


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