第128話:「予兆:1」

 ヴィルヘルムの授業を、エドゥアルドと一緒に受けてみたらどうだ。

 エドゥアルドはそれを、あまり深く考えずにルーシェに提案したのだが、ルーシェはその冗談半分に行われた提案を、とてもとても喜んで了承した。


 ヴィルヘルムを監視するために始めた授業ののぞき見だったが、文字を覚え、内容を理解できるようになってきていたルーシェは、もっと勉強をしたいという意欲が芽生えていた。

 そんなところにこんな提案をしてしまったのだから、ルーシェは無邪気にそれを喜んだのだ。


 一介のメイドが、エドゥアルドと共に授業を受ける。

 ただのルーシェが、ノルトハーフェン公爵と一緒に。


 それは、前例のないことだった。


 この時代はまだ、学問をするのは男性、という雰囲気が残っている。

 貴族に生まれた女性ともなれば、貴族の一員としてふさわしい教養を得るために幼いころから英才教育を受けさせられることになるが、一般的には、女性に本格的な教育を施すことは珍しいことだった。


 だが、半分は冗談だったとはいえ、一度口にしてしまった以上、エドゥアルドはルーシェを授業に同席させるつもりだった。

 自分の予想以上の食いつき、喜びようを見てしまったあとでは、今さら「冗談のつもりだった」などと言ってしまうのは、あまりにも気が引ける。


 きっと、ルーシェは、さぞかし落ち込むことだろう。

 目に見えて、まるで枯れた花のようにしぼんでしまうだろう。


 それでもきっと、ルーシェはこれまで通りエドゥアルドたちのために働いてくれるはずだったが、エドゥアルドとしても、一度喜ばせてしまったのだから、学びたいというルーシェの望みはしっかりと叶えてやりたかった。


 意外なことに、授業に同席することを、ヴィルヘルムはあっさりと認めてくれた。


「よろしいですよ。もちろん。良いことですからね」


 女は男につき従っていればよい。

 そんな男尊女卑だんそんじょひの古い考え方も残っているこの時代としては、公爵であるエドゥアルドの願いとはいえ、ここまで2つ返事で同意するのも珍しいことだ。


 ヴィルヘルムがなにを考えているのかは、よくわからない。

 言葉で言った通り、それが[良いこと]だからなのか、あるいは、その裏になにか別の思惑があるのか。

 常に彼の顔面を覆っている仮面のような柔和な笑みを見ていると、そんな風に勘繰りたくなってきてしまうが、ヴィルヘルムは本当に、ルーシェが授業に同席することを許してくれた。


 ルーシェは、本当に嬉しそうだった。

 彼女はいつも以上に熱心に働き、ヴィルヘルムの授業が行われる時間に合わせて仕事を休めるように用意し、シャルロッテやマーリアにも許可を取った。


「よろしくお願いします! エドゥアルドさま! ヴィルヘルムさま! 」


 そして、念願の授業を受けられることになったルーシェは、そう言って、元気いっぱいに屈託くったくのない笑みを浮かべていた。


────────────────────────────────────────


「公爵殿下。プロフェート様。少々、よろしいでしょうか? 」


 そう言って、公爵家のメイド、シャルロッテが、授業中の部屋に入って来たのは、授業がもそろそろ終わろうかという時間だった。


「僕はかまわない。……ヴィルヘルム殿も、よろしいだろうか? 」


 シャルロッテが、授業中だと知りながら割って入ってくるとなると、よほどの事態があったのに違いない。

 そう推測したエドゥアルドはシャルロッテの問いかけに許可を出し、ヴィルヘルムにも確認する。


「ええ。わたくしも、かまいませんよ。ちょうど、今日はもう、切り上げようと思っていたところですから」


 するとヴィルヘルムも、ただごとではないと感じたのか、エドゥアルドにうなずいてみせると、シャルロッテの方へ視線を向ける。

 授業に同席させてもらったものの、やはりルーシェにはまだ難しい内容が多く、知恵熱を出す勢いだったルーシェも、部屋の中に入って来たシャルロッテに注目した。


「公爵殿下。確認が取れましたので、ご報告を。……フェヒター準男爵が、大きく動きを見せているようです」

「フェヒターが? 」


 エドゥアルドたちからの注目を集めたシャルロッテがそう説明すると、エドゥアルドはあからさまに嫌そうに顔をしかめた。


「なんだ? また、僕に嫌がらせでもたくらんでいるのか? 」


 だとしたら、いつものことじゃないか。

 エドゥアルドの言葉にはそんな投げやりな雰囲気があったが、シャルロッテは静かに首を左右に振った。


「いいえ。その程度のことで済むとは、思えません」

「どういうことだ? なにがあったんだ? 」

「フェヒターの配下、ごろつきどもが、この屋敷の周辺で活発に動いております」


 いぶかしむエドゥアルドに先をうながされて、シャルロッテは彼女が調べてきたことを整理して報告する。

 ここ最近、兵士たちの心情がエドゥアルド寄りになってきたことや、ヴィルヘルムに害意がなさそうだということを確かめたシャルロッテは、ルーシェにエドゥアルドの身辺の世話を任せつつ、自分は独自に動いて情報収集などを行っていた。

 決闘で敗れたフェヒターが報復に出てくるだろうという予測を立てて警戒していた様子だったが、その情報収集に引っかかるものがあったようだった。


「様子をうかがう、程度であれば、これまでにも何度かはございました。

しかし、今回は以前よりも頻繁ひんぱんに、熱心に動いているようです。

 主に、屋敷の周辺の地形を調べ、地図などを作ろうとしているようでございます」

「地形を、調べている? 」


 そのシャルロッテの報告に、エドゥアルドは表情を険しくする。


 ルーシェにはその険しい表情の理由がわからず、きょとんとするしかなかったが、屋敷の周辺の地形を調べるということは、かなりの危険が迫っているということだった。


 フェヒターが新しく道を引いたり建物でも建てたりしようというのでもない限り、地形を調べるということは、シュペルリング・ヴィラを襲撃する準備をしているということに他ならなかった。

 どの経路からシュペルリング・ヴィラに接近し、攻めかかるのか。

どんなふうに攻撃すれば、エドゥアルドを逃がさないように、確実にしとめるようにできるのか。


 確実にことを進めるためには、シュペルリング・ヴィラ周辺の地形を把握し、あらかじめ計画を練り、適切に手駒を配置しておく必要がある。


 エドゥアルドのいだいた懸念を、シャルロッテはうなずいて肯定した。


「近く、フェヒター準男爵の手の者により、攻撃を受ける可能性が出てまいりました」

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