第11話 あなたの顔も思い出せないけど

 天気予報の通り今日もよく晴れてた。今日の気温は高いらしく、9時過ぎに店を出た頃にはぽかぽかと日差しが土を温めてる。

 小鳥たちも元気がいいようで、店の裏に集まった雀達は白鳥の手元から撒かれるパンくずを嬉々として啄んでた。


「…やたら寄ってくると思ったらあんたが餌やってたんだ。」

「かわいいでしょ?」


 ぴよぴよと高い声で鳴く雀達は、喧嘩しないようにと大量にばら撒かれるパンの欠片を仲良く嘴に運んでる。ぴょんぴょん飛び跳ねて移動する姿は確かに愛らしい。


 小鳥と自分たちの朝食を終えて、車に向かう道中、杖をついたおばあちゃんがゆっくり店に歩いてきてるのを見つけた。


「あら、お久しぶりです。」

「おはよう。今日はお休みかい?」

「ごめんなさい。今日は港中央区に行かないと行けなくて……」

「ああ、そう。残念ねぇ。」

「しばらくいらっしゃらなかったからどうしてたのかなって思ってました。お元気そうで。腰はもういいんですか?」

「おかげさまでねぇ。教えてくれたお医者さん、本当にいいとこだったよぉ。」

「良かった。」


 おばあちゃんは白鳥と仲良さげに話してた。会話からして常連さんだろうか。昨日も誰も来なかったけど、お客さんも居るには居るようだ。


「こちらは?」

「ああ、旦那です。」


 サラリと鮮やかに嘘を吐いてのける白鳥。澱みなく流れる戯言におばあちゃんはすっかり信じた。


「あら、知らなかった。まぁおめでとう。」

「違います。昨日から店で働いてる者です。」


 隣の白鳥の頭を軽く叩く。笑みを浮かべた口元から舌を覗かせていた。


「まぁまぁ、よかったねぇ。ひとりじゃ大変だろうから…お名前は?」

「黒井と言います。よろしくお願いします。」


 頭を下げる俺におばあちゃんはニコニコと孫でも見守るような笑顔を返してくれた。



「--あの人は?」

畠田はたけださん。近くに住んでてたまに来るんです。」


 隣で車を運転する白鳥が教えてくれた。


「……たまにはお客さん来るんだね。」

「たまにはとは失礼な。」


 自分で言ってたじゃないか。


 北桜路市役所までは都市高速を飛ばして40分ほど。コンビニで買ったコーヒーを飲みながら車に揺られる。


「……引き取ってどうするんですか?」


 隣から不意にそんな質問が飛んできた。俺はしばらくの間を置いてから小さく返す。


「ちゃんとお墓に入れるよ…」

「ふぅん。」

「……白鳥。」

「はい?」

「……やっぱり知るべきことは知っておくべきだと思う。」


 独り言のように呟いた意思表示は、彼女の耳に届かなかったのか、前を向いてハンドルを握る白鳥からはなんの反応もなかった。それが俺を不安な気持ちにさせた。


 あの夜白鳥は問うた。過去を追いかけて今を捨てるか、背を向けて今を生きるかと。

 あの時白鳥の手を取った俺は過去を捨てる決断をしたんだ。今を生きるなら私と生きようと、白鳥は誘ったんだ。

 俺の発言はもしかしたら彼女を不快にさせたかもしれない。


 --死にたくなった?


 真っ暗な二月川で白鳥は言った。

 俺は過去を取り戻したら死にたくなるんだろうか。もしその衝動に駆られたら、彼女との約束を反故にするんだろうか。


「……那雪菜月でしたっけ?」


 しばらくの沈黙の後に白鳥は彼女の名前を口にした。無感情に起伏のない白鳥の声にドキリとした。


「……まぁいいんじゃないですか?」


 次に口から零れたのはそんな拍子抜けするような台詞だった。その声はいつもの少女のような弾む声音。


 安堵した反面、俺はなんでこの人と一緒に居るんだろうって考えてしまった。

 俺は過去と今と、どっちが大切だろう…


「……なぁ白鳥。」

「はぁい?」

「もし、記憶が戻って俺がまた死にたくなったら、止めてくれるかい?」


 俺の頭が言葉を整理するより先にそんな馬鹿な台詞が口から勝手に流れ出してた。

 白鳥はすぐに驚いたように目を丸くして俺の方を見た。一瞬のことですぐさままた前を向いて運転に戻ったけど、笑顔ばかりの彼女の表情の変化に俺は安心感みたいなものを感じる。


「……止めて欲しいなら止めてあげる。」


 煙草の煙を吐き出すみたいに白鳥は小さく開いた唇で告げた。


「でも、どうしても死にたくなったら、仕方ないですね。一緒に逝きましょう。」


 ほんの少しだけ開けた窓から吹き降ろす風が、俺の長い前髪を揺らす。視界を覆うように垂れた黒いカーテンの向こうで、当たり前の町並みが見えていた。


 彼女は--白鳥柊奈は、いつも甘い毒を吐く。

 近いようで遠い気がする、親しいようで他人のような彼女は、優しく優しく俺を締め上げた。

 彼女はきっと毒蛇なんだ……



 市役所に着いた頃には11時を過ぎてた。


 役所の職員から色んな説明とか受けて手続きをして、遺骨を引き取った。

 両手に抱えた薄ピンクのカバーに包まれた骨壷は、思ったより全然軽くてこの中に母さんが居るって言われても全然ピンと来なかった。

 触れた手に伝わる温度は冷たくて、俺が産まれた時は俺を抱いてくれたんだろう母さんを、こうして抱えてたら無性に胸が苦しくなった。


 ねぇ、母さん……

 あなたはどうして死んだの?

 どうして俺を置いていったの?


 嘘だ。きっと置いていったのは俺だ。身勝手だけど、それでも言って欲しかった。

 お前のせいじゃないよって……


「……ごめん母さん。」

「--ただいま。」


 もしかしたら、俺があとほんの少し強かったら、あなたにちゃんと言えたのかな…?


 *******************


「……大丈夫です?」


 市役所の駐車場で、車の中で遺骨を抱える俺に白鳥が尋ねる。顔を覗き込んでくる彼女の視線は、憂いを帯びたように俺の顔色を伺ってた。


「……ん。」

「いきなり死にたくなってません?流石に早すぎです。」


 普通この場面で普通の人はこんな冗談は言わないのだろう。ただ、この人のかける言葉は俺にとっては何時でも甘く痺れる毒だから…


 逃げたかったら逃げてもいいって言うし、怖いなら一緒にいてあげるって言ってくれる人…

 もっと弱い所を見せたら甘えさせてくれるのだろうか……?


「まだ平気。腹減った。」


 膝に骨壷を置いて俺は口端をあげた。俺の顔を見て白鳥も薄ら笑った。


「笑顔は初めて見ましたね。」

「……そうね。」

「ご飯、何食べましょう?」


 白鳥がスマホで検索したら、近くに評判のいいステーキ屋さんがあるらしい。そこに車を走らせた。


「白鳥。」

「はぁい。」

「那雪菜月の作品ってどこで買えるのかな?」

「う?那雪菜月?」


 視界をすり抜けていく町の人々を眺めながら、考えた。

 俺が過去を追う意味を…


 真実のため。那雪菜月が本当に俺と死んだのか…藤城の言うように、彼女の遺族の為にはっきりさなければいけない…

 そんな使命感とは別の感情が、膝の上の骨壷からじわりじわりと滲み出すように心のスポンジに染みていく。


 この人のことを知りたいと思った。

 俺を産んだ人が、どんな人で、どんな顔で、どんな風に俺を愛し--あるいは愛さず、育んでくれたのか。

 どうして居なくなったのか…


 もうあなたの口からは聞けないけど、あなたを死なせたのは俺なのか…

 知りたいと思った。その為になにかひとつでも思い出したいと思った。

 思った途端駆られたら焦燥はそのまま口からぬるりと滑り出してかたちを成していた。


 白鳥はちょっと困ったように遠くに視線を投げてから、口を開いてくれた。


「買ったら高いと思いますよ?特に…彼女、結構売れっ子だったようですし、もう作品は発表されない訳ですからね…」


 芸術家の作品は死んでから価値が上がっていくっていうあれだろうか…気分が暗くなった。


「……買うのは難しいけど、見るだけなら。」

「?」

「那雪家はこの市の産まれですから、記念館があったと思いますよ?」



 記念館に行く前に腹ごしらえ。

 それぞれヒレステーキのレアを300グラム。評判がいいだけあって店の中はお客さんでいっぱいだった。


「うちと違って繁盛してるな。」

「お、嫌味ですか?」


 熱々の鉄板でやってきたステーキを二人してもぐもぐ食べる。男なら300くらいはぺろりだろうけど、小柄な白鳥も小さな口をいっぱいに開けて肉を頬張ってた。


「……意外と食べるんだ。」

「お腹空いた。運転疲れたので。」

「……俺も免許、取ろうかな。」

「もし取ったら景色のいいところ、連れて行ってくださいね?」


 恋人にせがむ彼女みたいにニッコリ笑う彼女の顔に、つかの間胸にわだかまってた重い感情を忘れた。


「白鳥は、鍛冶山区の産まれって言ってたけど……」

「え?言いましたっけそんなこと。」

「え?言ってなかった?田舎で喫茶店やるのが夢だったとか……」

「ふぅん。その時の私がそう言ったなら、そうなんでしょうね。」

「……嘘なの?」

「さぁ?」


 やっぱりこの人のことは分からない。


「……ご両親、どんな人だったの?その…もし良ければ、聞かせて欲しい。」

「死んだ人のことは忘れました。」


 あまりにも淡白に言い放つものだから思わず彼女の顔を見つめた。白鳥は親への情の欠片もない一言を言い放ちながら、もぐもぐとリスみたいに頬を膨らませて肉を食べていた。


「……聞かない方が良かったな。ごめん。」

「ふふ、あなたが記憶を取り戻したら、教えてあげますよ。」


 そんなふうに笑う彼女の言葉に俺はまた寄りかかった。

 白鳥は俺のしたい方向の前にいつも立つ。絡め取って引きずり込むように、俺に俺の事を委ねながら引っ張ろうとしてる。


 全部思い出して死にたいって言ったら彼女はまた笑うんだろう……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る