第6話:「猫と犬と少女と高価なペンダント:2」

 やがて、シャルロッテは開けた場所へとたどり着いた。

 立ち並んでいた建物の壁が左右から消え、開けたような場所に出る。


 そこは、スラム街の外れ、ノルトハーフェンの街の外れだった。

 どうやらシャルロッテはいつの間にか、街外れまで来てしまっていたらしい。


 そこはもう建物を作るのに適した平地ではなく、斜面がすぐ近くにまで迫っているような場所だった。

 だが、職を求めて周囲から人口が流入し、人口が増え続けているノルトハーフェンでは、そんな場所にも住みつこうという者がいるらしく、斜面の一部は削られて平らにされ、ここまでの道中で目にしてきたような、ありあわせの材料で粗末な建物を作ろうとしていたらしい場所がある。


 作ろうとしていたらしい、というのは、どうにも工事が途中で放棄されている様子だったからだ。

 必要な材料が得られなかったのか、それとも、やはりこんな斜面では暮らせないと思ったのか、あるいは、建物を作りきる前に、家主となるはずだった人間がノルトハーフェンから逃げ出したのか。

 もっと、悲惨な運命だって、容易に想像することができる。


 そこは、貧しく、弱い立場の人々が集まるスラム街の中でも、もっとも弱い立場の人間が居つくような場所だった。


 だが、シャルロッテをここまで案内してきた猫は、迷うことなく、そして気力を振り絞るように人が何とか通れるように小道になっている斜面を登り、建てる途中で放棄され、壁が半ばできているものの屋根がないという廃墟へと向かっていく。


 シャルロッテが、スカートのすそが汚れないように注意しながら斜面を登っていくと、やがて、猫が向かって行ったその廃墟には、住人がいるということがわかった。


 まだその姿は見えないが、明らかに生活の痕跡がある。

 土を平らにしただけの、建物の基礎がむき出しになったままの地面の上にはどこからか拾い集めた木の板で床のようなものが作られ、炊事などのためなのか、粗末で、半ば壊れているような道具が転がっている。

 また、煮炊きをするためなのか、焚火たきびを起こせるようになっている場所と、そこで何度も火を使っていたような形跡があった。


 シャルロッテはそこで、少しいぶかしむような顔をする。

 何故なら、少しかびているとはいえ、まだなんとか食べられそうなパンが、欠けた皿の上に乗っていたからだ。

 加えて、なにかを煮込んだスープのようなものが、鍋に入ったまま、焚火たきびの上につるされている。

 それに、食べ物は他にもあり、干し肉や、干した魚のようなものもあった。


 どれも食べ残しやスラム街で安く売られているようなもの、あるいはどこかから盗んできたようなものばかりだったが、それでも、そこに食べ物はある。


 猫の様子からして、まともに食事をとれてはいない様子だったのに、変だな、というのが、シャルロッテの感想だった。


 廃墟の、おそらくは玄関になるはずだった場所で立ち止まっているシャルロッテが見ている前で、猫はヨタヨタと、奥の方、粗末な木の板で作った壁のようなもので仕切られている場所まで歩いていき、そこでようやく歩くのをやめ、その場に座り込んだ。

 それから猫は、「見ろ」とでも言うようにシャルロッテへと視線を向け、それから、シャルロッテからは木の壁が邪魔で見えないようになっている方へ視線を向ける。


 ここまで来たのだから、最後までつきあおう。

 そう考えたシャルロッテは廃墟の奥へと進んで、自身の腰ほどの高さしかない木の壁の上から、その向こうをのぞきこんだ。


────────────────────────────────────────


 まず、シャルロッテの視界に映ったのは、大きな毛むくじゃらだった。


 一瞬、毛布かなにかと思ったのだが、それが壁越しにのぞきこんでいるシャルロッテの姿に反応して動きを見せたために、生物であるということが判明した。


 毛むくじゃらの、のび放題になった毛並みの奥から、誠実そうな瞳がシャルロッテの方を見上げる。

 種類はわからなかったが、どうやら犬のようだと、シャルロッテは思った。


 そして、そこにいたのは、その犬だけではなかった。

 犬の毛むくじゃらにまぎれてシャルロッテからは最初見えなかったのだが、犬がその身体を動かすと、その毛の下から、人間があらわれた。


 子供のようだった。

 スラム街で育つ他の子供と同じように痩せこけていて、その身体は貧弱で発育が悪く、ぶかぶかでヨレヨレの、誰かに乱暴に引き裂かれでもしたかのような痕跡こんせきのある、ワンピースのような粗末な衣服を身に着けている。

 その灰色がかった黒髪は、その人間を守り、自身の体毛で暖めるようにしていた犬と同じくのび放題で、ボサボサで、顔は見えなかったが、シャルロッテはその破れた衣服の隙間から見える身体的な特徴から、その子供が少女であると判断した。


 少女は、瀕死ひんしの状態にあるようだった。

 息はしているようで、かすかにその肩が上下に動いてはいたが、その呼吸は浅く、しかも、意識もない様子だ。


 それは、その少女がシャルロッテにまったく反応を示さず、ぐったりと、まるで生きたまま死んでいるかのようになっていることからもわかる。


 シャルロッテは驚いたような表情で少女を見おろし、数秒かけて観察した後、心配そうに少女を見つめている犬と猫という奇妙な取り合わせを見やり、それから、恨みがましいような視線を猫へと向ける。


 シャルロッテなりに、(なにか、助けて欲しい相手でもいるのかもしれない)と、予想はしていたのだ。

 だが、それはあくまで、猫の家族、つまり[猫]であって、[人間]と[犬]ではない。


 猫、犬、人間という3つの異なる種族の間で交流が成立し、衰弱している猫がその気力と力を振り絞ってシャルロッテに助けを求めるほどの友情、いや、愛情が成立していたというのは、驚くべきことであり、感嘆かんたんするに値するものだった。


 だが、シャルロッテは、途方に暮れるしかない。


 これが、猫であったのなら、1匹や2匹、あるいは子猫数匹が加わろうと、助けることは難しくはない。

 犬であっても、1匹くらいであればなんとでもなる。


 シャルロッテが仕えているノルトハーフェン公爵家は、現在のところある問題を抱えていて、決して順風満帆じゅんぷうまんぱんとは言えない状況だったが、それでも、公爵家、ヘルデン大陸の中央部に千年以上もの長きにわたって君臨し続けているタウゼント帝国で5本の指に入る有力な貴族で、由緒ある家なのだ。

 犬猫が1匹ずつ増えたところで、なんともない。


 だが、人間となると、話は別だ。

 それは、単に動物よりもたくさん食べるからとか、衣服などの世話もしなければならないとか、そういう問題ではない。


 今、公爵家は、見ず知らずの、どこの誰ともわからないような人間を、気軽に受け入れることは避けなければならない状況にあるからだ。


 シャルロッテは、猫を追いかけてこんなスラム街の端っこにまで来てしまったことを深く、深く後悔していたが、それでもやるべきことは開始した。


 まずは、見るからに弱りきっている、死にかけている少女の容態を確認しなければならないだろう。

 どこの誰とも知らない相手、公爵家にとっては警戒さえしなければならない存在ではあったが、のこのこと猫の後をつけてここまでやって来てしまった以上、今さら見なかったフリはできなかった。

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