第55話:「祝宴:1」
狩りはじめの儀に向かったエドゥアルドたちに、シュペルリング・ヴィラの留守を任されたルーシェたちメイドだったが、
儀式が終われば、貴族や地元の有力者たち、儀式へ参加するために集まった人々をもてなすための祝宴を開かなければならないからだ。
出席するのは、エドゥアルドを始めとして、摂政のエーアリヒ準伯爵、それに公国に属する貴族数名と地元の有力者が2,3名。
全員で10人を少し超えるほどの数で、中には、あのフェヒター準男爵も含まれている。
準備は、もう、何日も前から始められている。
普段は使われていないシュペルリング・ヴィラの広間にイスやテーブルを並べ、客人をもてなすための料理に使う食材や酒を用意し、清掃も徹底して行っている。
加えて、客人をもてなすための料理も前日から下準備を始めている。
こちらは主にマーリアが担当しているもので、アルエット王国の宮廷料理を参考としたコース料理が出されることになっている。
調理の作業は、エドゥアルドに同行していたゲオルクが、獲物として1頭の雌鹿を持って帰って来たことで本格化した。
儀式が終わり、祝宴へ参加する予定の人々が戻って来る時間までに、この雌鹿を使って料理を作らなければならないからだ。
雌鹿を血抜きして解体し、肉と骨に取り分ける作業は、ゲオルクが行った。
そして、マーリアがそれらを使って、料理を作って行く。
肉のもっとも希少で美味な部分はシンプルにステーキに、また別の部分は細かく刻んでパテにし、あるいは塊のままローストする。
また、別の部位はフォンとして煮込まれ、肉料理の味つけの決め手となるソースにされる。
それ以外の残った部分で食用になる部分は、祝宴には参加しないものの、今回の儀式のために働いた人々に振る舞うためにシチューにされた。
エドゥアルドたちが戻ってきて祝宴が始められるまでには、決して時間があるわけではない。
マーリア1人だけでは手が足りず、ルーシェもシャルロッテも厨房に入って、マーリアの指示で調理を手伝わなければならなかった。
あっちへ行ったりこっちへ行ったり、とにかく忙しくてなにかを考える余裕もないほどだったが、どうにかすべての準備を整えることができると、メイドたちはそれまでの嵐のような忙しさなどなにもなかったかのようにすました態度でエドゥアルドたちの帰りを待った。
客人には気兼ねなく祝宴を楽しんでもらわなければならず、そのためには、メイドたちがいかに苦労したか、努力したのかを、その素振りでも見せるわけにはいかないのだ。
メイドたちはあくまで、
エドゥアルドたちがぞろぞろと大勢でシュペルリング・ヴィラに帰って来たのは、なんとか準備が間に合ってから、ほどなくしてのことだった。
「ルーシェ。さ、笑顔になりなさい」
「はいっ、シャーリーお姉さまっ」
ルーシェはシャルロッテに小声で言われると、小声で答えながら笑顔を浮かべる。
あまりにも忙しくて少し疲れてもいたが、公爵家として客人をもてなすためにメイドが笑顔でいることは大切なことで、練習もしていたのでルーシェの笑顔はばっちりだ。
「「「「おかえりなさいませ! 」」」」
やがて、エドゥアルドたちが近くまでやって来ると、すっかり身だしなみを整えて待ち構えていたルーシェ、シャルロッテ、マーリア、ゲオルクの4人は一斉にそう言うと、うやうやしく公爵とその一団に頭を下げた。
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すべては、打ち合わせ通りに。
シャルロッテは客人たちを客間へと案内しその後の対応を、マーリアは厨房に戻って料理の最後の仕上げを、ゲオルクは祝宴に参加しない、客人たちのつきそいの使用人や追い子として集められた人々、護衛の兵士たちなどを一休みできる部屋まで案内するために、素早く動いていく。
ルーシェはというと、エドゥアルドが祝宴に参加する前に
まだ本格的にルーシェがエドゥアルドの身の回りのお世話をするのは[時期尚早]ということになっているが、使用人の数が極端に不足しているシュペルリング・ヴィラでは人手不足で、半人前のメイドを外から来た人々の前に出すわけにもいかず、こういう配役にするしかなかった。
ルーシェはエドゥアルドと合流すると、彼を手伝うためにつき従ってエドゥアルドの部屋へと向かって行った。
「おかえりなさいませっ、公爵さまっ! 見事な獲物、ルーはびっくりしました! 」
ルーシェはエドゥアルドに同行しながら、見事な獲物をしとめたエドゥアルドのことを素直な気持ちでほめたのだが、エドゥアルドは無言のまま、なんの反応も返さない。
エドゥアルドに、ルーシェへの関心がなくて無視されたのかと思えば、そうでもない。
その、険しい横顔からは、エドゥアルドがなにかを深刻に考えていて、ルーシェとの会話などしている余裕がないという状況がうかがい知れる。
エドゥアルドと同行している猟師のヨハンの方を見ても険しい表情をしているし、エドゥアルドの護衛としてついて行ったカイも、尻尾を垂らし、シュンとした様子でトテトテと歩いている。
無事に獲物をしとめて、[狩りはじめの儀式]を公爵として見事に終わらせてきたはずなのに、誰も少しも嬉しそうではなく、大役が果たせたと、ほっとしている様子もない。
(なにか、あったのかしら……? )
ルーシェはエドゥアルドたちの重苦しい雰囲気に気がついて押し黙りながら、そういぶかしみつつ、ちらりと目に入ったカイの毛並みに付着しているあるものを見つけて、違和感を覚える。
それは、赤い、小さないくつもの斑点だった。
「きゃっ!? 」
少しかがむようにして、近くでカイの様子を確認し、彼の毛皮についているのがどうやら血であるらしいと理解したルーシェは、思わず立ち止まって小さく悲鳴をあげてしまい、慌てて両手で口元を抑えて、それ以上悲鳴をあげることを抑えなければならなかった。
「大丈夫だ。カイに、怪我があるわけじゃない」
そこでようやく、エドゥアルドが、ぶっきらぼうな口調だったがルーシェに声をかけた。
ルーシェとカイが家族であることを知っているから、ルーシェをあまり心配させないように、カイが無事であるということだけは伝えようと配慮してくれたようだった。
ルーシェは(よかった……)とほっとしたものの、(では、この、血? みたいなものって、いったい……? )と、疑問に思わずにはいられない。
カイが、狩りはじめの儀式の最中に獲物にかみつきでもしたのかとも思ったが、しかしそれだと、カイの口の周りはキレイで、その背中に血がかかっているのは不自然だった。
それに、カイはルーシェと一緒にスラムで暮らしていた野良犬同然の犬で、猟犬としての訓練など受けたことがなく、普段の大人しく落ち着いた性格からすれば、自分から獲物を攻撃しに行くとは考えにくい。
きっと、なにかがあったのだ。
ルーシェはそのことを確信しつつも、エドゥアルドたちにそれをたずねることもできず、黙ったまま歩き続けるしかなかった。
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