とある夏の思い出。

海鼠さてらいと。

なつのおわりのものがたり

日本の、何処かの田舎街。

空は蜜柑をぶちまけたような橙色に染まっている。どこか遠くの方から「「カラスと一緒に帰りましょう」のメロディが聞こえる。そんな中、2人の少女はちんまりとした公園のベンチの上に座っていた。辺りに他の人は誰もおらず、ここには2人だけの時間がゆっくりと流れている。

「ねぇ、マイ」

黒髪の少女が声をかけた。マイと呼ばれた茶髪の少女は、俯いたまま反応しない。

「·····マイ、わたし」

「いわないで」

マイは黒髪の少女の·····エミの言葉を強く制止して。雨が降り出しそうな顔を隠すようにエミから目を背けた。エミは言葉を返せず、悲しげなヒグラシの鳴き声だけが場を満たす。

「·····ごめん、マイ。でももう、かえらなきゃ。みんながしんぱいしちゃうよ」

静寂にいたたまれなくなったエミはそう言って、申し訳なさそうに立ち上がる。

「ねぇ、エミ」

マイは俯いたまま、震える声で。

「いなくなるって、どんなきもちなんだろう」

湿った声でそう、質問した。

「わからないの。いなくなったらどうなるの?もう·····あえなくなるの?」

「·····マイ、それは……」

エミは返答出来ない。悲しそうな目をしたマイをなんとか元気づけようと他の話題を探す。そしたら、たまたま視線が隅っこにある古い看板に向いた。

「エミ?なにみてるの?」

マイは立ち上がり、看板にセロハンテープで雑にくっつけられた紙を読む。

夏祭り。所々よれた紙には派手な色のマジックペンで花火の絵が描かれていた。

「これ、あさってだってさ」

「あさって?」

「うん。もし良かったら·····」

2人の少女は同時に頷いた。お互いに少しでも思い出を作りたかったから。二人は右手の小指を出すと、固く絡ませた。

「あさって、わすれないでね」

「うん、わかってる」

少女達はそう言い、名残惜しそうにお互いの帰路を歩んでいく。

夏が、秋に染まりつつある夕暮れの出来事だった。




それから二日後。


ピンポーン.......ピンポーン.......


錆び付いたような無機質な音が、赤い夕暮れの空に響いて溶け込んだ。マイは二階建の家の前に立ち、暇そうな顔をしながら茶色の前髪を人差し指でくるくると回している。


反応が無いので、もう一度。


二度目の呼出からしばらくして。

家の内からバタバタと慌ただしい音が聞こえたかと思うと、ようやく扉が開いた。

「·····もぉっ、おそいよ、エミ」

マイは、むぅと頬を膨らませる。この日の為にとっておきの白いワンピースを着てきたから、早くエミに見せたかったから。エミはマイに申し訳なさそうに微笑んだ。

「ごめんごめん、またせちゃったね」

「いいよ.......ぐあいはだいじょうぶなの?」

「うん、きょうはげんきだよ」

エミはそう言い、いつものようにマイに右手を差し出す。

「いこっか。もう、おまつりはじまっちゃってるもんね」

「うんっ」

二人の少女は、手を繋ぎながら街を元気よく駆けていく。2人にとって今から向かう神社で催されるお祭りは特別なものだ。

もうすぐ夏が終わる。マイにとって、夏が終わった後は決まって嫌な気分になる。首を垂れて萎れたヒマワリ、地面に転がるセミの死体達。夏の間元気いっぱいに輝いていた生き物達が、夏が終わった途端に居なくなるのを見ると、いつも悲しくなる。

これが終われば、次は来年。

それなら、それなら。大好きな友達と思いっきり楽しまなきゃ。マイはそう思いながら足を進める。マイにとってエミは唯一の、そして最高の友達だ。この夏休みも海に行ったり、一緒に宿題の教え合いっこをしたり。

夏休みの1ヶ月半を楽しく過ごしてきた。エミは体が弱いから海には入らずに砂浜で遊んだけど。

マイの手に無意識に力が入る。

「マ、マイ?どうしたの?ちょっとてがいたいよ」

マイははっと手を離す。

「ごめんね!つい……」

「ううん、だいじょうぶ」

二人は目的地につくまで沢山話をした。そうしてようやく辿り着いた頃には、空は既にオレンジ色を越えて紫がかっていた。二人でお祭りを沢山楽しんだ。お互いお小遣いの500円玉しか持ってなかったから、どこで使おうかなぁと話しながら屋台を練り歩く時間が大半だったけれど。1時間程回った結果、二人の500円玉はりんご飴とわたがしに変わった。思い切ってくじ引きもやってみたけど、二人とも残念な結果に終わってしまった。

お祭りも終わり、二人はすっかり暗くなった夜道を、お互いを感じながら歩いていた。

「きょうはたのしかったね!」

大きなりんご飴を頬張りながらエミは笑った。

「うん、たのしかった」

マイはそう言いつつ、まだ頭の中ではお祭りの、夏の余韻に浸っていた。本当はまだ帰りたくなかった。ずっとあそこに居たかった。エミとの楽しいお祭りの雰囲気のまま時間が止まってしまえばいいとさえ思った。そう思っていると。

次第に、ゆっくり。マイの心の中に影が差す。夏が終わる。夏が終わったらエミは。


……私はエミの病気についてあんまり知らない。

でも……春にお見舞いに行った時、深刻そうな顔で大人達が言っていた。恐らくエミは年を越えられないって。

そしたら私はもう、エミと楽しい毎日を過ごせなくなるの?そんなこと·····考えられない。

「……こわい、こわいよエミ」

マイの口から、か細く言葉が漏れた。

「マイ?どうしたの?オバケなんかいないよ」

暗い夜道に怯えたのかと思ったエミは、マイの手を優しく握る。マイはエミの手の優しい暖かさを感じて、少しだけ安心する。それと同時になんともいえない.......怖いような、切ないような感情が沸きあがる。

「オバケ…それもそうだけど、ちがうの」

マイは頭の中に浮かんだ感情を必死に選び、たどたどしく言葉にしていく。

「わたし.......。おおきくなるのがこわい。なつがおわるたびに、たいせつなものがなくなっていくきがして、こわいの」

マイが表現出来る言葉はこれが限界だった。エミは怯えるマイをじっと見つめている。その目すら、今のマイにとっては怖いものだった。夏が終われば、セミの命もお祭りも、大切なエミもどこかに行ってしまう。そしてその夏の記憶は次第に薄れていく。だとすれば、いずれエミはマイの事を忘れてしまうかもしれない。

「わたしもあのセミみたいに.......エミにわすれられちゃうの.......かな.......」

「……マイ」

長い静寂の後、エミはゆっくりと口を開くと。

「わっ.......エミ」

エミは、マイを優しく抱き締めた。

「だいじょうぶだよ、マイのこわいものは、わたしがなくすから」

「え、エミ.......でもエミは!」

エミの優しい言葉に、マイの視界が滲む。怖いものが無くなったわけじゃないけど、お母さんの隣で寝ている時みたいな安心感に包まれた。でもこの安心感だってずっと続く訳じゃない。そう思うと余計にエミの恐怖が増す。

「なかないでよマイ、わたしはマイとずっといっしょだよ.......ずっとだよ」

エミはマイの頭をくしゃくしゃと撫でる。いつもよくされてる事だった。苦手な算数のテストで100点を取った時も、お化け屋敷でエミとはぐれて泣いちゃった時も、エミが乗ってる病室のベッドの傍で泣きそうになった時も、エミはそうしてくれた。いつもエミの方が大変なのに、エミの方が辛くて、痛いのに。

マイはその手にいつも勇気を貰っていた。

「エミ.......でもいやだ。いやだよ!エミ!いなくなっちゃやだよ!!」

身体中に優しい温もりを感じて、その温もりが更なる涙を呼び込んで。マイは流れる涙を拭いた。でも、拭いても拭いても次から次に流れ出す。こんな気持ちになったのは生まれて初めてで、気持ちの洪水が止まらない。

「マイ……そうだ!」

しばらく困ったような顔をしていたエミはそう言うと、おもむろに持っていたナップサックの口を開ける。その中からペンダントを取り出した。マイの好きなウサギの形をしているそれを、そっとマイの右の手のひらに乗せた。

「これ、マイにあげるね」

「え……どうして?」

「ごめんね。わたしはマイとずっとはいっしょにいられないかもしれない。でもそのときは、このこがわたしのかわりだよ」

そう言うと、エミは目いっぱい笑った。

「エミの.......かわり.......」

マイはエミの言葉を飲み込むように呟く。マイの手のひらに収まっている小さなそれは、本物のエミみたいに暖かく感じた。

「……ありがとう、ごめんね」

マイは左腕で溢れた涙を拭う。こんなに沢山泣いて、マイはあかちゃんみたいだなって思ったけど、恥ずかしくてとても口には出せなかった。

「もうかえろっか」

エミはいつものように笑ってマイに手を差し出す。マイは右手で小さなエミを握りしめ、左手で大きなエミの手を取った。いつの間にかマイの心の中からは、あのなんともいえない喪失感のような恐怖は無くなっていた。二人の少女は、綺麗な三日月と消えかかった街灯だけが照らし出す暗い夜道を、穏やかな気分でゆっくりと歩いていった。


そうして、二人の夏が終わった。

時が流れ、冬の気配を感じる頃。

私の大切なマイは、私の傍で静かに眠りについた。

最期まで、私の手を握りながら。



ーーーーーーーー


今日は8月29日。大学3年生になったマイにとっては憂鬱な時期だ。夏休みが終われば本格的に忙しくなってしまう。昔から友達が少なく、他人と話すのが苦手なマイにとって、これは厄介な問題だ。それ以前にまだ課題が残っているし、その期日まで僅かな日数しかない。

「ん.......あぁーっもう」

精神的に追い詰められたマイは気分転換代わりに思い切り窓を開け放った。途端に入り込んできた涼しい風に混じって、薄い夏の香りが漂ってきた。そういえば少し前まで喧しく騒いでいた蝉の声も、最近はめっきり聞こえなくなっている。

「憂鬱だな……」

溜まっていた感情がつい口に出た。夏の終わりは本当に嫌だ。虫が大の苦手なマイにとって、玄関やベランダに蝉の朽ち果てた死体が転がっているのを見るのは本当に苦痛だ。

それに、夏が終わる時のこの喪失感はなんなのだろう。


この喪失感には覚えがある。

私は何かを忘れているような。


マイの手が止まった。脳の海馬を後押しするように強い夏の風が吹きつける。

「.......エミ!」

あぁ、そうだ……そうだった。

この喪失感はあの時感じたものと同じ。マイは急いで勉強机の引き出しを開ける。少し埃を被っていたが、そこには。

あの夏の思い出は、確かにそこにあった。

「……エミ」

その名前を口にするのは何年ぶりだろうか。あの時はあんなに泣いたのに、あんなに辛い思いをして、心にぽっかりと大きな穴が空いて、しばらく何も考えられなかったのに。どうして忘れてしまっていたんだろう。無くしていた、いや、きっと辛くて思い出すのを辞めていた記憶が、次々と息を吹き返していく。

「エミ、ごめんね。エミは私の事忘れないって、そう言ってくれたのに、私.......あなたに支えられてばっかりだったのに。それなのに、今まで忘れてしまっていたみたいだよ」

懐かしいウサギのペンダント。あの時感じた恐怖を消してくれたエミのペンダント。マイはもうどこにも居ないエミにギュッと抱擁するように、両手でそれを握り締めた。


「……怖がってちゃダメだよね」

そう呟くと、手のひらに納まった冷たいはずのペンダントが、あの時みたいに暖かい熱を持ってマイを励ましている気がした。

「わぁっ」

ビュッと、窓を開けた外から風が吹き、マイの後ろ髪をはためかせた。風になったエミが元気付けに来てくれたような気がした。

「エミ?そこにいるの?」

そう言って振り返るとあの時のエミが居て。

私がついてるよって右手を差し伸べてくれてる。あの時の優しい笑顔がそこに在る。

そんな奇跡を願って、振り返った。


……そこにはただ、店仕舞いを始めた夏の景色が拡がっていた。


風の音に交じったヒグラシの悲しい声が、どこかから聞こえてきた。


またね。


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とある夏の思い出。 海鼠さてらいと。 @namako3824

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