第12話 背水の陣

 アホ師弟から逃走し、王都から落ち延びて数週間。日常を取り戻したオレは、早くも騒動について忘れかけていた。


「さてと。今日はみっちりと製剤作業かな」


 窓の向こうは秋の色が濃い。薬草の収穫も間近だし、来春に向けて種を選定する作業もやっておきたい。やるべき事は目白押しだ。


 愛すべき中庭の光景に眼をやりながら、長く伸びをする。そして気持ちと肺の中身を入れ替えた瞬間、屋敷が大きく揺れた。遠くでアイシャの叫ぶ声もする。


「また何かやらかしたのか……」


 製剤室のドアを、自分でも驚くくらい乱雑に開けると、そのまま玄関までやって来た。


「うるせぇぞ。静かにしろ」


「あっ師匠! 良い所に!」


 身構えるアイシャと向き合うのは見知った顔だ。というか、その人物はエミリアで、招かざる客のうちの1人だった。


 なぜこうも騒がしいのか、その光景だけで理解できた気がした。


「何なんですかコイツ! 家に入るなり師匠と、こ、こここ交尾させろだなんて!」


「こいつが何なのかはオレもよく分からんし、理解するつもりもない」


 そのエミリアは、明らかに歓迎されてないムードを前にしても、無表情を保ったままだ。それどころか荷物を足元に降ろし、深く腰を落として構えだす始末だ。


「アナタ、邪魔。怪我したくなかったら消えて。半日くらいで良いから」


「こんの仏頂面。アタシに怪我ですって? しかも図々しく、半日も師匠を独り占めする気ですか?」


「警告はした。どうなっても知らない」


「アッハッハ。冗談が苦手なら、言わない方がマシってもんですよ!」


 次の瞬間、両者は激しく激突した。入り乱れる拳に蹴り。一見すると互角のようでもあるが、若干アイシャが押しているらしい。エミリアは防戦寄りになり、旗色が怪しくなりだした。


 などと傍観してる場合じゃない。頃合いを見計らって、両者の間に向けて拳を振るった。その拳圧には、戦闘を中断させるだけの威力が込められていた。


「師匠、どうして止めたんです? あとちょっとで思い知らせてやったのに!」


「もう少しで猪女に引導を渡せた。今の判断には不服」


「お前ら、周りを見てみろ」


「あっ……」


 そこには割と悲惨な光景が広がっていた。落下して割れた花瓶、大きなヒビが刻まれた壁、踏み抜かれた床。どれもこれも修繕するとなると頭が痛くなる。


「請求はマーダイル先生に押し付けるとして。エミリア、何の用だ」


「手紙を預かってる。読んで」


「ちょい待ち! アンタさっき交尾がどうのって言ってたじゃないですか!」


「あれは冗談。小粋なジョーク」


 エミリアが無表情でダブルピースを披露する。これにはさすがのアイシャも脱力するばかりだ。


「マジもんの冗談下手じゃないですか……」


「そんな事はどうでも良い。手紙を寄越せ」


「どうぞ」


 封がされた羊皮紙には赤いロウで魔術印がある。身元の正しい文書だ。開けてみると、そこにはこの様な事が書かれていた。


◆ ◆ ◆

親愛なるイアクシルよ。

ワシはこの度、大陸南部のサウスランド分校に転勤する事が決まった。

故に長く都を離れる。

諸般の事情からエミリアを連れて行けぬので、ワシが戻るまで世話を頼む。

その間、男女の仲になったとしても咎めぬし、むしろ自然の成り行きだと思う。


 ――サウスランド学院 武芸教官長 マーダイル

◆ ◆ ◆


 やりやがったなクソが。それらしい理由を並べてオレに押し付ける気だ。


「エミリア。ジジ……マーダイル先生は今どちらに?」


「もう出立した。追いかけるには遅すぎる」


「あの野郎……。そもそもオレにお前を受け入れる義理なんか無いんだぞ」


「華やかになる。私がいれば日常が明るい。ピースピース」


 立て続けのダブルピースなんか面白くも何ともない。むしろ軽くイラつく程で、それはアイシャも同じだったらしく、露骨な舌打ちが聞こえた。


「ハァ……ちょっと付いてこい」


「ものの数分で合体要請。初めてだから優しくして」


「勘違いすんな。アイシャも来るんだ」


「いきなり3人でだなんて、さすがに好色すぎません?」


「お前もかよ! 無駄口たたかずに付いてこい」


 妙にソワソワする2人を連れてやってきたのは製剤室。壁に掛けた黒板には、薬草の品種や分量がビッシリと書かれているが、その大半を消した。レシピなんかより大事なものを書き出す必要があるからだ。


「良いかエミリア。これからウチのお財布事情を解説する。アイシャも良い機会だからちゃんと聞いておけ」


 それを合図として、チョークでひたすらに書き殴っていった。学院生時代を思い出す……なんてホンワカした気分からは程遠い心持ちで。


 日々の収入に食費などの出費、農園の維持管理費やら屋敷の修繕費、他にも日用品やら雑費等々。そこまで一気に書き出すと、酷い疲れに襲われた。すぐに話しかける気にもなれず、大きな溜め息を床に落としてしまった。


「完全に火の車ですよね。こりゃ新たに人を迎え入れる余裕なんか無いです」


「待って。数字がおかしい」


「別に間違ってないですよ。エミリアさんは計算が苦手なんですか?」


「そうじゃない。明らかに足を引っ張ってるヤツがいるって事」


 確かに修繕費が異常だった。そこだけはエミリアに同意したいが、迂闊な事を言えば話がこじれるだろう。そうでなくてもヒートアップしたアイシャによって、良からぬ方向へ傾きかねないのだから。


「ともかく、うちにもう1人を養うゆとりは有りません。とっとと帰ってもらえますか」


「アナタこそ立ち去れば良い。頻繁に500ディナも無用な金を吐き出させる不経済女」


「ほんと口が減らないですね。いい加減にしないと奴隷商人に売り飛ばしますよ?」


「それは大変。きっと1億ディナで売れちゃって、アナタ達は大金持ち」


「厚かましいですね! まぁアタシだったら5億はいっちゃいますけど」


「じゃあ私は10億」


「何で釣り上げたんですかこの野郎! 卑怯者!」


「気安く話しかけないで。半額の人と話す事なんて無いから」


「ああ嗚呼アァッ! もう勘弁ならねぇブッ殺してやる!」


 ここで2人は激しい衝突を始めた。その煽りを受けて椅子が、器具が、薬品が倒されていく。オレはこの時どんな顔をしていたか。もしかすると笑っていたかもしれない。


 硬く硬く握りしめた拳。精密なほどに2人の頭上に落ちた。ゲンコツの効果はテキメンだ。辺りは前以上の静寂で満たされたのだから。


「お前らにキツく言い渡す。室内で暴れんな。次は本気でいくぞ」


「メッチャクチャ痛いんですけど。これで手加減とか信じられないんですけど」


「深刻過ぎるダメージ。頭が割れたかと思った」


「おう、マジでカチ割られたくなかったら暴れんの止めろ」


「はい肝に命じます」


 随分と神妙な面持ちだが、果たしていつまで保つだろうか。少なくともアイシャは、叱責した半日後にはケロリとしていて、廊下を駆け回ったりする。


「ところでエミリア。ウチが受け入れ拒否したら、お前はどうなるんだ?」


「行くアテなんかない。路地裏でカサカサうごめく美少女になるばかり」


「実家を頼れないのか?」


「地元は北の果て。帰ろうにも旅費が高すぎる」


 あのジジイめ、背水の陣で来やがった。オレの善意に全力で縋りつこうという訳だ。


 見え透いた手。だが威力は申し分なく、つい考えさせられてしまう。季節は晩秋、やがて冬が到来するだろう。そんな中で身寄りのない少女を追い払うことは正しいのか。薬師として、いや人間としてどうなのか。


 そこまで思い至ると、胸の奥に飲み込めないものを感じた。既定路線を歩かされてる感覚が腹立たしいからだろう。


「寝起きは母さんの部屋を使ってもらう。古い家具だが文句言うなよ」


「良いんですか師匠!?」


「このまま路頭に迷って死なれでもしたら、夢見が悪いだろ」


「まぁ、そうですけども……」


「ありがとう、受け入れてくれて。優しい人」


「ここに居る以上は働いてもらうからな」


「もちろん。あなた専用の性奴隷になってあげる」


「妙な気を回すな。それから、アイシャとは上手くやれ」


「了解。ネズミの次くらいには敬愛する」


「分かりました師匠。アタシもムダ毛くらいには大事に扱いますね」


 そこで勃発したいがみ合いは無視して、部屋を後にした。向かうのはもちろん母の部屋だ。夏の入りに掃除してから足を踏み入れていないので、最低限の準備を済ませておきたかった。


 本音を言えば、他人に使わせたくない部屋だ。しかし他に空き部屋が無いのだから四の五の言ってられない。


「入るよ、母さん」


 ノックを2つ、そして声掛け。不思議な事に、これをするとかつての記憶が鮮明に蘇るのだ。


(あらイアクシル。お勉強は済んだのかしら?)


 懐かしい声が聞こえた気がした。もちろん空耳だ。締め切ったドアを開けると、ホコリの臭いが鼻につく。聞こえるのも、風が窓をうるさく叩く音ばかりで、人の気配などどこにも見当たらない。


 幻想との再会は僅かなひとときだけ。思い出の品々をまとめ、倉庫の奥へと片付けた。そうして出来上がった無味乾燥な部屋を整え、後にした。


 そのまま製剤室まで向かおうとすると、中からは既に言い争う声が。まったく、やかましくて敵わん。


「お前ら、仲良くしろって言ったよな」


 そこからまた騒がしくなる。勘弁してくれと感じる一方で、今ばかりはなぜか、有り難いものの様にも思えた。


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