5.秘密基地-1

「まぁ! まぁ、まぁ、まぁ、まぁ、なんてこと……!」

 課長補佐のクルマに乗せられ、そして辿たどりついた先は、おおきな古民家……と言うか、ながい歳月と風雪に耐えてきたのだろう、見るからにがっしりした造りの百姓家だった。

 その玄関先に横付けにされたクルマから降り、そうして、恐る恐るにくぐったこれまた年代物な引き戸の奥で、わたしを迎えた声がこれである。

 声の主は、いかにも品の良さそうなおばあちゃん。

 年齢は七十代か八十代か。

 小柄だけれど、矍鑠かくしゃくとしていて元気よさそう。

 クルマの中で課長補佐が電話していた相手は、きっとこのお婆ちゃんなのに違いない。

 そのお婆ちゃんが、

「ちょっと、あなた!」

 ビシッと、わたしを指してきた。

「は、はい」

 反射的に、シャンと背筋が伸びてしまう、わたし。

「はいじゃないわよ。早くお上がんなさい! 早く早く! 頭の先から全身ずぶ濡れじゃないの。そのままにしてたら風邪をひくわ!」

 言うなり、あとはわたしに口をはさむすきも与えず、さぁさぁさぁ! と、引きずるようにして家の中へと引っ張り込んだ。

「お風呂はかしてあるからね。よっくあったまるのよ。着替えも用意してあるし、ご飯もすぐに食べられるようにしてありますからね」

 さすがは農家と言うべきか、まったく年齢を感じさせない力でもって、ずるずる家の奥へ奥へと、わたしは連行されていく。

 かろうじて土足のままという非礼とはならず、(片っぽだけの)靴を脱ぐのは間に合ったけど、綺麗に磨かれた板張りの廊下に、べちゃべちゃ濡れた足跡をつけてしまっているのが、心の底から申し訳ない。後でぜったい掃除をしなければ、と心に誓ったことだった。

 そして……、

「お湯加減はどうぉ? ちょうど良い? 良かったわ。髪も洗うんだったら、そこにあるシャンプー類を遠慮しないで使ってね。着替えはここに置いてるわ。孫娘の服なんだけど、見たところ貴女あなたと背格好が似かよっているからサイズは問題ないと思う。それで、勝手で申し訳ないけれど、貴女の着ていた服は、ぜんぶ洗濯機に入れました。服が乾くまでは、ここでゆっくりしてらっしゃい。それから――」と、ひっきりなしに更衣室から扉越しに話しかけてくるお婆ちゃんに、「はい」とか「ありがとうございます」とか「わかりました」とか、受け答えするのに精一杯となって、湯船からあがるタイミングを掴めないままでいたわたしは、あやうくのぼせてノビてしまう結果になりかけたのだった。


 だから、

「う゛~~」

 湯船からあがった後、更衣室の鏡の前で、わたしはひたすら唸っていた。

 鏡の中のわたしは、全身が真っ赤で、まるでタコかエビみたいにであがってしまっている。

 ほかほかどころの騒ぎではない。

 ここに来るまでは寒くて寒くてたまらなかったのに、今は身体が火照って、熱くて、どうしようもない。

 こんな風になるのは、ちいさな子供の頃に、母から『肩までお湯につかって、百かぞえるまでは出ちゃダメよ』と言われ、目をまわしかけた時以来のことかも知れない。

 危ないところだったと、そう思う。

 見ず知らずのの家でお風呂をつかわせてもらって、それで湯あたりしてしまうとか、それは一体どんな莫迦なのか。

 すくなくとも社会人失格なのは間違いない。

 そして……、

 お風呂からあがって、やっと一人にしてもらえた今、ようやくにして鈍いわたしにもわかった――考えが及んだ。

 気がついたのだった。

 お婆ちゃんが、わたしをすごく心配してくれていたことに。

 きっと、玄関先で目にしたわたしの様子から、ただならないものを感じていたんだと思う。

 自殺しようとしていたところをたまたま通りがかった課長補佐が未然に防いだ――そんな風に受け取ったんじゃないか。

 だから、様子をみる、と言うより、いっそ監視するために、ああしてずっとわたしに声をかけ続けた。

 わたしが、を考えないよう、気持ちを他のことに向けるようにしてくれていたのに違いない。


「ありがとう、ございます……」

 うつむけた顔から床へ、ポタポタと熱をもった雫がしたたっていくのを感じながら、わたしはちいさく呟いていた。

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