第8話 スイマーの妹
平成元年の秋も深まり、少しずつ俺と妹の2人暮らし生活にも慣れてきた。
「先輩、最近疲れてらっしゃいませんか?」
大学の軽音楽サークルの後輩、石橋咲江が練習で顔を合わせた時に言ってくれた。
「あ、引っ越しや、バイトや大学祭の練習が続いたからね。大丈夫だよ。ありがとう」
俺が密かに好きな女の子が、この軽音楽サークルの後輩、石橋咲江だ。
俺のサックスパートに入って、基礎から教えている内に好意を抱いてしまったが、モテない人生を送ってきた自分からは、調子に乗るな、告白しないように…と肝に銘じている。
「先輩、何か大変なことがあったら、いつでも言ってくださいね!アタシの出来る事ならお手伝いしますから」
と、石橋咲江…俺の呼び方だとサキちゃんは、言ってくれた。
こんな感じで、俺のことを心配してくれたり、サークルの夏合宿でユネッサンに行った時には、俺の為に初めてこの水着を着ました、と滅茶苦茶照れながらビキニ姿を披露してくれた。
ちょっと天然な感じもあるのだが、だからこそ守ってやらねば、という気持ちになるのがサキちゃんだった。
ただサキちゃんには、俺に妹がいて同居していることは言っていない。
純粋な一人暮らしだと思っているので、気持ちだけありがたく受け取っておいた。
その日はバイトのない水曜日だったので、サークルが終わってそのままアパートに帰ったら、珍しく電気が点いていた。
(あれ?由美がもう帰ってるのか?)
「ただいま〜。由美、帰ってたの?」
そう声を掛けると、奥の由美のスペースから、既に私服に着替えた由美がシャーペンを持ったまま飛び出てきた。
「お兄ちゃん、お帰り!早かったね!」
「いや、それは俺のセリフであって…。どうしたの。水泳部は無かったの?」
「あ、来週から中間テストだから、部活禁止期間に入ったんだよ。近々秋の県大会があるのに、練習出来ないから弱るよぉ」
「そっか、中間テストってモノがあったよな、高校は。来週の水曜日から?」
「そうなの。中間だから水木の2日で終わるんだけど、その直後の土日に県大会があるの。木金の練習で感覚戻るかなぁ…」
「そうか…。じゃあ、今度の日曜日とか、丸一日勉強するのも疲れるだろ、俺と気分転換に、旭区民プールに泳ぎに行くか?」
「え、良いの?そうね、ずっと机の前に座ってたら、体も感覚も鈍っちゃう。お兄ちゃん、アタシをそのナントカ区民プールに連れてって〜」
「じゃ、日曜日にな。昼からプールに行って、泳いだ後はそのまま居酒屋へ行くか?」
「うん!そうする!」
由美は俺のバイト先である、横浜駅構内の居酒屋で、すっかり店長さんや店員さんに顔馴染みになってしまい、最初は夕飯代をバイト代から引いてもらっていたのだが、今では妹さんのご飯は賄い飯だからタダでいいよ!と、助けてもらっている状態だった。
「そうそう、お兄ちゃん。早速ね、クラスの保護者懇談会と、女子水泳部の保護者会の案内があったから、プリント見といてね」
ゲッ!遂に恐れていた、たった3歳違いの俺が由美の保護者としてデビューしなきゃならない日が来たのか〜。
「どっちがどういう日程なんだ?お兄様は忙しくて行けません、ってのは…」
「ダメに決まってるでしょ!担任の先生はすっかりお兄ちゃんに会えるのを楽しみにしておられるから、女子水泳部はともかく、必ずクラスの保護者会には出てね!」
「それは他の保護者さんも一緒なのか?」
「多分ね〜。議題は中間テストの結果を受けてと、その他になってた」
「わぁ、怖いなぁ…。母さんに対策を聞いとくよ。あと、女子水泳部の保護者会って、これも母さん出てたのか?」
「うん。いつも出てくれてたよ。お兄ちゃんの保護者デビューだね!」
「お前は気楽でいいけどな、俺はもう既に胃に穴が開きそうな…」
「お兄ちゃん、アタシの為にお・ね・が・い♫」
由美は変な所で目を潤ませて、俺に迫ってきた。
「あーっ、もう!分かったよ、行くから!クラスや女子水泳部のみんなに、根回ししといてくれよ」
「根回し?ってどんな?」
「例えば、今度の保護者会には、由美の兄が来るけど、ビックリしないで、と親御さんに伝えて…とかさ」
「えー、面倒くさいなー」
「由美が根回ししてくれないなら、行かないぞ、俺は」
「なんか立場が逆転してるんだけど。分かったよ、言ってみるよ、言えるような友達や後輩に」
「頼んだぞ!」
大学生活よりも不安なことが発生してしまった。こんな状態で、大学祭の軽音楽サークルの演奏、出来るのだろうか…。
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いざ日曜日、俺は由美を連れて、相鉄線の西谷駅が最寄りの、旭区民プールに出掛けた。
「お兄ちゃんは何回か来たことあるの?」
「いや〜、高校の時に夏休みに一度だけ」
「えっ、もし夏だけの営業で秋はやってなかったら、アタシ困るんだけど」
「多分大丈夫だと思うぞ。屋外のプールは流石にやってないと思うけど、室内の温水プールはやってるはず…と思うんだけど」
「やってなかったら、今夜の賄い飯、お兄ちゃんの分も食べるからね!」
意味不明なキレ方をする由美だったが、西谷駅から続く急坂を登ったら、ちゃんと室内温水プールは営業していた。
「ほら、ちゃんと営業してただろ?」
「残念…。賄い飯2倍食べ損ねた…」
「ん?なんか言ったか?泳ぐのと賄い飯のどっちが大事なんだよ、由美は」
「も、勿論、泳ぐ方だよ、お兄ちゃん♫」
作り笑いしている由美と共に、入口で受付を済ませると、男女別の更衣室へと分かれて入った。
「じゃあお兄ちゃん、アタシ今から、本気モードに変わるから、そこんとこヨロシク」
「ああ、お前の本気の泳ぎはもしかしたら初めて見るかもだから、楽しみにしてるよ」
「ビックリしないでね。じゃあまた後で」
由美が女子更衣室に入ったのを確認してから、俺は男子更衣室に入った。
時節柄、殆ど客はおらず、何人かいる先客も、由美のような水泳の練習が目的のようだ。
俺はアパートから、この夏に大学の軽音楽サークルで出掛けた、箱根のユネッサンで穿いた海パンを穿いておいたから、上に着ている衣服を脱ぐだけで大丈夫だった。
更衣室から出ると、由美ももう更衣室から出て来ていた。なんて早いんだ…。
「お兄ちゃん、遅いよ!気合が入ってないな、気合が」
「おい、俺にまで女子水泳部主将の顔で接しないでくれよ」
「アハハッ、ごめんね~、水着を見るとついつい。可愛い妹のやることだから許してよ」
そういう由美が着ている水着は、流石にインターハイを目指すレベルだけあって、テレビで見るような引き締まった競泳用水着だ。
だが今日まで、俺は洗濯した覚えがない水着だったので、由美に聞いてみた。
「由美の今日の水着って、俺は初めて見るような気がするんだけど…」
最近の全国水泳大会とかで見るような、スポーティーな、かなりハイレグカットの水着だった。またスイムキャップ、ゴーグルも用意していた。
「あ、これ?これはここ一番って時に着てた水着だから、お兄ちゃんには初お目見えかもね。不思議なもんで、この水着を着ると気合が入るの」
と由美は、お尻の食い込みを直しながら言った。
「じゃあ、お兄ちゃん。アタシ、ウォーミングアップでちょっと泳ぐから、その後にタイム図ってくれない?」
「え?タイムウォッチなんて持ってきてないよ」
「大丈夫なのだ。アタシが持ってきたからなのだ」
由美は俺にタイムウォッチを渡した。流石に気合が違う…のだろう。
「俺も海パン穿いて来たけど…」
「お兄ちゃんは、今日はアタシのマネージャー。よろしく!」
「えーっ?あ、おい由美…」
由美はキャップとゴーグルを着用すると、早速プールへと飛び込んだ。
釈然としないまま由美の泳ぎを見ていたが、ウォーミングアップと言っていたが、初めて由美が泳ぐ姿を見た俺は、ウォーミングアップですら凄い!と思った。
(なんて速いんだ…。これで手を抜いてるのか?我が妹ながらカッコいいなぁ)
さっき由美の水着姿を見て、ちょっと男の本能が芽生えそうになったのを反省した。
何往復か泳いだ後、由美は一回プールから上がり、俺の方へ来た。
その雰囲気はまるで競泳のトップアスリートで、俺の妹とは思えなかった。
「ねぇお兄ちゃん、そろそろウォーミングアップは十分だから、アタシのタイム計ってほしいんだけど、いい?」
「お前、凄いんだな…。あれがウォーミングアップか?俺ならさっきのお前の泳ぎでも、全力ぐらいだぞ、多分」
「ふふっ、お兄ちゃんはアタシの本気で泳ぐところ、初めて見るもんね。ところでこのプールは25mだから、アタシがスタートして、タッチして折り返してゴールするまでのタイムを計ってほしいの」
「50mってことだな。分かったよ」
「じゃ、お願いね。あっ、お兄ちゃん…」
「ん?」
ベンチから立ち上がって、由美の後ろを歩いていたら、由美が突然言った。
「スタートする時、アタシのお尻見て、興奮しないでね」
「はっ?そ、そんな、お前のケツなんか見て興奮しねーよ!」
「どーだろー。ま、タイムよろしく」
突然こんな小悪魔みたいなことを言ってくるから、由美との会話は気が抜けない。
…でもちょっと内心見抜かれていたのかと、ドキッとしなかったか?と言えば、ゼロではない…。
スタート台に立つ由美を見て、俺はタイムウオッチを確認した。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
「最高記録が27秒台って、よく知らんけど、結構凄いんじゃないか?」
俺と由美はプールからの帰り道に話していた。
「うん、鈍ってた勘を取り戻せたよ!今日は30秒を切るのが目標だったからさ」
「来週の県大会も頑張れよ。応援しに行ってやろうか?」
「えーっ、それは…嫌」
「なんでだよ!」
「あのね、お兄ちゃんとプライベートでプールに一緒に来るのはいいけど、なんだろ、大会とかに参加してる時は、なんだか恥ずかしい」
由美は何故か照れて顔を赤くさせていた。
「なんで?水着姿を見られるのが恥ずかしいのか?」
「ううん。それだったら今日なんて速攻拒否じゃない。お兄ちゃんにはアタシのパンツまで洗ってもらってるんだから、そんなことじゃないよ。一応主将として高校女子水泳部のチームを引っ張ってるからさ、そんな兄が応援に来てる場面を見られたくないというか…」
「そっか、なんとなく分かるよ、その気持ちなら。俺も高校までバレーボールしてたけど、重要な大会ほど親には逆に来てほしくなかったしなぁ。父母会とかあったけど、母さんも大変だったろうな」
「お兄ちゃん、分かってくれる?このデリケートな乙女の気持ち」
「まあ由美が乙女かどうかは別として…」
「んもー、お兄ちゃん!17歳のピチピチ女子高生掴まえて、酷ーい!さっきだって、プールの水、弾いてたでしょ?」
「ほらほら、その短気な性格。それのどこが乙女なんだよ?もう少し落ち着けって」
「うーん、結局お兄ちゃんに口では勝てないんだなぁ。悔しー」
とは言っても、由美の顔は楽しそうだった。しかし口でいつも俺に勝っている由美が珍しく負けを早々に認めるとは、珍しいな。雪が降るんじゃないか?
「じゃ、居酒屋にバイトに行くよ。由美も沢山泳いで腹減っただろ。賄い飯、沢山作ってもらえるように店長に頼んでみるから」
「ホント?やったー!お兄ちゃん、ありがとう!」
由美はそう言って、子供の頃のように無邪気に腕を組んできた。こんな部分は今も変わらないな…。
ただ、いつもケンカした時に、洗濯板!とつい言ってしまう由美の胸が俺の肘に当たり、その都度意外に成長しているのには驚く。
そういえばたまにブラジャーを洗濯する時、カップが一回り大きくなっていた気もするような、しないような…。
…って、俺は妹に何を感じてるんだよ、と自戒しつつ、西谷駅へとルンルンな妹と色々喋りながら向かった。
【次回へ続く】
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