第8話:「猫と犬と少女と高価なペンダント:4」

 抱き上げた少女の身体は、軽かった。

 見た目の印象よりもずっと力のあるシャルロッテとはいえ、片手でも持てそうなほどだった。


 だがそれは、驚くようなことではない。

 スラム街で育った子供というのはそういうものであり、その内のかなりの割合が、大人になる前に消えて行くのだ。


 シャルロッテはその現実を噛みしめながら、黙々とスラム街を抜け、その外で待たせてあった馬車のところへと向かった。


 スラム街へと向かったシャルロッテの帰りを律儀に待ち続けていた御者は、シャルロッテが1人の少女と、やせっぽちな1匹の猫、そして毛むくじゃらの1匹の犬を連れて戻って来たことに驚きはしたものの、シャルロッテが事情を話すと、その全員を馬車に乗せることを承知してくれた。


 シャルロッテはまず気を失ったままの少女を、公爵家の使用人が使っている4人乗りの馬車の後席に寝かせると、それから2匹の動物を手伝ってやって馬車に乗せ、自身は後席と向かい合わせになっている前の方の席に座った。

 猫はシャルロッテの隣の席で小さく丸くなり、犬は床の上でなるべく小さく縮こまって寝そべる。


(別に、そこまで遠慮してくれなくてもいいのに……)


 シャルロッテは、恐縮している様子の動物たちの姿を見て、少し微笑ましいような気持になった。


 やがて、馬車は、すっかり日が暮れて夜がおとずれた中を走り出す。

 2頭の馬に引かれた馬車は、ランプの明かりを頼りにノルトハーフェンの街並みを南へ抜け、広く舗装された石畳の道をさらに南に向かってやや急いで走っていく。


 それは、ノルトハーフェンから帝国の各地へと向かうために整備された街道だった。


 ノルトハーフェンはタウゼント帝国にとっての海の玄関口であり、海外と輸出入される物品や、行き交う人々が毎日たくさんやってくる。

 この街道は、そういった人や物のために代々のノルトハーフェン公爵家が歴代の皇帝から命じられて整備を続けてきたものであり、多くの荷物を積んだ馬車でも問題なく駆け抜けることができるようにしっかりと作られ、余裕を持って馬車同士がすれ違えるような広さを持ち、その両側面には排水溝も整備されている。

 ノルトハーフェンの市街地からしばらくの間は、最新式のガス灯による街灯さえ備わっている。


 シャルロッテが帰るべき場所、ノルトハーフェン公爵家の現当主がいる場所は、その家名の由来ともなっているノルトハーフェンから南に数十キロも行ったところにある。

 街道はよく整備されていて走りやすいとはいえ、距離があるから時間はかかってしまうだろう。

 すっかり日が暮れてしまった今から帰るのでは、つくのは夜遅くになってしまうはずだった。


 シャルロッテたちを乗せた馬車は、ガラガラと車輪を回転させながら、できるだけの速度で帰り道を急いでいる。

 予定より遅くなってしまった、というのもあったが、夜道を警戒しなければならない理由がシャルロッテたちにはある。


 といっても、シャルロッテは、この帰り道をそれほど心配していなかった。


 シャルロッテたちの[敵]の狙いは、公爵その人であって、その使用人であるシャルロッテたちではない。

 必要とあれば、[敵]は容赦なくシャルロッテたちにも牙をむくだろうし、スラム街でシャルロッテを襲ったごろつきたちのように[嫌がらせ]、あるいは[恫喝]、[見せしめ]をしかけてくる可能性はあったが、まだお互いの手の内を探り合っているようなところもあり、本格的に、少なくともシャルロッテの実力でもどうしようもないほどの規模で手を出してくる恐れは小さかった。


 シャルロッテは、ようやく目的地にたどり着いても、今日の夜が容易には終わらないだろうということを想像しながら、猫がシャルロッテに差し出して来たペンダントを取り出し、馬車の中でランプの明かりに照らしながら改めて観察してみる。


 つくづく、場違いな品物だった。

 スラム街で暮らしているような人間、あるいは動物が持っているはずのないものだ。


 どこかから盗まれた、盗品である可能性もある。

 というか、そう考えた方が、この高価なペンダントがここに存在している理由づけとしてはよほど説得力がある。

 元の持ち主がわからないように、ペンダントにあったはずの紋章、あるいは名前が、明らかに素人の手で削り取られていることからも、そう思える。


 だが、シャルロッテには、少女たちがこのペンダントを盗んだということは考えられなかった。


 それは、家族思いの猫と犬、そして言葉が通じないはずの2匹を家族として生きてきた少女を信じたいというシャルロッテの私的な感情と、[ルーシェ]、ペンダントに新しく刻み込まれた名前に、瀕死のはずの少女が反応し、幻覚を見たという現象から来る推察だった。


 改めて見てみると、ペンダントに元からあった紋章や名前が削り取られ、[ルーシェ]という文字が刻みつけられたのは、ここ最近のことではなさそうだった。

 汚れ具合や、表面の摩耗まもうの具合から、少なくとも何年も前に今の姿に作り変えられたのだろうとしか思えない。


 少女たちは、ずっと、このペンダントの所有者であった。


 そう仮定し、シャルロッテがそうであるに違いないと内心で確信を持った時、彼女は不愉快と怒りの入り混じった表情を浮かべた。


 なぜ、スラム街で浮浪者と猫が争っていたのか。

 なんとなく、その経緯がシャルロッテに理解できてしまったからだ。


 猫と、犬と、少女。

 2匹と1人は、種族は違えども、あの作りかけの屋根もないような粗末な住家で、慎ましく暮らしていたのだろう。


 だが、ある時偶然、あの浮浪者は、少女がその暮らしぶりとは不釣り合いなペンダントを所有しているということを、なんらかのきっかけで知ってしまった。

 そして、あの浮浪者は少女たちに暴力を振るい、少女たちを傷つけたのみならず、少女たちにとって唯一と言って良い財産であったペンダントを奪ったのだ。


 その後、衰弱した少女を守る犬と別れ、猫はスラム街であの浮浪者のことを捜索し、少女のためにペンダントを取り戻そうとしていたのに違いなかった。


 苦労の末に、どうにか取り戻したペンダント。

 それをシャルロッテに託したということは、少女を救うためには他になんの手段も見込みも持たない動物たちにとって、最後の希望だったのに違いない。


「……穏便に済ますべきでは、なかったようです」


 シャルロッテは、この奇妙な、そして強い絆で結ばれた家族を傷つけたあの浮浪者に、淑女しゅくじょ的な対応をしたことを深く後悔したが、後の祭りだった。

 シャルロッテにとってあの浮浪者が少女たちにしたことは到底、許せるようなことではなかったが、スラム街に戻ってあの浮浪者を探し出しているような時間はシャルロッテにはない。


 少なくとも、この、1人と2匹は、必ず救おう。


 シャルロッテはペンダントを預かっておくためにふところにしまいながら、そう決意を固めた。

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