婚約破棄された後日、婚約者だった王子が泣きついてきた

キヅカズ

第1話 君を幸せにはーー

「君を幸せにはできないんだ。すまない」


薄々予想してはいたが、聞きたくなかった言葉が王子の口から飛び出し、アンリーナは硬直した。

物音一つ立たない静かすぎる状況で、唇をわななかせながら掠れた声を漏らす。


「……私と、婚約破棄なさるのですか?」

「ああ。本当にすまないと思っている。父上にはもう話を通してあるんだ。かなり悩んでしまったが、致し方ない」


アンリーナは俯いた。

持っていた紅茶のカップは温かいのに、アンリーナの指先は冷え切っている。

納得はしているのだ。

しかし、あまりにもそれは辛すぎた。


「すまない。もっと私に力があればよかった」

「……あなたのせいではありません。どうか、ご自分を責めないでください」


無理やりにでも微笑んで、アンリーナは立ち上がった。

このまま無様な泣き顔を王子に見せたくはない。


「すみません、用事を思い出しましたの」

「……ああ」

「最後に。今までありがとうございました。私、アンリーナは、あなたの婚約者でいられたことをとても光栄に思っております」


淑女の鏡とも呼べる礼をして、アンリーナは部屋を後にする。

王子と会うから、とメイドがつけてくれたアクセサリーが酷く重い。

眩暈がして城の壁に寄りかかると、仕事中であろう使用人が慌ててこちらに駆け寄ってくる。


「アンリーナ様、具合が優れないのですか?」

「いいえ、平気です。すみません」


心配する使用人に気を使う余裕もなかった。

ふらふらと王宮の外に出れば、待機していた馬車と、執事のミヤが目に入る。

ミヤは戻ってきたアンリーナの顔色があまりに悪かったので、動揺して声をかけた。


「お、お嬢様!? どうなさりました……?」

「……リュシエル殿下に、婚約破棄を言い渡されました」


ミヤがぐっと表情を硬くした。

とにかく、王宮の前に突っ立っているわけにはいかないので、素早く二人は馬車に乗り込んだ。

馬車が動き出して屋敷に戻る中、アンリーナの瞳から涙が溢れる。


「わかってました。わかってましたの……こうなることぐらい」

「お嬢様」

「ごめんなさい。情けない姿を見せて。でも、今だけは許してちょうだい」


自らの顔を覆って泣き続けるアンリーナに、ミヤは自身も泣きそうな顔をした。

煩わしい馬車の揺れが気にならないほど、ひたすら胸が痛かった。


◆ ◆ ◆


アンリーナが王太子であるリュシエルの婚約者になったのは、僅か4歳の頃である。

魔力量が多く、幼いながらに優秀であったアンリーナは婚約者として歓迎された。

その日から王太子妃としての教育が始まり、辛いことを山ほどこなしてきた。

不満はあれど、これは義務なのだと必死になって耐えてきた。

アンリーナとリュシエルは決して想い合うような間柄ではなかったけれど、生涯連れそうパートナーとして、上手くやってきたのだ。

事件が起こったのは一週間前。

アンリーナの魔力が突如として消失した。

これには屋敷中が火がついたような大騒ぎとなり、この知らせはすぐにリュシエルや、彼の父である王に伝わった。

アンリーナ達の国は魔法大国として知られており、他の国との貿易も魔道具や魔法に関わるものを売り出している。

国の象徴ーー王になるリュシエルの婚約者のアンリーナに魔力がないのは、非常に致命的なことであった。

魔力が消えた原因もわからず、不安を抱えたままリュシエルと会い、本日婚約破棄を言い渡された。

屋敷に戻ると、使用人達が仕切りにアンリーナを気遣ってくれる。


「アンリーナ様! お疲れですか。よろしければ、気分が落ち着くハーブティーでも」

「ごめんなさい。今は、ちょっと」

「アンリーナ様。でしたら、ケーキはどうでしょうか」

「……何も食べたくないの」


そのままアンリーナは、自分の部屋のドアを力なく開けて入っていってしまった。

最後に見た後ろ姿は弱々しいもので、どれほどアンリーナが傷ついているかは一目でわかる。

ギリ、とミヤが力一杯拳を握りしめた。


「酷い……酷すぎる。お嬢様のせいじゃないのに。あんなに、あんなに頑張ってきたのに」

「ミヤ君……」

「ミヤ君、まさか、お嬢様は」

「婚約破棄だよっ! リュシエル殿下にっ、婚約破棄されたんだっ!」


血の滲むような声で吐き捨てたミヤに、使用人達に緊張が走る。

婚約破棄されたということは、アンリーナは傷モノの令嬢になったということだ。

社交場で馬鹿にされるかもしれないし、結婚相手すらいなくなる可能性もある。


「酷いよ……! お嬢様が、何したっていうんだよ……! こんな、こんなことって」


何度も言葉を詰まらせ、ミヤは瞳に涙を滲ませた。


「リュシエル殿下のばかやろぉ……お嬢様を守るって、言ったじゃんかぁぁ……」


ミヤも理解できていないわけではない。

国の面子やプライドもあるし、他の国に下に見られることもされてはならない。

かといって、あまりに急すぎやしないか。

アンリーナに口だけの謝罪ではなく、もっと何かなかったのか。

一人の少女の人生を奪ったも同然の行為に、ミヤは怒りと悔しさを抑えきれない。


「ちくしょう、運命なんて大っ嫌いだ!」






一方、アンリーナは部屋に篭った後、着替えることもせずベッドに沈み込んだ。

もう何もしたくない。

黙って枕に顔を埋めていれば、さまざまなことが思い浮かぶ。


「……どうすればいいんだろう」


アンリーナは、王太子妃以外の生き方を知らない。

王太子妃としてしか生きていけないはずだった。

これからのアンリーナは、普通の令嬢よりもよほど過酷な状況に身を置かれることになる。

傷モノになった上に、魔力がない。

もしかしたら、一生屋敷に閉じこもっているほうがいいのかもしれない。


「う……うぅ」


リュシエルのことが好きだったわけではない。しかし、これまでの努力が水の泡になったと考えると堪らなく悔しかった。

施したメイクが崩れるのも気にせずに、アンリーナは再び泣きじゃくった。

明日からまた、伯爵令嬢アンリーナとして頑張るから、今日は泣かせて欲しい。

泣きすぎて頭痛がする中、アンリーナはそのまま眠りについた。


◆ ◆ ◆


朝日が窓から差し込み、アンリーナは目覚めた。

どれだけ悲しくても朝はやってくるもので、腫れぼったくなった目は赤くなっている。

昨日無下にしてしまった使用人達に謝罪せねばならない。

アンリーナはベッドから起き上がると、ドアを開けて廊下へと出た。


「……?」


何やら外が騒がしい。

使用人達も窓から外を見つめては困惑しているようだ。


「どうしました?」

「あっ、アンリーナ様」


窓際にいたメイドに話しかけると、メイドは眉を下げてその場から一歩退いた。


「その、外に……」


歯切れの悪いメイドを不思議に思いつつ、アンリーナは窓を開けて外を覗いた。

そこには、信じられないものがいた。


「うわぁあああああああっ!! アンリーナ!! 頼むっ、俺を捨てないでくれぇえええええ!!」


ーー幻覚だろうか。

なぜリュシエルが屋敷の門にへばりついているのだろう。

すると、どこからかミヤがやってきて、遠い目をしてアンリーナに尋ねた。


「お嬢様。なんてもの連れてきたんですか」

「え、いや、私は何も……」

「アンリーーナーーーー!!」


リュシエルの雄叫びに、ミヤはぼそりと呟いた。


「タタリ神の亜種かよ」

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