アンナと不可解な記憶

「それにしても驚いたわ。まさか海斗だなんて思わなかったから」


 ひとしきり再開の喜びを分かち合った後、昔の様に並び合ってブランコに腰かけていた。

 まずは近況報告、色々とあって戻ってくることとなったと伝える。


「ふふっ、海斗からすると不幸だったかもしれないけど、私は嬉しいわ」

「そう言ってもらえただけで、こっちに来たかいがあったってもんさ」

「あら、従妹さんとも楽しくやってるんでしょ? 七海ちゃん、だったかしら」

「あれ? 七海のこと教えてたっけ」


 俺が思いだした範囲では、アンナとは二人きりで遊んでいたので七海とは面識が――、


「ううん。でも、学校が同じだから」

「そりゃそうか」


 海月島には学校は一つしかない。また人数も多くない。

 年の頃が近ければ名前ぐらいなら耳にすることがあるだろう。


「でも、小学生の時は学校通ってなかったよな」

「そうよ。お父様の言いつけで勉強は家でしていたわ」


 私、小さい頃は体が弱かったからと続ける。


「あー、やっぱり体が弱かったのか。いつもしんどそうだなとは思ってたんだけど」

「私も言わなかったからね。言ったら海斗は気にしちゃうだろうし」


 そんなことはないと否定したいが、頻度は減らしたかもしれないので口をつぐむ。

 すると、アンナが楽しそうに笑い声をあげる。


「昔から変わらないわね」

「どこがだよ」

「嘘が付けないところ」

「素直なのが長所だからな。短所でもあるけど」


 七海にも同じことを言ったなと苦笑する。


「長所よ。私にとってはね」

「そう言ってもらえると嬉しくて涙がちょちょぎれるぜ」

「ほら、泣きなさいよ」

「ええっ!? 急にドS!!?」

「海斗の涙……ふふっ、良いわね」


 怪しく微笑むアンナは、その神秘的な容姿も相まって大人の色気を放っていた。

 これと比べると七海の“知りたいの”なぞ子供の遊びだ。


「うっ」


 瞬間、背筋に冷たいものが走る。

 虫の知らせだろうか。七海が感づいた気配がした。

 時たますさまじい勘を披露するのが、七海――女性なのだ。


「どうしたの?」

「いや、少し殺気を感じてな。何、久しぶりの感覚に反応しちまっただけだ」

「うん、変わらないわね」

「あっれー?」


 幼少期からこんなバカな事をしていたのか。

 ……バカと自覚しながら、なおも軽口を叩いてしまうのは何故だろう。


「楽しければ何でも良いじゃない」

「良いこと言った! 人生楽しんだもの勝ちだもんな」

「勝てるとは言ってないわ」

「うへー、そこは勝たしてくださいよ」


 頭を下げてお願いする。

 アンナは、そうねと頬に人差し指をあてて考え込む。

 そして、何かを思いついたのか両手を合わせ、満面の笑みを浮かべ、


「海斗が負けたら私が楽しいから、実質海斗の勝ちよ」

「なるほど、それならどちらにしろ勝ちに……ならないよ!?」

「屈辱に塗れる海斗とか、想像しただけで……」


 両手で薄く赤みがかった頬を抑え、恍惚とする。

 アンナの脳内では俺はどんな辱めを受けているのか。知りたいような、知りたくないような。

 新しい扉を開くのも一興だが、帰ってこられないのは困る。


「ねえ、勝ちとか負けとか置いといて絶望にあえいでくれないかしら」

「あの頃の純粋なアンナはどこに行ったの!?」

「いやね、ちゃんとここにいるじゃない」


 そう言って服の上からもわかる形の良い胸を軽く叩く。

 さりげない仕草だが――だからこそだろうか――ドキッとしてしまう。

 女性の価値は胸ではない。もちろん、お尻派でもないが、興味がないわけではない。むしろ、大好げふんげふん。

 つまり、視線を外せなくなるのも仕方がないわけで。


「海斗?」

「お、おう」


 ごくりと生つばを飲む。

 幸い、アンナは気づいていない様子。今、見るのをやめればバレずにすむ。

 しかし、釘付けにされたようにピクリとも動かない。


「かーいーと?」


 甘い声と共に双丘が迫ってきた。

 頭が事態を把握する前に、視界が暗闇に染められる。


「ふ、ふんは!?(な、なんだ!?)」


 暖かく、柔らかい……心地の良い空間に俺はいた。

 鼻腔を甘い匂いがくすぐり、幸せでとろけそうになる。


「あん、くすぐったい」

「はんは?(アンナ?)」


 頭上からアンナの声が降ってきた。

 混乱していた頭がアンナの色っぽい声に再び停止してしまうが、徐々に平静を取り戻し、現状を把握し始める。


「海斗、あったかーい」

「ほ、ほひはひへ(も、もしかして)」


 この顔に押し付けられた柔らかくも、弾力があり、このまま眠りにつきたくなる至高の枕は――。


(俺、アンナに抱きしめられてる?)


 頭を抱え込むように抱きしめると、自然と男の夢へとダイブすることになるわけで。

 しかし、悲しいことに確信を得るには圧倒的に経験値が足りなかった。


「海斗、大きくなったね……。あの時は私の方が大きかったのに……」


 アンナは昔を懐かしむように呟く。

 成長期を迎えるまで背の順は前から数えた方が早かった当時の俺は、アンナよりも少しだけ小さかった。

 だが、今はアンナも成長したとはいえ、俺の方が高い。

 座っている俺を立っているアンナが抱きかかえられるぐらいには差がある。


「それだけ時が経ったってことね。海斗も、私も」


 最後の言葉には悲しさと諦めが込められていた……気がする。


(七年……七年か…………)

「もう一度会いたいって、ずっと思ってた。まさか叶うなんて」


 その後も数回だが島を訪れていたのに、俺が忘れていたばかりにアンナに寂しい思いをさせてしまった。

 何故、忘れていたのだろうか。何故、ここに来るまで思いだせなかったのか。

 後悔がぐるぐると脳内を駆け回る。

 気づくと、罪悪感に追われるように煩悩はどこかに行っていた。


「アンナ」


 肩に手を置き、顔を上げる。

 しっかりとアンナの眼を見て言わなければいけない。


「ごめん!」


 どうしたのかと不思議そうにしているアンナへと頭を下げる。

 唇をかみしめ、


「俺、本当は……本当はここに来るまでアンナのことを忘れていたんだ! 本当にごめん!」


 好意的に接してくれるアンナの信頼を失いたくなくて、黙っていようとした情けない心。

 いや、可愛い子の信頼を失いたくなかった浅ましい心。


「アンナが優しく接してくれるから、アンナが綺麗だから、黙ってようとしてた!」


 洗いざらい言い、謝罪するのも自己満足でしかない。

 何故なら、アンナは俺のことを忘れないでいてくれたのだから。

 こんなどうしようもない俺のことを、友達を待っていてくれた。

 この公園で、ブランコの上で彼女を待たせ続けてしまった。


(バカ、バカ野郎、俺の大馬鹿野郎……!)


 怒られる、失望される、呆れられる。どうなっても仕方がない。

 俺はそれだけ最低のことをした。

 だが、


「謝らないで」


 アンナは俺の頭をなでながら、殊更優しい声色で、


「仕方がないの。忘れてしまったのは海斗のせいじゃない。だから、私は嬉しいのよ」

「どういう、ことだよ」


 初めは俺を慰めるための詭弁かと思ったが、アンナの声は嘘を言っているようではなかった。

 訳が分からず、アンナへと問いかける。

 しかし、アンナはウィンクをすると人差し指を口の前に立てた。


「今はまだ教えてあげられない。でも、きっとわかる日が来るわ」


 ――だって海斗はここにいるのだから。

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