第9話 八島来人

 昔の俺は、孤独な少年だった。幼稚園児の頃から、どうしても他者と折り合えなくて、些細なすれ違いからやがて本気の喧嘩を始めてしまう。小学校に上がってもそれは治らずに、すっかり問題児扱いされていた。同級生の中では体が大きく、厳つい顔をしていたからなのかいじめの標的にはならなかったが、周囲に恐れられた俺は友達と呼べるものを一人も持てなかった。

 人付き合いができず孤立し、孤立することでなおのこと人付き合いが苦手になってゆく……俺はそうした負のスパイラルの中にいた。そんな俺にとって、唯一楽しく遊べる相手が、たまに会う従弟の蓮江未来だった。

 未来は俺の父さんの妹の子で、お互い家族ぐるみで付き合いがあった。一人っ子だった俺にとって未来は実の弟のような存在で、未来の前でだけはでいることができた。

 

 そんな俺が、未来の受けていたいじめのことを知ったのは、未来が行方不明になった後のことだった。あの可愛い未来が、そんなひどい目に遭っていたなんて……それを知った時の悲憤慷慨ひふんこうがいは、今でも痛いほどに覚えている。


 未来が川で発見された時、すでに彼は虫の息で、生きているのが不思議な状況であったという。結局、一命は取り留めたものの、肉体の損傷が激しく、体のほとんどは無機質な機械部品に置き換えるより他はなかったらしい。手術を終えた未来は、サイボーグともいうべき体になっていた。

 未来の父は、行方不明になった後でいじめのことを知らされ、父親として何もできなかった自分を責め、首を吊って自死してしまった。当時病床に起臥していた未来の母も、病が悪化して夫の後を追うように亡くなった。未来の不幸は彼自身に留まらず、その両親の命まで奪ってしまったのである。


 そして親を失った未来は、八島家が引き取ることとなった。それからずっと、未来は八島家から一歩も出ることなく、俺と両親に世話をされながら過ごした。未来は立って歩くような動作はできるようになったけれども、潰れた声帯だけはどうにもならず、筆談以外で会話することはできなくなっていた。

 どんな姿になっても、俺は未来が生きていてくれるだけでよかった。前のようにあどけない声で「来人くるとお兄ちゃん」と呼んでくれたり、小川の流れる公園で一緒に水遊びしたり、好きな漫画の話をして笑ったりすることはできないけれども、俺には未来がそこにいてくれるだけでよかった。未来がうちに来たことで、俺は名実ともに、未来の兄になることができた。

 けれども……そうした美しい日々は、突然終わりを告げることになる。

 

「蓮江未来くんの命は、持ってあと一年でしょう」


 去年の年末、医師にそう告げられた時、俺の中で、何かが轟音を立てて崩壊した。未来の死……考えたくもない。考えたくはなかったけれども、定期的に彼を診てきた医師がいい加減なことを言うはずもなかった。

 思えば、未来は相当無理な方法で延命されていたのだ。十余年という歳月は、そんな未来の体が限界を迎えるのに十分すぎたのだろう……

 残された時間は少ない……俺は、最後に何をしてやれるんだろう。俺は未来と話し合うことにした。


「なぁ、未来は何がしたい?」


 未来は銀色の指でペンを握り、器用に筆談用ボードに返事を書いて見せた。そこには「わからない」とだけ書かれていた。


「俺もさ、何をしてあげたらいいのか、分からないんだ」


 未来と向き合いながら、俺は考えた。なぜ、こんな残酷な結末が、この哀れな従弟に待っていたのか……

 ――その元凶は、未来が受けていたいじめだ。未来が行方不明になったあの時、酷いいじめを受けていたという証言がいくつもあったというが、学校側はいじめの有無に関して曖昧なことしか言わず、いじめに関わったとされるクラスメイトがお咎めを受けることはなかった、ということを以前人づてに聞いた。すでに学校生活を送れなくなった未来よりも、自分の学校の生徒であるいじめっ子側を優先して庇ったということだろう。

 恐らく、今も未来を自死に追いやった連中は、のうのうと暮らしているに違いない……なぜ未来ばっかり、こんな目に遭わなければならない? 代償を払わされるべきは、寄ってたかって未来をいじめ抜いた連中だろうに……そうした思いが、俺の心胆に火を灯した。

 未来をこんな目に遭わせた連中を、のさばらせていいはずがない。絶対に、罰を与えねばならない……


「なぁ、未来……何でこんなことになっちまったんだろうな」


 未来は、答えない。銀色の腕はペンを持っているが、何かを書こうとする素振りは見せなかった。


「許せねぇよな。未来のことこんなにした奴ら、きっと何もなかったかのように幸せに暮らしてるんだ」


 そう、奴らのせいで、未来は何もかも奪われた。奪われたものは、奪い返さねばならない。

 

「……もし、未来が奴らにやり返したいっていうなら、俺、何でもするよ」


 俺の言葉を聞いた未来は、少し間をおいてペンを取った。震える手でボードに書かれたのは「やりかえしたい」という言葉であった。

 

 ――復讐は、未来の意志だ。


 未来の意志を遂行するべく、俺は行動を起こした。

 実はこの時、俺は鮫津市の商工会議所に勤務していた。未来の生まれ育った故郷だ。俺は未来の残り香を求めるかのように、鮫津市内での就職を目指し、商工会議所の職員となったのである。

 未来の生まれ育った故郷は、同時に彼の命を奪った忌まわしき土地でもある。俺は早速、情報を集めることにした。すると、驚くべきことに、商工会議所の後輩に未来をいじめていたグループと関わりのあった男がいたのだ。

 俺は未来の親戚であるという情報を伏せたまま、何気ない会話を装って、その後輩――佐藤からしきりに情報を引き出していた。

 ある日、佐藤は昼食のために入った定食屋で、こんなことを口走った。


「小学生の頃のクラスメイトにすんげー暗いヤツがいましてね、俺たち何とかソイツがクラスに溶け込めるよう色々手伝ってたんですけど、どうもそれが負担だったみたいなんですよねぇ。結局学校に来なくなって転校しちゃったんですよ」


 佐藤の言葉を聞いていた俺は、すんでの所で殴りかかる所であった。少年時代の俺であったなら、きっと顔面に拳を叩き込んでいたことだろう。心の中でふつふつと湧き上がる怒りを必死でこらえながら、佐藤から必死に同級生たちの近況を聞き出していった。

 しばらくして怒りが収まると、今度は嘲りの心が生まれた。佐藤曰く、かつてのいじめグループは皆それぞれ普通に暮らしているらしい。特に主犯格であった鴨井という男は結婚していて、妻が妊娠中だという。幸福の絶頂から、不幸のどん底へ……あまりにも出来すぎた復讐劇だ。


 俺は商工会議所が進めていたハロウィンイベントを、奴らの墓場にすると決めた。復讐対象を一度に集められそうなイベントはここしかない。未来の命は、持って十二月までだ。タイムリミットを迎える前に、何としてでも復讐を遂げねばならない……


 最初と二度目の殺人は、上手く行きすぎるほどに上手く行った。心優しい未来のことだから、途中で人殺しを躊躇うかも知れない、などと思ったが、それは杞憂だった。未来は持てる憎悪を全力で叩きつけて、二人の男を地獄に突き落としたのだった。


 ……そうして今、最後の一人、鴨井を追い詰めた。絶対に逃がすわけにはいかない相手だ。

 奴の罪は、連中の中で一番重い。だからこそ、その重さに応じてたっぷりと恐怖と絶望を味わってもらうつもりであった。けれども、それが良くなかった。天運が奴の味方をしたせいで、脱出を許してしまった。

 ……けれども、絶対に俺は諦めない。俺の命がどうなろうと、それは最早問題ではない。俺と未来の二人で、必ずこいつを地獄に送ってやるんだ。

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