溶けかけのアイス
「…………海ちゃん」
「ん?」
夕食を終え、リビングでのんびりとバラエティ番組を見ていたら横に座る七海が名を呼んだ。
お茶をすすりながら顔を七海へと向ける。
「いつから奏ちゃんの事を名前で呼ぶようになったの?」
「ぶふっ!」
予想外の質問にお茶を吹き出しかけた。何とか堪えるも気管に入ってしまう。
「げほげほっ! ……な、何だよいきなり」
「いきなりはこっちの台詞だよ。白水さんから奏は一段飛ばし所か二段飛ばしじゃん」
“白水さん→白水→奏ちゃん→奏”ってことだろうか。
呼び方など双方の同意が得られればすぐにでも馴れ馴れしいものになるだろうに。
……言いたいことはわからないではないが。
仲良くさせてもらっているとはいえ、知り合ってから日も浅ければ二人きりすらレンタルビデオ店が初めてだ。
有希みたいな男子ノリもできる奴ならわかるが、奏は大人しくて女の子女の子している子だし。
「奏って呼んでる男子とか多分海ちゃんだけだよ?」
「そうなのか?」
親しみやすいと言うか、一部男子を勘違いさせてしまう“天然な”距離の測り方をするだけかと思ったのだが。
親友である七海が言うのだから恐らく本当の事なのだろう。
だとすれば――、
「……もしかして奏ちゃん」
「多分な」
「ええ!? う、ううう海ちゃん!!?」
同じ答えに辿り着いたっぽいので同意しただけなのだが、異常な反応見せる七海。
明日は雪が降る、いや槍だとか非常に失礼な態度だ。
「確かに俺は人の気持ちを推し量るのが苦手だし、頭だって良くない。七海よりはいいけどな。」
「一言余計だよ!」
「でも、流石にこれぐらいならわかるっての」
「う、嘘だー! さては海ちゃんじゃないな! 正体を現せ!」
「だーれが偽物だ!」
失礼極まりないことを宣う七海には正義の鉄槌を下してやる。
「あー! あー! 本物の海ちゃんだー!」
幾度となく繰り返されてきただけあって七海は素早く身を守る。
しかし、腕力の差は歴然だ。容赦なく脇腹に手をそえ、
「ま、待っにゃははははははははははっ!」
全力でくすぐる。
「おうおうおう。本物だってわかったかあ?」
「はははははっわ、わかってにゃははははははっ! も、もうやめにゃはははははははは……!」
進むにつれて徐々に抵抗する力が弱まっていく。じたばたと宙をさまよっていた両手が地に落ちたところで手を止める。
「はあはあはあはあ……。う、海ちゃんの、鬼畜……」
「これに懲りたら人を偽物呼ばわりするなよな」
「むう」
七海は頬を膨らませて不満を示す。
それほどまでに信じられない事態だったのか……。一度、真剣に自分を見つめなおす必要があるかもしれない。
「つーか、わからない方がおかしいだろ」
「…………」
不満げだった七海が不意に訝しげな表情を浮かべる。
「ねえ、海ちゃん」
「なんだよ」
「問題です。奏ちゃんが名前で呼んでほしかった理由は?」
「そんなの親友の従兄だからだろ?」
即答すると七海は大きくため息を吐き、うなだれた。
「だよねー。そうだよ。よく考えればそうでしかないよね……」
同意してくれる割には悲壮感が漂っているのは何故なのか。
「合ってるだろ?」
「あーはいはい。海ちゃんだもんね」
「なーんか、含むところがある感じなんだよなあ」
「気にしない気にしない。それよりアイス食べたいんだけど」
腑に落ちない俺をしり目に自己完結した七海がアイスくれと言外に要求してくる。
「さっき食べてただろ」
「疲れたから甘いものが食べたいの。ほら、よこすよこす」
どうやら冷蔵庫に眠っている俺のカップアイスを狙っているらしい。
「いーやーだ。俺だって楽しみにしてるんだから」
アイスはお風呂上りに食べたい派だ。
冷たさや甘みが体中に染み渡る感じがとても好きなのだ。それは七海も知っているはず。
「ざんねーん。海ちゃんに拒否権はありませんのであしからず」
「は!? 横暴だ!」
「暴力を振るわれたから慰謝料だもーん。ほらほら、遥先輩に告げ口されたくなかったら寄こしなさい」
「それは七海が俺を馬鹿にしたからであって……!」
「ふーん」
俺のもっともな主張を受け、七海がスマホを持ち上げてニヤリと悪い笑みを浮かべる。
「じゃあ、公平に遥先輩に決めてもらう?」
「ぐっ……!」
理由は全くわからないが、七海は勝ちを確信している。
俺が気づいていない何かに気づいているようだ。このまま戦いを挑むのは無謀。
「は、遥は七海のことを可愛がっているからなあ。とても公平だとは――」
「またまたー、海ちゃんだってわかってるでしょ。遥先輩は公平に判定してくれるって」
「……まあ」
有希との一件もそうだったが、遥は俺たちのためになる、もしくは真剣に頼めば公平に物事を見てくれる。
本人曰く、「私の価値や基準が大きく影響しているから公平ではないけどね」とのことだが、少なくとも感情に左右されまくりな俺たちよりは公平だ。
ここで信頼できるかと一蹴するのは簡単だが……。
「…………はあ、降参。よくわからんが、俺の負けみたいだな。いいよ、アイスやる」
「やったー! さっすが海ちゃん、物わかりが良いね」
「へいへい、お褒めの言葉ありがとうございます」
ガッツポーズをする七海へ適当に相槌を打ち、冷蔵庫の下へ。
冷凍室に大事に置かれているカップアイス(チョコ味)。パッケージに書かれている濃厚なチョコアイスが俺へと語り掛ける。
『食べちまえ。大丈夫だ。奴はこちらを見ていない』
チラリと後ろを振り返る。七海は体を左右に揺らしながら鼻歌を歌っている。
全部とまではいかなくても大方食べることはできるだろう。
風呂上りでないのが残念だが、それでも“バレない様に”とのエッセンスが加わるので美味しさは一入に違いない。
(……なーんてな)
もちろんアイスは好きだが、納得したフリをして盗み食べるほどではない。
一方、七海は俺が知る限りでも大のアイス好きだ。見ている方も思わず嬉しくなるほどに。
「ほらよ」
「わーい、ありがとう!」
「ったく、しっかり味わえよ」
「もちのろん!」
満面の笑みを浮かべながら一口。
「おいしー!」
頬を抑えながら更に笑みを深める。
あげた甲斐があるってものだ。
番組はいつの間にか終わっており、地上波初公開のドキュメンタリー映画が流れていた。
取り上げている題材に興味がなかったのでチャンネルを回す。前にいた街と比べるとチャンネル数は少ない。すぐに一周してしまう。
特に見たいのはないので七海の意見を聞こうと横を向くと眼があった。
「はい」
「何か見たいのあるか」、口から出る寸前、七海がスプーンを俺へと向ける。
「あーん」
“あーん”、だと!?
(彼女いない歴=年齢の)男の夢が突然大手を振ってやってきたことに電流が走った。
瞬間、脳裏に様々な考えや光景が走馬灯のように流れていく。
いくら従妹、いくら七海とはいえ、可愛い女の子からの“あーん”なんて俺には荷が重す――、
「あーん」
多少常識がある脳とが違い、俺の体はとても素直でかつ豪胆だった。
冷たいチョコアイス、少しだけ溶けており、またそれが甘さを際立たせている。
「お、美味しい?」
「もちのろん!」
七海の口癖をパクってみた。
一度やってしまえばどうってことはない。恥ずかしさより美味しさが俺を突き動かしていた。
「もう一口くれよ」
「え……ええええ!? そ、そそそんなこと!」
「いいじゃんいいじゃん。一応、元々は俺のだったわけだし」
「そ、それは……そうだけど」
もじもじと何か言いたげな七海。
七海からやってきたのに“あーん”が恥ずかしいのか?
「自分で食べるか「それはダメ!」
ダメらしい。
「だ、だだだって、一度スプーンを持たせたが最後、海ちゃんは欲望のままにアイスを食べちゃうに決まってるし!」
「俺にだって理性ぐらいあるわ!」
「い、いいの! 量は私が決めるから!」
言いながらアイスの乗ったスプーンを俺へと向け、
「あ、あーん!」
「あーん」
溶けかけのアイスのなんと美味かろう事か。
キンキンに冷えている状態はそれはそれで美味しい。
つまりアイスは美味しいのだ。
「……あーん」
食べ終わると同時に再びスプーンが、
「いや、もう大丈夫。後は七海が……」
「あーん!」
断ろうとするがかき消すようにスプーンを口に半ば押し付けてくる。
……くれるなら断る理由もないか。
「あーん」
「…………美味しい?」
「おうよ!」
「ふふっ」
その後、ちょくちょく“あーん”を交えながら他愛もない話で笑い合うのだった。
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