01_#3(終)


「な、なぜ最初に言ってくれなかったんですか」

「申し遅れまして、申し訳ありません」


 特殊対策班の廊下をつかつかと歩きながら、蛭間は笑顔で返答する。その後ろを真実也は早歩きでついて行った。


「でも、班長はご不在だとさきほど」

「休憩時間中でしたので。労働時間外ですから、厳密に申し上げるとあの時の私は班長ではないのです」

「な……」

「まぁそれは冗談として。あの時点で班長を名乗ったところで緊張を煽ってしまうと思ったので、言わないでおいたまでです」


 言葉を失った真実也に、蛭間は掴みどころのない笑顔を向ける。これがあの、蛭間要なのか?


「蛭間班長。そういえば、オリエンテーションは具体的に何を?」

「実務的なことは、あなたは一切しません」


 携帯端末を操作しながら蛭間は続ける。


「そして当然ながら、君はまだ何も知らないね。何よりまずは見ること、聴くこと、そして知ることが警察の基本です。今から君には、特殊対策班の仕事を傍で見学してもらいます」


 廊下を抜けると、広い駐車場のような屋外に出た。黒いバンが何十台も駐車してあり、蛭間が指した車の運転席には運転手が乗っている。真実也は指示されるままに車の後部座席に乗りこんだ。黒いシートは対面式に設置されており、蛭間も真実也の隣に乗り込むと、間もなくして車は発進した。


 静かに発進した車は警視庁の敷地を抜け、道路に出る。そわそわと座る真実也を尻目に、しばらくしてから蛭間は口を開いた。


「通報は、西区の介護福祉センターから。二十代の男性介護福祉士が暴人化初期症状を訴え、それに気付いた従業員が間もなく、政府指定の暴人用拘束具にて対象を拘束。男性以外の入居者、従業員は残らず安全な別室に移動済みである」


 蛭間は一息で言い終わると、ちらりと真実也に視線を送った。


「真実也君。“暴人化初期段階”については、警察学校で習いましたか」

「暴人の兆候が出ているにもかかわらず、未だ理性を保っている段階のことですよね。いつブラック・アウト(理性喪失)を起こし、暴人化するのか分からないため、非常に危険な段階かと」

「その通り。暴人化は突然起こり得るものですが、多くの場合は暴人化初期段階を経てまもなく暴人化します。今回は施設だったため、拘束具も備えてあったようですね。周囲の人々の安全確保も完了している。残るは然るべき“解放”のみの、理想的な状況です」

「な、なるほど、です」


 何を考えているのかわからない笑顔で、蛭間は真実也の方を見た。真実也はそれに合わせるように軽く会釈をし、膝の上に置いて硬く握っている両手を握り直した。緊張のためか、手のひらは汗で湿っている。真実也はふと、気がついたように顔を上げて蛭間に問いかけた。


「……その。然るべき“解放”とは、具体的に何をするのでしょうか?確保や延命治療とは、少し違う処置なのでしょうか」

「そうですね」


 組んだ足の爪先を円を描くように回しながら考える蛭間に、真実也は向き直って返答を待った。窓の外の景色を眺めていた蛭間はようやく足の動きを止めると、目を細めて真実也に微笑みかけた。


「百聞は一見に如かず。見た方がはやいでしょう」

「な、なるほど」


 有無を言わさぬ彼の雰囲気に、真実也は納得を言い聞かせるしかなかった。


「そういえば真実也君は、暴人を実際に見たことはありますか」

「いいえ。ビデオで見たことがあるくらいで、実際には一度も」

「そうですか。それは結構」

「はい」


 プツリと会話の途絶えた車内は、車の走行音を立てて現場に向かう。景色を見る蛭間の瞳は、依然として何を考えているのか分からない。


「真実也君。飴ちゃんいりますか?」

「結構です」

「おや、残念」



 10分ほどすると、車は静かに停車した。車を下りれば目の前に『コトブキ介護福祉センター』の看板が掲げられた建物が静かに建っている。蛭間や真実也以外にも、パトカーや救急車が数台停まっており、入居者や従業員が警察に保護されながら施設の外へ出て行く様子が伺えた。建物入口まで歩く蛭間の後ろをついていくように、真実也は足を早めた。


「担当の警察の方々ですか!」


 入口正面の階段を上ると、屋内から髪を一纏めにした三十代ほどの女性が姿を現した。服装からして介護士のようだと真実也は思った。蛭間は警察手帳を見せながらこくりと頷く。真実也もそれに合わせるように、慌てて手帳を取り出した。


「こんにちは。公安部の蛭間です」

「お、同じく。真実也です」

「ああ、よかった……とりあえず彼のいる部屋へ案内します」


 胸を撫で下ろした彼女に促されるまま、蛭間と真実也は施設の中へと案内された。


「入居者や従業員の皆さんは、もう安全な場所に避難されましたか?」


 蛭間は動揺する女性を落ち着かせるように言った。女性は冷静でいようと努めているものの、顔色は悪く、声はひどく震えている。


「はい、全員移動し終わりました。早い段階で変化に気付けて、本当によかった……この廊下をまっすぐ進んで、突き当たりの部屋です。鍵は……これで」


 蛭間が礼を言いながら鍵を受け取ると、女性の瞳から堰を切ったように涙が溢れ出した。


「すみません」


 顔を覆いながら涙声で呟く女性に真実也は動揺し、眉を下げて蛭間の方を見た。蛭間は何も言わず、落ち着き払った様子で女性を見ている。嗚咽を漏らしながら彼女は語った。


「彼は……小阪君は、とっても素直で、親切で、良い子で。何をするにも一生懸命な子だったんですよ。入居者の方からも可愛がられていて。毎日、楽しそうに働いていたのに。そんな子がどうして……って考えたら」

「ええ、お辛いでしょう」


 涙を流し俯く彼女に蛭間は優しく声をかけた。真実也は息を飲んだまま、気配を殺すように蛭間の後ろに立ち尽くす。


「ですが小阪さんは、そんな皆さんが全員無事で避難できたことを知ったら、少なからず安心されると思います。私たちは今から彼に、それを伝えに行きます」

「……よろしくお願いします」


 蛭間は女性の肩に優しく手を置いた。女性は蛭間を見上げると、意志を固めたのかしっかりと頷いた。蛭間と、そして後ろに立つ真実也に礼をすると、入口に向かって走っていった。真実也は彼女が出ていくのを目で追った後、静かに視線を蛭間に移した。目線を少し上に向けて蛭間の表情を横から伺おうとするも、白金色の彼の髪が表情を隠している。


「行こう。時間が無い」


 閉ざされた扉の方を向き、蛭間は真実也を見ることなく抑揚の無い口調で言い放った。



 鍵を開けて二人が中に入ると、“それ”は部屋の中央にいた。手足は床に押し付けられるように拘束され、仰向けに寝かされている。午後の日差しが窓から柔らかく室内を照らし、黒い血に塗れたその身体を照らしている。


「だ、誰ですかっ」


 扉を閉めるなり中央の人物が叫んだ。真実也は驚いて後ずさったが、蛭間は動じない。


「お邪魔します。特殊対策班の蛭間です」

「と、特殊対策班?」


 中央まで静かに歩み寄ると、通報の通り、二十代ほどの若い介護服を着た男が、恐怖に脅えた顔で拘束されていた。容赦無く男に歩み寄る蛭間にたじろぎつつも、真実也は彼の一歩後ろ

からついていく。男の瞳孔は開き、耳から墨色の出血をしているのがわかった。真実也は動揺をなんとか隠そうと、スーツの襟元を正す。男のすぐ横まで移動した蛭間は、彼の傍にしゃがみ込んだ。


「僕は……暴人化してしまうんですか?」


 横たわった男は明瞭な口調で問いかけた。声だけを聞くと普通の人と何も変わらないことに真実也は驚く。蛭間は顎に手を当てると、微笑みながら答えた。


「正直言って、時間の問題でしょう」

「はは、そうですか」


 男は力無く笑う。時折口の隙間から蒸気のようなものが呼吸とともに吹き出している。蛭間は、世間話をしに来たかのような穏やかな調子で彼に話しかける。陽光が、蛭間の白金色の髪の毛を柔らかく照らしている。


「施設の皆さんは、全員無事に避難できていますよ」

「あ……ほんとですか?そっかぁ。よかった」


5秒ほど沈黙が続く。

川阪は乾いた口をぎこちなく開け、独り言のように呟いた。


「僕、もう少しで昇格できるとこ、だったんす」

「それはそれは」

「親孝行とか。やっと出来ると思ったのにさ。なんだよこれ。ふざけんなよ」

「ええ」


 蛭間は静かに、彼の話に耳を傾けている。


「こな……に、な……ん、つ。あ……」


 言葉を紡ぐ彼の口元がおぼつかなくなってくるのを見た真実也は、蛭間に視線を向けた。蛭間は羽織っている上着の内側を手探っている。


「時間みたいだ」

「え……」


 次の瞬間、蛭間は上着の内側から取りだした注射器を、彼の首に目掛けて刺した。首に針が打ち付けられるド、という音に、真実也の心臓がぞくりと跳ね上がった。


「班長!」


 真実也は驚き、反射的に叫んでいた。注射器を刺された彼はドクンと一度大きく痙攣すると、徐々に呼吸が不規則に乱れていった。


「何を、しているんですか!」

「血流促進剤という薬だよ。彼はもう暴人化する。これ以上長引いても仕方がないんだ」


 真実也の方を見ることなく言い放った蛭間の冷たい声色に、背筋が凍るのを感じた。足が棒のように固まり、指の先すら動かせない。


「だから、血流を早めてはやく暴人にしてしまった方が良い。……暴人化初期症状を経た先には暴人化しかない。暴人になった者は死ぬまで苦しまなければならず……M細胞が他の細胞や臓器を食い破るのを、苦しみながら待つことしかできない」

「そんな、そんな……」


 小阪友輝と呼ばれた男は、喉の奥で唸るような不気味な呼吸音と共に、手足をばたつかせ始めた。蛭間は仰向けに寝る彼の上に跨ると、両足で彼の両腕を踏んで強く固定する。先程までの柔らかい様子が嘘のように、その口調は恐怖を覚えるほど淡々としていた。


「暴人の“解放”。我々特殊対策班の目的はすなわち、彼らを苦しみから一刻も早く“解放”することだ。真実也 基巡査」


 蛭間はまたも上着の内側から何かを取り出す。銃口の細長い黒の短銃が、ぎらりと光った。蛭間はその銃口を小阪の唇に押し当てると、躊躇なく奥にねじ込んだ。銃口が喉の奥に当たる音と小阪の嘔吐く声が重なる。真実也は反射的に引き止めようと声を絞り出そうとするものの、喉が締まって声が出せない。


「一つ教示をしよう。暴人の皮膚表面はとても頑丈だが、体内は人と同じく脆い。体内から強い衝撃を加えれば一発で、苦しむ間も与えない」


 蛭間が角度を変えて銃口を奥へ奥へと刺していく度に、小阪は人間とは思えないような声を上げて足をばたつかせた。完全に理性を失った小阪は、意味を持たない言葉を発し続けている。蛭間はそんな彼を静かに見下ろしていた。俯いた拍子に垂れた白金色の髪の隙間から見えたのは、地獄のように冷たく、それでいて慈悲に満ちたような彼の表情だった。真実也は自身の心臓の音が脳に響くような感覚を覚える。


 真実也の視界に映るもの全てがスローモーションのように動いた。引き金を引く蛭間の指、開ききった小阪の瞳孔に映る、発火した火薬の火花、飛び散る墨色の血液。返り血を浴びても尚目を見開いて暴人から視線を逸らさない、金色の瞳。

都内の介護福祉センターに、くぐもった発砲音が響いた。


暴人、小阪友輝は“解放”された。


* * *


 真実也は、そこから先の記憶があまり無い。力無くその場で倒れ込んだことは覚えている。


「大丈夫ですか」


 天から降ってくる声が徐々に大きくなる。眉をしかめてまぶたを開けようとすると、頬に冷たい何かが押し当てられた


「うわっ」

「おはよう新人君」


 真実也が声を上げて飛び起きると、目の前で蛭間がペットボトルを手にして笑っていた。辺りを見渡すと、どうやらここは蛭間班のオフィスのようだった。真実也は、自身がオフィスのソファに寝かされていたことを知る。


「まさか失神するとは思いませんでしたよ。体調はどうですか」


 蛭間は真実也に水の入ったペットボトルを渡すと、ソファの手すりに足を組んで座った。


「今回は特に、条件も良くてオリエンテーションに最適なケースだと思ったのですが……」

「そ、そんな。あんなものをいきなり見せられたら、誰だって」


 呑気に笑う蛭間とは対照的に、真実也は声を張り上げた。つい熱が入ってしまったと思い一呼吸おいて気持ちを落ち着かせると、俯いてぽつりと呟いた。


「人を、殺すなんて」


 ぽつりと呟く真実也に、蛭間はしばらくして答えた。


「君は暴人を人だと思っているのかい?」

「え……?」


 蛭間の方に顔を向けると、蛭間は立ち上がった。表情がよく見えない。


「あれは人の形をした化け物だよ」


 窓の隙間から差し込む強烈な西陽が、蛭間の背後を照らす。声を出したら殺されるのではと思うような張り詰めた空気に、真実也は言葉を失った。


「だんだん分かってきますよ。さて、今日はもう上がってください。初勤務で疲れたでしょう?寿司でもたらふく食べてください。では」


 振り返りいつもの調子で微笑んだ蛭間は、軽い足取りでオフィスを出ていった。扉の軋む音に続き、ガチャリと閉まる音がオフィスに響く。



 蛭間特殊対策班

──今日からここが、彼の職場だ。



BLACK OUT~蛭間特殊対策班~

Sample:01『蛭間特殊対策班』


END

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