穴を掘る麒麟

芥葉亭子迷

冒頭

――明治42年 東京府本所区――




 ダァンッ――



 は、は、と短く荒い息をこぼす。

 ボロ小屋の連なりに少年が一人。石につまずいて呻き声を漏らし、それでも立ち上がろうとする。少年のすぐ真横を大荷物を背負った人々が走り抜けていく。遠くで雷鳴がとどろく。早まる雨足はしのく雨となって人々の首を狙って降り注ぐ。


「いやあ!」

「お許しくださりませお許しくださりませ」

「ひい」

「おみ、お見逃しを」

「何も見ておりませぬ何も聞いておりませぬ誰にも言いませぬ」

「ぎゃあ鳴呼あ」

「お母さん!」


 黒い軍服を着た警官らが続けざまに銃を放つ。血を流して倒れた女子供を引きって車の荷台へ無造作に投げ入れた。警官らは刀やむちを使って老婆や男を荷台へ、荷台へ。既に二台の車に小山ができている。

 狭い路地だ。家々から人が飛び出して来て肩がぶつかる。小さな子供や老人は撃たれ、踏み潰され、少年が走ってきた通りには血の川が広がっている……。


 ――噂には聞いていたが、まさかこれほどの様相とは思わなんだ。


 額から血を流して泣いている幼子を、大荷物を背負った少女が足を止めて、荷物を捨ててまで抱えようとしている。少年はそれを見て、ぐ、と歯を噛み締め、走り出した。


 ――曰く。貧困街には時おり武装した警官がやってきて”狩り”を行うのだと。


「貸して! 僕が背負うよ!」

「えっ! でも!」

「急いで! 追いつかれちゃう!」

「う、うん!!」


 荷物を背負って、鋭い雨から幼子を守るように抱える。


 ダンッ――


「ゔ…ッッ」


 女の子が撃たれた。

 もう、すぐそこまで警官が迫っている。


「大丈夫!?」

「っ!」


 衝撃でしゃがみ込んだ少女はキッと少年を見上げて、


「その子をお願い」

「でも」

「これを。……あなたたちに神の御加護がありますように」


 少女はたもとから十字架のネックレスを取り出して少年に渡すと、


「どうか逃げ延びて」

「……っ」

 目から光を無くして倒れ伏した。

 少年はギュム、と顔を歪めて、走り出す。


 ――でも、聞いたことがある。

 ――狩られて死んだ筈の人を、別の場所で見たことがあると。


 家から飛び出してきた人に体当たりされて反対側の家まで弾き飛ばされる。背負った荷物が叩きつけられて布が破れ、中身が溢れる。

 腕の中の幼子を見ると、壁に強打してしまったのか、目を見開いて死んでいた。嗚咽を堪えて、開かれたままの家の中に遺体を置く……。

 少年は短い祈りを捧げた後、少女から貰ったネックレスを身につけて家を出る。

 ザァァァと竹槍の雨が降っている。

 その音が一瞬、止んだ気がした。

 少年の目の前に、警官が立っていた。

 警官は少年のネックレスを見て目を細め、


「Amen」


 銃口を向けた。




 ダァンッ――


 

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