石楠花

lampsprout

石楠花

 遠い明日、如何に貴方が栄えようと。

 けして私たちに敵いはしない。

 美しく拐かす幻の、私たちには敵わない。



 ◇◇◇◇



 高い高い、塔の上。国を覆い尽くす無機質な高層ビルとは空気を異にする場所に、私の職場はあった。

 それは随分昔に造られた、石造りの塔だった。壁面には、希少な蔦植物が這っている。きっと国中の誰も、この植物の正確な名前は知らないだろう。


 私の職務。それは遠い昔に絶滅した草花の研究だ。一時は30万種ともいわれた維管束植物の9割が絶滅した現在、空気の循環や浄化は最新式の全自動装置が担っている。

 だから、私の研究は一応由緒があるが時代遅れであり、何の役にも立たないといえるだろう。なぜ未だに僅かとはいえ研究費が支給されているのか、疑問に思うほどだ。存在を知る者も少なく、数年に一度しか視察は入らない。随分ずさんな管理だと思う。

 また、塔の温室では様々な植物を一度に栽培している。区域毎に温度や湿度の細かな調整が可能だからそうしているが、それが植物を絶滅に追いやった科学技術の恩恵だというのは、何とも皮肉なものだった。



 ところで、私の根城については変わった言い伝えがあった。『芳しさに呪われるな』、という文言だ。

 呪いという言葉の元と思われる話は先代から聞いており、何でもこれまで数多くの研究員が失踪しているということだった。けれど幸い、この何十年かは失踪騒ぎは起きていないらしい。


「それだけ聞かせて、私にどうしろと」

「……君は、何とも思わないのかい」

「手の打ちようが無いですから……」

「まあ、用心したまえよ」


 引継ぎの日、彼はそれだけ言うと逃げるように帰ってしまった。余程この仕事から、というより塔から逃げたかったらしい。

 あれから結局、芳しさについては分からないままだ。香りの強い花ばかり植えていることは無いため、何故そんな話になったのか謎めいている。そもそも毒草ならいざ知らず、芳しい花に呪われるとはどういう意味か。



 そんな私は数ヶ月間、世界中の化石を探索していた。原生の標本を採ろうとしても、最早ほとんど枯れ果てているからだ。同じような研究をする人間は世界でも数えるほどしかいないため、何もかも自分で手配するしかない。

 旅の間、早く慣れ親しんだ彼処に戻りたかった。私を待つ草花を愛でたかった。いくら設備を整えているとはいえ、見回りなどいないのだから状態が気掛かりだった。



 ◇◇◇◇



 夕刻、漸く帰りついた研究所。その中でも、私の城とも呼べる温室に私は真っ先に立ち寄った。

 血のように赤黒い夕陽が、私の背から硝子戸へ射し込む。逆光を浴び、私は静かに古びた扉へ力をこめた。



 ◇◇◇◇



 ――部屋へ飛び込んだ私を待っていたのは、異様な光景だった。

 春に咲くはずの、シャクナゲの花。

 初秋だというのに、その花たちが目の前に狂い咲いていた。だが私は、シャクナゲなど此処に植えた記憶は無い。

 目も眩む桃色に、噎せ返るような香り。暴力的な美しさに私は圧倒されてしまった。これほど見事に開花した様子を、私はこれまで見たことがなかった。

 素晴らしき叡智をもってしても、文献にあるような景色を再現できたことなどは無いのだ。幻想的な花畑など、遥か昔に御伽噺と化したのだから。


 そして、その私の温室に、見知らぬ糸車がひとつ。酷く時代錯誤で、古文書にしか見当たらないようなそれは、至極当然のように、不自然に部屋の中心に鎮座していた。

 奇妙に思いながら、私は近寄ってまじまじと眺めてみる。そこにあるという事実以外、不審な点は何も無い。

 ただ、確か糸を紡ぐための器械だというのに、紡ぎかけの糸も、原料も、完成した糸も、辺りには見当たらない。植物繊維の関連で読んだ本の図によれば、これが糸車であることは間違いないはずなのに。

 そもそも、滅多に人が近寄らない辺境の研究室に、誰がわざわざ糸車などを持ち込んだのだろう。視察の予定なら当分無いはずだ。何より、こんな高所まで大荷物を抱えて登る人間などいるわけがない。

 私はそうっと手を伸ばし、興味本位で鋭利な針の先端に触れた。そして、チクリ、という痛みが走り、



 ◇◇◇◇



 どさっ、と人体の崩れ落ちる鈍い音が響いた。女性の長い髪が床へ広がり、整った顔を覆い隠す。

 荘厳で静謐な空間に、くすくすと小さな笑い声が響いた。夕陽に照らされたシャクナゲの花が、風も無いのにざあっと揺れた。


 ――高い高い、尖塔の先。

 横たわる吐息の冷たさに、誰も永劫気付かない。

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