第9話 目の前の普通

 ……もしかしてこれ、同棲?

 今更すぎる気づきの中で黙々と掃除を行う俺が初仕事を終わらせたのは白鳥が帰ってきたのと同時だった。


「ただいまぁ。掃除終わったぁ?」

「……うん。」


 元々対して汚れてもない木造の店内を買い物袋をぶら下げた白鳥がふむふむと見回してる。袋から飛び出たネギと大根が彼女とはミスマッチ。


「まあいいでしょう。じゃあ今日の仕事は終わりです。電気消して。」

「終わり……」


 わずか20分で終了した初仕事を終えて俺は一旦自室に上がる。制服からクローゼットにかかってた適当な服を着て下に降りる。


 1階の引き戸の向こうはやはり台所みたいだ。コンロの前で白鳥が鼻歌を歌いながら料理してる。

 壁にかかったやたら古そうな柱時計は18時半を指している。腹が減ってくる時間だ。


 食事の支度をしてくれる人がいる。その背中を眺める…

 目覚めてから目の回るような環境変化の中に身を置いていた俺にとっては、そんな“日常”とでも呼ぶべき光景がなんだか逆に非現実的に感じた。


 ……昔はこんなふうに、母さんの背中を見てたんだろうか。


 じくりと胸を刺す痛みを感じながら俺は白鳥の背中を眺めてた。


「ん?」


 そんな視線に気づいたのか白鳥はくるりと長い髪を揺らしながら振り返った。小さな三日月型を形作る唇の演出する笑顔はお母さんというより恋人とか新妻って感じ。


 ……何考えてんだろな。


「……いや、なんかすること。」

「ないな〜。寝てていいですよ?」


 との事。

 することがないなら突っ立ってても仕方ないので、俺は大人しく引き上げようとする。


「憐ちゃん。」

「ん?」

「今日おでんなんですけどおでん好き?」

「……うん。」

「良かった。」


 弾むように笑う声。なんだかずっと昔から当たり前に繰り返されてきたやり取りみたいに感じた。


「あ、そうだ…パソコンとかある?」


 呼び止められたついでに俺は白鳥に尋ねてた。俺は藤城から貰った携帯データを見てみようと思った。


「私の部屋にノートパソコンありますよ。勝手に持ってってください。パスワードは『syuunatyan』ね。」

「あいよ。」


 軽く返事をしてから気づく。俺部屋に入っていいの?


「……気にしすぎか。」


 階段を登って行って俺の部屋とは反対の扉を開ける。


 部屋の広さは同じでベッドとクローゼット、俺の部屋より若干大きめなテレビが置かれてる。あと、小さな冷蔵庫がベッド脇に設置してあった。カーテンは一緒。窓際には小さな木製の机と椅子が置いてる。

 俺の部屋よりものが多いからか心做しか狭く感じた。


「……いい匂いする。」


 部屋を漂う花の香り。机の上に置かれた花瓶から顔を出すピンクの花だろう。


「……ルクリア、だっけ?」


 たしかアカネ科の常緑の低木。アカネ科と言えばコーヒーノキが有名だ。


 ルクリアの花が見下ろす先に言っていたノートパソコンがあった。15インチの大きめなタイプだ。


「……あ。」


 持ち上げて部屋に戻ろうとして気づく。横についてる端子がUSBじゃない。明らかにサイズが違う。


「あれ?…使えない?」


 困った。いつからこんなんなったんだ?


「憐ちゃ〜ん。」

「うおっ!」


 突然下の方から声がしてびっくりした。危うくパソコンを落としかけた。

 どうでもいいけどその呼び方慣れない…


「パソコン分かりました?」

「うん。」

「先お風呂入ってください。ご飯もうちょっとかかります。」

「うん。」


 とりあえず使えないならしょうがない。俺は下に降りて階段横の扉を開ける。

 特に説明されてないけど多分ここが風呂場だろうという憶測は当たり、扉の先にはトイレの扉と、脱衣場、それに風呂場の扉があった。

 脱衣場の洗濯カゴには既に俺の着替えと思われる下着類が入ってる。扉の隙間からちらりと台所を覗いたら、白鳥は慣れた手つきで包丁を扱ってた。


「……。」


 なんだか拍子抜けするほど普通の光景。さっきも思った当たり前を目の前に、俺の体はまだ環境に追いつかない様子で、なんだか服を脱ぐのにももたついた。


 ********************


 夕食は20時を過ぎた。

 呼ばれて食卓に向かうと、木のダイニングテーブルの上におでんと白米と味噌汁が用意されてた。

 なんだろう。俺の中で洋風喫茶なイメージがまだある白鳥の家でおでんとご飯が出てくることに違和感があった。


「ビールでいいです?」

「え?あ…うん。」


 業務用と思われる大型の冷蔵庫から瓶ビールを二本とビールジョッキを手早くテーブルに並べる白鳥。多分あの冷蔵庫は店に出す食材も備蓄してるんだろう。


 明日から色々覚えないと……


 そんな呑気な日常の雰囲気に呑まれながら俺は箸を取る。


「いただきます。」

「…いただきます。」


 早速ジョッキにビールを注ぐ白鳥がそれを豪快に呷る。なんだろう、やっぱりイメージと違う。


「…俺酒飲めるのかな。」

「ん?ダメですか?」


 よく冷えたジョッキにビールを注ぐ。手に伝わる感触が冷たい。どうなんだろう。おでんだったら日本酒とかのがいいのかな…?


 透明なジョッキの中で揺れる琥珀色の液体を一気に流し込む。舌の上に広がる苦味に、不思議と拒否感はない。


「おー、いい飲みっぷり。」

「……俺、やっぱり不良だったのかな?」


 酒も煙草も問題なく飲めるし吸える。2年間寝たきりだった俺の最後の歳は18歳のはず…


 ちょっとだけ不安になりながらおでんをつつく。柔らかくなった大根も、ちくわも、牛すじも味が染みていた。


「美味しい?」

「……うん。」

「そうですかぁ。ふふ…良かったぁ。」


 皿に取り分けたおでんに手をつけない白鳥がそうやってしばらくじっと俺が食べるのを眺めてる。微かに桜色に赤らんだ頬が吊り上がる口角に押し上げられ柔らかそう。

 というか食べにくい。


「……食べたら?」


 俺に言われてようやく白鳥は自分のおでんに箸をつけた。



「--明日から店に出るの?俺。」

「はい。」


 おでんの汁に舌をやられながら俺は問いかけ、白鳥は返す。


「心配しなくてもお客さん来ないので。」

「……大事なお得意様が従業員になったもんな。お客さん来なかったら利益は?俺の給料は?」


 よく考えたら、俺は二度しか訪れてないけど俺が来た時いつも店はすっからかんだったし、誰も来なかった。

 この店は利益が出てるんだろうか…いや出てるはず。じゃなきゃ経営できないだろう。

 それにしても立地等を考えれば集客率は良くなさそう。俺の給料はいくらなんだろうか?


 行くあてもなく沈んでたところで誘われたものだから、考えもせずに働くことになったが……


「お給料から食費、光熱費、家賃等引くので多分ゼロですね。」

「おい、てか、利益は?1日の売上いくらくらい?」

「ゼロですね。」

「おい。」

「あはは。いいじゃないですか。つまり家賃食費光熱費はタダってことです。」

「俺もタダ働きじゃん?」

「仕事もないですけど。」

「さっき掃除した。」


 この店の経営が謎だ。まぁ白鳥も趣味でやっているとは言っていたが…

 コロコロ笑う彼女を前に「まぁどうでもいいか。」と思うのは、帰る家と、温かい食事のせいだろうか。

 こんなふうに人と食事をするのは久しぶり--というか、記憶が無いから実質始めてだ。


 ……ただ、こんな温かい気持ちは、俺の心には初めて染みる感覚に感じた。

 時間のせいか…もしかしたら本当に初めての経験なのか……

 熱い卵をビールで流し込んで、俺は考えるのをやめた。


「この店は白鳥が開いたんだよな?いつ頃から?」

「一年くらいですかね……」

「へぇ…売上ゼロでよく続けられてるね。」

「生活のことは心配しなくていいですよ?私、お金持ちなので。」

「……お金持ち。なにか他に仕事を?」

「いいえ別に?ただ、お金持ちなんです。じゃなきゃ道楽でこんなお店やれません。」


 内容をはぐらかす白鳥にはまだ謎が多い。ただ、実際生活に困窮してるようには見えない。

 ひとつ気になるのは……


「……客来ないなら従業員いらないよね?俺、タダ飯食らって部屋貸して貰えるの?なんか他に--」

「憐ちゃんの仕事はここでたま〜に来るお客さんの接客とぉ…私と一緒にいることです。」


 俺の言葉を遮って念を押すように強くそう言う白鳥は、俺の鼻先に冷たい指先を押し当てて至近距離から目を見つめてくる。


「あなたは、私と居てくれればいいの。」

「……なんで?」


 いつかの会話の蒸し返しのような気がしたけど、俺は尋ねてた。

 のらりくらりと俺の手を逃れるように本心を見せない彼女の姿に、俺は不安に似た感情を抱き始めていたのかもしれない。

 ただ、それと同じくらいに、この空間が、時間が甘い毒となって俺を縛ってる。


 あの時、あの川で彼女が刺した甘言からずっと……


「……あなたも私も、ひとりぼっちだから。」


 赤い瞳に映り込む自分を見つめた。取り込まれたように俺は彼女を見てた。


 優しい人なんだって思った。でも違うのかもしれないって思った。

 俺の見つめる彼女の目は、空っぽに見えた。もしかしたらそれは、彼女の目に映る俺の目だったのかもしれないけど……


 ********************


「明日も早いのでもう寝ましょうか?」


 白鳥は風呂から上がってすぐにそう言った。

 パンツとタオル一枚で。


「うわあっ!?」

「なにか?」

「服着てよ!?」

「ああ…暑いから。私家では裸族なので。」

「ふざけんな風邪ひくって!あと今日から俺居るから!勘弁して!」

「あっははっ。紳士ですね。」


 台所の椅子でひっくりこけかける俺に白鳥が火照って赤い身体をずいっと寄せてきた。タオルと髪で辛うじて隠れた豊かな双丘と、黒いパンティから伸びる生脚……


「ん〜?若い男女が2人きり…何も起こらないんですか?」

「お前の情緒が分かんない!!」


 バタバタと逃げ出す俺に白鳥は楽しそうに笑ってた。本当によく笑う人だ。

 いっつも口元に笑みを浮かべて、何かある度言う度笑ってる。とても自分をひとりぼっちだなんて言う人には感じない。


「寝る!おやすみ!!」

「おやすみなさい。あ、そういえばパソコン、何に使ったんですか?」

「え?いや…使おうと思ったんだけど…あ、もうちょっと借りていい?」

「エッチなサイト見たらダメですよ?」

「見ない!」


 白鳥に見送られながら階段を駆け上がる。二度目にして当たり前のように扉を開いて乙女の寝室に侵入する俺はノートパソコンを手に取って自室に入った。


 部屋にはエアコンが一応ついてるのに気づいて俺は暖房をかけた。まだ夜はひどく冷え込む。エアコンの温風だけで、無料宿泊施設にいた俺には感動ものだ。ただ、勝手につけて良かったのかという遠慮がまだある。


 パソコンを借りたのは調べ物があったからだった。


 俺はベッドに寝そべりパスワードを入れてロックを解除し、検索ウィンドウを開いた。USB端子がなくなってもノートパソコンの操作は寝てる間に変わってない。一安心。


 俺はキーボードをタイピングしていくつかのワードを入力した。


『鍛冶山区 女性 自殺 二年前』


 母さんのことを少しでも知ろうと思った。あの日白鳥に過去ばかり追うなと言われたのに、俺はまだ過去を捨てきれてなかった。

 これは、せめてちゃんと知っとかなきゃいけないと思ったから。


 検索したらいくつかの記事がヒットした。大概関係の無いものばかりだったが、しばらく見てたらそれらしい記事を見つけることができた。


 --12月30日午後8時、北桜路市内のアパートにて黒井奈美さん(37)が自室にて首を吊って亡くなっているのを、桜警察署職員が発見した。奈美さんは同月23日に息子(18)が川で溺れ現在意識不明の重体で、警察は自殺とみて--

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