鋼鉄の両翼

高黄森哉

[滞空初日]



「船長。もうすぐ暴風域に突入します」


 副船長は言った。私はこの船の船長である、もう七十二なるベテラン船長だ。私は錨を下ろすよう、受話器に怒鳴った。すると唸るような細かい金属音が聞こえてくる。すかさず次の指示を出さなければいけない。私は私を取り巻くように配置されている受話器から、機関室へつなぐ赤いものを手に取った。


「クラッチ、解除ぉ」


 私は充電に備えてクラッチを解除させたままにした。私はぐるりと正面から九十度のところにある、別の受話器を取る。白髪を掻きながら指示を飛ばした。


「フラップ、展開」


 そうすると、船は段々と減速して遂に空中で停止した。暴風の中、ブーメランのような船体は、揚力を受けて滞空する。しばらくすると、今度は後ろに押し下げられ始めた。あとは、錨がちゃんと機能してくれることを祈るのみだ。船体が大きく揺れる。錨がどこかに引っかかったらしい。成功だ。錨から伸びる紐に繋がれた三角の船体、それは紛れもなく巨大な凧であった。

 流線形になったとても低い艦橋から後ろに見える巨大な窓を確認する。すると、翼に四つ取り付けられている、クラッチを外して自由になった大きなプロペラが、回転を始めている模様が、光りに照らされていた。すかさず機関室への受話器を取る。


「回転を逆にして、クラッチ、戻せ」


 これで滞空中に充電できる。モーターへ回転を逆に入力するのだ。発電された電気はいろいろなものに使える。轟音の接続音と共に振動が船内を埋める。私は一仕事終えたので、ゆっくり休みたいと思う。だが最後にすることがあった。船員に成功を伝えた。


「滞空に成功した。これより、解散する。ありがとう」


 まばらに拍手が沸き起こる。誰も猿みたいに吠えたりしないのは長旅で疲れているからだろう。それに真夜中である。短針は一時を指していた。

 各々は目をこすりながら自分の部屋に戻っていく。制御室は、大体三分の一の人員が残るのみになった。というのも、滞空中は姿勢制御は真空に密閉されている容器の中にあるジャイロに任せても問題ないため、最低限の人員が交代で維持することになっているのだ。私は昨日は徹夜で舵取りしたため睡眠を取るべきと判断した。副船長に「なにかあったら、それがどんなに些細なことでも遠慮なく、船長室のベルを鳴らしてくださいな」と伝えて、船長室まで腰を曲げてあるく。

 梯子を注意深く下りると、そこは全翼機の羽の内部である。真ん中の廊下を進むと展望室という正面のガラス張りの窓があるおおきなホールに出る。ホールには用がないので、反対に後ろに歩く。すると、突き当りに私の部屋があった。全翼機(昔、地球では、こう呼ばれていたが、今は単に船と呼ばれている)の後方に艦橋が飛び出ているためすぐであった。

 扉を開けると、鈍い金属の壁に囲まれた六畳くらいの部屋が広がっていた。天井の低いこの部屋はごちゃごちゃしてるが、ゴミが溢れているわけではなくて、ただ趣味で溢れていた。勉強のための書類、船の模型、天気地図、経年劣化で黄色くなった写真、ナイフ、噛み煙草、サボテン、そして水槽。

 私の部屋の隅には水槽がある。その中で、社会性のある蜘蛛を飼育していた。ハエトリグモに似たこの蜘蛛は高級なペットである。船長である私の半年の給料をもって、ようやく一つのコロニーを購入できるのだ。購入してからも、コロニーの維持には知識も必要だったし、手間と金がかかった。今は四世代で、もうすぐ五世代の波が来るだろう。私は彼らの無事を確認して、棚にあった乾燥コオロギを巣に付けてから、寝床に横たわった。


「はあ、憂鬱だなあ」


 私はこれからのことを考えた。これから一か月ここにとどまることになる。それは飛行のための電気がないという技術的な問題のためであり、早くつきすぎても国境上空で待たされるだけであるという制度上の問題でもあった。

 今回の滞空で、どんないざこざが起こるか見当もつかないが、何とかなるだろう。いや私が何とかするのだ。私は廊下で骨がちになった脛を抱えるようにして死んだように眠った。




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