第2話 凛子

 受付の電話が鳴った。

「はい、もふもふパラダイスです。」

店の名前を口にする度に、気恥ずかしくなる。店名をつけた人のセンスを疑う。

「もしもし三上さん?」

送迎担当の太田からだ。なんだか焦っているような声。

「準さんに捕まっちゃって」

「え? 今日は準さんの送迎予定ないでしょ?」

今日の予約表を見ると、準の名前は無い。準は重症患者だ。


「こんばんは。瀬奈、空いていますか?」

スマホを太田が渡したのか、取り上げられたのかわからないが、いきなり準の声がした。

瀬奈の予約表を見ると、準のお気に入りは他のお客の相手をしている最中だった。

「送迎の人を見つけたから、無理矢理頼んで電話してもらっちゃって」

「かなり待つ時もありますから、次回からきちんと予約をして下さいね。あまりルール違反をなさるようですと、出禁にしますよ」

「そんなこと言わないでよ。瀬奈に会いたいが故なんだからさ。もうさ、プロジェクトが立て込んでいて、予約してもさ、時間通りに行かれるとは限らないから……。とは言っても瀬奈に会わないとストレスでおかしくなりそうで。どのくらい待てば良さそう?」

「少々お待ち下さい。今調べますから……」

太田は今店から車で30分圏内にいる。

「そうですね、10分ほどお待ちいただく事になりますが、どうしますか?」

「10分なら待ちますよ。では、よろしくお願いします!」

唐突に電話は切れた。



 凛子が来店した。データを見ると、彼女は既に半年前から通い始め、来店数は二十回を超えている。

「いらっしゃいませ」

「こんにちは。また来てしまいました……」

それはそうだ、彼女は中毒一歩手前。瞳も潤みがち。

「度々のご来店、有難うございます。お待ちしておりました」

「なんだか、花ちゃんに会えないと仕事中でも気になってしまって。白いふわふわしたものを見るとなんでも花ちゃんに見えてしまって……。こんなこと言うと、まるで花ちゃんに恋しているみたいですよね」

凛子は恥ずかしそうに俯いた。名前と違い彼女は肩の下まで伸ばした黒髪の、大人しそうな人だ。超大手企業で経理を担当している。

「そういえば、三上さんはいつもマスクと手袋をしていらっしゃいますよね?」

私もスタッフも常にマスクと手袋をしている。

「はい、病院と一緒で病気を移したりしないようにするためです」

「気を使っていらっしゃるんですね」

「もちろんです。凛子さん、今日荷物多いですね。重いでしょう?」

「ノートパソコンを持ってきたんです。仕事終わらなくて……。ここ確かWi-Fi飛んでますよね? 名前はわかりませんが、スタッフの方から、そう聞いたような気がしたのですが……」

「申し訳ございません。ここはWi-Fiも飛んでいませんし、ウサギたちは電子機器に慣れていないので、スマホ・携帯と同じように、パソコンもお預かりさせてください。万が一、ウサギが電子機器に粗相をして、壊してしまうといけないので。多分、新人のスタッフが、間違った情報を凛子さんに伝えてしまったのですね。後で、注意しておきますね」

「あ、きっと私の聞き間違いですから、気にしないで下さい」

「有難うございます。今回はそういうことにしておきますね。お仕事大丈夫でしょうか。今日の予約はキャンセルなさいますか?」

「ここまで来てしまったのですから、キャンセルなんて……。明日早めに出社してやるから、大丈夫です。本当は仕事を持ち帰るのは厳禁だから、ちょうど良かったです」

凛子はホッとしたようだ。やはり、ウサギと触れ合いながら仕事はしたくないのだろう。

パソコンや荷物をお預かりし、レジの後ろのロッカーにしまう。


「花ちゃんの準備ができたようです。では、今日も花ちゃんでよろしいでしょうか」

「はい、お願いします。花ちゃん、元気にしていましたか」

「ええ、凛子さんが来るのを待っているみたいでしたよ」

「そんなことないですよ」

そう言いつつ凛子の瞳が潤んでいる。一気に突き落としてしまいたいような、止めてあげたいような……。でも、これは仕事だ、と自分に言い聞かせる。

「花は凛子さんの手に鼻をツンツンしたり、舐めたりしますか?」

「えぇ、毎回鼻ツンツンしてくれます。そこがまた、可愛いんですよね」

「他のお客様に聞くと、花に鼻ツンツンされているのは、凛子さんだけのようですよ。花ちゃんが凛子さんにとても懐いている証拠ですね。花はなかなか人に懐かないのです」

「本当ですか、嬉しい! 今日もおやつをあげても良いですか?」

「どうぞ、どうぞ。花も喜びますよ。花のお部屋へどうぞ。どうぞ、ごゆっくりなさってくださいね。たくさん遊んであげ下さいね」

凛子はそそくさと、花の部屋へ入っていった。


「春日さん、パソコンをお預かりしたから」

花の部屋のドアが閉まるのを確認して、小声で告げると、IT担当の春日が預かったパソコンを持って、奥の部屋へと入って行った。凛子がどれだけの情報を持っているか気になるところだ。早い段階で情報を引き出せれば、凛子は傷を負わずに社会の中へ戻っていくことが出来るだろう。春日の後を追って、奥の部屋を覗く。

「どう?」

画面越しに、春日の突き出した親指が見えた。

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