平和の国の殺人鬼≪アリス≫
とおりすがり
第1話 平和な世界:前
「西暦2000年代前半、原因不明の病が世界中で蔓延しました」
佐藤、というネームプレートを胸に付けた女性の声が教室を通る。
時刻は午後1時。教室に備え付けられた時間割は、近代史の授業が始まったばかりであることを示していた。
佐藤は生徒の目線がしっかりとホワイトボードを向いていることを確認。
今日やる内容は期末テストに出す予定だし、中身としても面白いところだ。ぜひこのままの集中力を保ってほしい。
「続く2000年代後半以降も、規格外の規模の台風といった異常気象・大地震・新病奇病の発生など、様々な形で人々は苦しめられました。
実際の所、これらが直接的な原因となったというよりも、経済・復興・技術力といった様々な格差が被害の拡大につながったということは当時から指摘されていましたし、こうした格差が暴動などの原因ともなりました。
他にも宗教・領土・過去の因縁その他もろもろの理由で、世界中のあちこちで人同士の争いが起きていました」
一端の区切りとして佐藤は一度口を閉じる。
生徒の様子を見れば、授業内容を自分のホログラム型携帯端末――通称ホロフォン――にメモしている。
よしよし、と一度頷きを作り、佐藤は再び口を開く。
「今言ったような天災・人災が頻発したことから、西暦2200年代にはこれまで増加し続けていた世界人口は遂に減少し始めました。もちろん各国ごとに様々な政策はとられていたのですが、たった一国で世界全体を襲う災害に対応することはできなかったのです。
そこで、世界人口がピーク時の6割ほどになったとき、流石にこれはやばい、と思った各国首脳が集まって当時の国際機関、国家連合で一つの宣言がなされ、同時に一つの規約が結ばれました。
それが『世界平和宣言』及び『世界平和規約』。西暦2344年のことです」
佐藤は自分が学生の時、当時この宣言・規約を締結した時の日本の総理大臣の名前が田中井
今もこの語呂合わせは使われていたりするのだろうか。ちょっと後で生徒に聞いてみよう。
「この宣言・規約は、まあ、内容としてはかなり多岐にわたるので、高校レベルであれば理念レベルで覚えておけば大丈夫です。
ここで掲げられた理念はたった1つ。
すなわち、
これが全てに優先される事項として、あらゆる研究が推し進められることとなるとともに、全国家・全個人がもつあらゆる武力の放棄が義務となりました」
あらゆる武力とは、文字通り言葉通りの意味で、大国小国・団体個人に一切の例外なく、だ。
当時、個人で拳銃所持が許されていた米国も、この宣言を機に刀狩りならぬ銃狩りがなされた、らしい。
「当然、この方針に反対する国家も現れ、宣言を受け入れた連合国側と受け入れない同盟国側で世界は二分されました。
そしてお互いの水面下での睨み合いが続き、西暦2387年に勃発したのが第三次世界大戦。
人類史上、最大にして最後の戦争です」
ちなみにこの時の総理大臣は
「
「この大戦の過程で、いくつかの国家が消滅し、また新国家が樹立しました。
また、大陸間弾道ミサイルを用いた本土攻撃も多用され、文字通りの意味で地図が変わりました。
それは我が国日本も例外ではなく、かつて『東京』と呼ばれた一大都市が一夜にして消滅し、現在『旧東京跡地』という名称に変わっていることは皆さんも小学校などで学んできたと思います」
佐藤も学生時代、修学旅行でかつて東京があったという場所を見に行ったことがある。
あの時は超巨大なクレーターとさして面白くもない記念館を無理やり見学させられて、どうせなら北海道で海鮮食べたかったなーと腐っていた記憶がある。
あ、でも隣校のやつら、確かあの時沖縄でリゾートしてたんだっけ……。
「さ、佐藤先生。急にポインター全力握りしめてどうしました!?」
「何でもないですよー? ちょっと過去を思い出してイラっとしただけですからー」
いかんいかん、と気を取り直して佐藤は授業を再開する。
「第三次世界大戦の結果を言うと、西暦2412年に連合国側の勝利で終わりました。
最初期から連合国側に加わり、勝ち馬に乗った我が国日本は、大戦後に設立された国際機関である『平和連合』の常任理事国に就任し、その後の全世界の武力放棄事業で中心的な役割を果たすことになります」
この時に得た地位は、西暦2521年現在においても変わりはない。
しかし武力放棄事業といってもやることは大戦の残存勢力の掃討で、それも十数年で終わった。
現在、平和連合とか常任理事国と言った枠組みは既にその役割を終え、形だけのものになっているといってよいだろう。
「平和連合の設立後、科学・オカルトなどあらゆる手段を使って人の死なない平和な世界の実現が模索されました。ジオフロント、ウォーターフロントを始めとした失われた領土の回復、人工島・海中都市構想なども生まれました。
皆さんが登校で使う全自動運転車もこの時期に開発されたものです。
そのような数多くの発明中で決して忘れてはいけないものが2つあります。
それが、
ふう、と一息ついて佐藤は手元にあったペットボトルの中の水を口に含む。
ここまで一気にしゃべってのどが渇いた。
昔は生徒を指名して答えさせる、という授業形態もあったらしいが、100年以上前にそのやり方は廃止された。
携帯端末ホロフォンの発達に伴い、手元に常に莫大なデータベースがあるのと同じな現代。
指名してもすぐに調べて答えられるから詰め込み型の暗記の必要はなくなり、如何にして正確な情報を収集するかを教えた方がよっぽどいい、ということになったのだ。
そのせいで学校の授業と言えば教師が一方的に喋る講義形式が主流となったのだが、教師の喉へのダメージはどうしようもないらしい。
高校の時の常川先生も、よくシロップ飲んでたなと少しだけ懐古に浸る。
「先生?」
「あ、ごめんごめん。ちょっとボーっとしてた」
心のメモに常川先生に今度何か喉に良いもの持って行こう、と書き留めて、佐藤は口を開く。
「ええと、ああ、MoM細胞とDAD抗体、ね。
まずはMoM細胞。正式名称、Morality of Mankind細胞。日本語訳で人類の道徳性細胞。
西暦2443年、大インド連合の科学者アールシュ・ガンディー博士が開発した行動抑制型細胞で、人類の人類に対する暴力的衝動を抑制します。
現代では妊娠中期に母体を通じてこの細胞が胎児に投与されることになっていますので、皆さんにもこのMOM細胞が入っていることになります」
抑制する、といえば柔らかく聞こえるが、実際は誰かを傷つけようとする意識が全く生まれない。
MOM細胞の影響を受けている者は、どれだけ怒ることがあっても人を傷つけるということだけはどうしても思いつかないのだ。
「そしてDAD抗体。正式名称、Destroy All Diseases抗体。日本語訳で全ての病を滅ぼす抗体。
西暦2445年、日本の科学者
これもMoM細胞と同様、胎児の段階で皆さんに投与されています」
この抗体のおかげで、人類はあらゆる病から解放された。
「現代に残った病は‟老い”だけだ」。それが宗谷博士の最期の言葉とされている。
かつて高い死亡率を誇ったらしい白血病やガンというのは20年ほど前に辞書から消えた。
佐藤はちらりと時計に目を向ける。
現在、午後1時25分。高校の授業は1コマ50分だから、丁度半分過ぎたところだ。
授業の後半に話すことにしていたことは、少しその内容が変わる。
だから佐藤は、この一言で前半の授業を締めることにした。
「現代、これらの人類の努力により、あらゆる争いと病がその原因から根絶されました。
――こうして、世界は平和になったのです」
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