03_#4(終)



「おはようございます、蛭間班長」

「おお。どこぞのハチ公かと」


 朝の班長会議を終えた蛭間がオフィスに向かった頃には、真実也基が入口で待機していた。蛭間に気がつくと勢いよく立ち上がり、敬礼をする。昨日とは明らかに違う光を放つ彼の瞳を見た瞬間、蛭間は何かを悟ったように目を開くと、やがて眉を下げ、目を細めて笑った。


「再生紙ではなく、シュレッダーにかけて燃えるゴミに捨てておいてください」


 オフィスの班長デスクに腰をかけると、蛭間はタバコの煙に火を点けながら言った。


「本当にいいんだね?」


 真実也は未だに、いきなり変わる蛭間の低い声色と雰囲気に慣れずにいた。背筋が自然と余計に伸びるのを感じる。しかし煙を吐きながら視線をこちらに向ける蛭間に怖気付くことなく、真実也は彼から視線を逸らさなかった。真実也基はビシ、と音が鳴るほどの敬礼をし、大きく息を吸った。


「たとえ救える手段が現状、一つだとしても……その行為が彼らにとっての唯一の救いとなり、残された人たちの安全と平和に繋がるのなら。僕はもう、躊躇しません」


 真実也は蛭間に歩み寄り、蛭間の咥えていた煙草をひったくった。傍に置いてある灰皿に煙草を押し付けて消すと、懐から真っ白のハンカチを取り出して蛭間に差し出した。


「もう一度僕に、“解放”の機会を頂けませんか」


 蛭間は表情の読み取れない顔で真実也を見つめると、静かに立ち上がった。


「暴人は死後、天国に行けないと言うけど。暴人を殺した私たちはどこに行くと思う?」

「地獄で暴人を"解放"します」


 数センチ高い目線から真実也を見下ろす彼は、金色の目を細めて声を出して笑い、ハンカチを受け取った。


「面白い。改めて受け入れよう、真実也 基巡査」


 蛭間はこの時に初めて、真実也に向かって敬礼を返したのだった。


* * *


 二日後 ── 蛭間特殊対策班に、一件の出動要請が出た。


「通報は3区から。田口 苑(たぐち その)、八十三歳に暴人化の疑い。彼女の自宅付近を通りがかった地域住民が騒音に気付き、室内で暴れる田口氏と損壊した建物、墨色の血液を目撃し、通報。田口氏は長らく一人暮らしであることから、同居人がいる可能性は薄い」


 「田口 苑(83)」特殊対策班の車内で、読み上げた蛭間の後に真実也は思わず目を瞬かせた。


「お年寄りだからといって、暴人を甘く見てはいけませんよ。彼らはパワーこそは劣るかもしれないが、君より遥か上の身体能力を持つ」

「はい」

「高齢者はM細胞の侵食スピードが若者に比べて遅いので、長期に渡って苦しむことになります。発見次第、直ちに“解放”するように」

「……はい」


 真実也は拳を強く握り直し、自身を奮い立たせるように返事をした。


「蛭間班長はどこに?」

「おや、私がいないと寂しいのかい?」

「そ、そうではなく」


 真実也は頬が熱くなるのを感じつつ必死で弁解した。蛭間は愉快そうに笑うと、人差し指を立てた。


「心配しなくとも私は君の後ろについているよ。何かあった時に部下の命を守るのも、班長の務めだからね」

「そ、そうですか。というか、車内で喫煙はやめてください」


 蛭間は目を細め、にこにこと微笑んでいる。


「これは煙草ではなく棒付きキャンディです。残念でしたね真実也君。一ついかがですか」


 真実也は蛭間が差し出した数種類の棒付きキャンディを見るなり反射的に断ろうとしたが、少し間を開けると観念したように、真ん中の赤い棒付きキャンディを取った。


「素直でよろしい」


 トンネルを抜けて、車内に外の光がいっぱいに差し込んだ。


* * *


 通報のあった古民家は、一人暮らしとは思えないほど立派な家だった。しかし、窓は割られ、叩き割られた障子が倒れている。室内のどこからか、何かを叩きつけるような音やものが倒れる音が聞こえてくる。暴人は屋内にいる。真実也は後ろに立っている蛭間に目配せをし、懐からマチルダを取り出しながら、開け放たれた縁側に足をかけて中に入っていった。


 室内に入った途端、錆びた鉄と腐ったような強烈な匂いが鼻についた。暴人の血の匂いである。一部が割れた柱や畳の上には、墨色の血液がべったりと付着している。広々とした和室は酷く荒らされ、棚の上の置物やタンスの中身がぶちまけられていた。ふと目に入った家族写真には、海を背景に幸せそうに笑う、三十代程の夫婦と二人の幼い子どもの姿が映っていた。見なければ良かったと、真実也は少し後悔をする。

 

「班長」


奥の部屋から一瞬、ガリ。と音が聞こえたのを真実也は聞き逃さなかった。家族写真から目を離して、奥から感じる気配を察知し耳を澄ませる。


「奥にいます」

「急に物音がしなくなった。暴れて自傷行為を繰り返し、理性を取り戻してる可能性がある」


 真実也の後ろを付いてきた蛭間は、真実也の肩に手を置いて語りかけた。真実也は怯むことなく蛭間の目を見て頷くと、マチルダをしっかり握り直して部屋の奥へと進んだ。


 いくつかの荒らされた部屋を乗り越えて奥へ進むと、先ほどより一回り広い和室にたどり着いた。血の匂いが一層濃く、真実也は思わず手の甲で鼻を覆った。墨のような黒い血が、畳や襖に飛び散っている。血のついた包丁が畳に垂直に刺さっているのに気づくと同時に、真実也は部屋の隅に背中を丸めて居座る、一人の老婆に気が付いた。老婆はこちらに気づいていない様子で、ぶつぶつと無心に何かを唱え続けている。着ている割烹着はボロボロで、彼女のものと思われる血が流れ出していた。高音になった体温からは、蒸気が音を立てて放出されてゆく。


 真実也は更に近づく。耳を済ませると、老婆は手をすり合わせ、念仏のようなものを唱えていることに気がついた。もう一歩、と真実也が足を踏み出したところで、老婆はゆっくりと振り返った。所作からして、理性を取り戻しているようだった。


「誰か、来たみたい」


 老婆は視線を上げて真実也たちを眩しそうに見ると、皺の多い瞼を開き、唐突に声上げて泣き出した。歓喜しているようなその声に、真実也は一瞬たじろぐ。老婆は「仏様」と縋るように言い放つと、ありがとうございます、と何度も呟いて手をすり合わせた。


「ああ苦しい、苦しい。はやく楽にしてください、これで……よ……やく私もけ……さんのとこ………に」


 どくどくと速まっていく鼓動を落ち着かせるために、真実也は口から息を吐いた。真実也は息を吐ききると、肩の力を抜く。鼻から自然と肺へ空気が入ってくるのが分かる。真実也の足に縋り掴む老婆の手に力が入る。


「田口苑さん、ですね」

「は、そー……で……」


 部屋は不気味なほど静かになり、真実也の声だけが響く。真実也を見上げる老婆の瞳孔は開ききり、ギギギ、という不気味な呻き声をあげていた。


「あなたを“解放”します」


 いつの間にか目に浮かんでいた涙が頬を伝うと同時に、真実也はマチルダの引き金に力を入れて一発撃った。額を撃たれた衝撃で後ろに飛ばされた老婆は「あ……」と呻いたが、体勢を整える前に真実也が二発目の引き金を引いた。銃弾は老婆の胸の中央に直撃する。襖にぐったりと寄りかかった老婆はもう動かず、体の下からじんわりと墨色の血が流れ出した。血の飛沫が目に入った真実也は、流れた涙と一緒にそれを拭った。


「お見事」


 銃声の余韻が止んだ頃、蛭間要は静かに言い放った。



「こちら蛭間特殊対策班、班長 蛭間要。10時43分、真実也基 巡査により、ターゲット田口苑を無事“解放”した。新規負傷者はゼロ、回収班は直ちに暴人の回収を」


 通信機器を懐にしまった蛭間はぐるりと部屋を見渡し、仏間に座り両手を合わせている真実也を見つけた。蛭間は仏間に近付く。


「不思議なこともあるものだね」


 蛭間はそう言ってしゃがんだ。容赦無く荒らされた部屋の中で唯一、この仏間だけは荒らされずに、聖域のように整然と佇んでいた。綺麗に手入れされた仏間に視線を向けると、六十代ほどの男性が笑顔で写っている遺影に目が留まる。


「時に、生き続けることは死ぬことよりも辛く厳しい。彼女は生を全うした。君の“解放”は立派だったよ」


 隣で手を合わせる真実也は、ようやく口を開いた


「暴人が天国にいけないなんて、僕は信じません」

「そうかい?彼女にとって、地獄も悪くないんじゃないかな」


携帯端末から目を離した蛭間は、仏壇に視線を移して呟いた。

真実也は、彼女を"解放"した際に弾け飛んだ彼女の服のボタンを遺影のそばに置いた。真っ直ぐと視線をそらさずに、りんを鳴らして再び手を合わせる。そんな真実也の頭に、蛭間は自身の手を置いた。りんの音と錆びた鉄の匂いが一帯に充満していた。

「君は優しいね。そして強い」


 暴人、田口苑は“解放”された。


* * *


「ハジメちゃん、また泣いてる?」

「泣いてない」


 業務終わりの蛭間特殊対策班のオフィス。「はじめちゃん 初任務記念」というタイトルが綴られた紙の横断幕と、みちるによって室内は華やかに飾り付けられていた。目を赤く腫らした真実也はデスクに座らされ、みちるに強制装着されたフラワーレイを首から下げている。


「みんなが帰ってくる間に、待機のみちるちゃんがこんなに頑張ったんだから、もうちょっと喜んでくれてもよくないー?みんないないから、事務作業だって頑張ったんだよっ」


 みちるは頬をふくらませて拗ねているが、どこか楽しそうな様子である。


「そうですね、ちるちるにはお礼を言わなくては。ありがとうございます」


 班長デスクで足を組んで座る蛭間は目を細めてにこりと笑った。真実也は蛭間に習い、にこにこと得意げに返事を待つみちるに咳払いをしてから礼を言った。


「あ、ありがとう」

「うん!ハジメちゃんもおつかれさま。もう泣かないで、ケーキ食べよ!」

「な、泣いてない!」

「え、顔真っ赤だけど?顔洗ってきなよー?」


 じゃれ合う部下二人を笑顔で見守る蛭間は、デスクの上の報告書に判子を押した。



【蛭間特殊対策班 真実也 基巡査(非)】

『体力、身体能力、学力共に優秀。適性検査において精神面の脆弱性が危惧されたが、短期間で“解放”の克服を果たす。情緒の乱れはあるものの、攻撃性は見られない。


引き続き、非潜伏者である彼の指導と監視を続ける。

班長 蛭間要警部補』





BLACK OUT~蛭間特殊対策班~

Sample:03『解放 -後-』



END.

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