第一章 月にふれる蛾

一 不帰

――???――





…………ミィィイ――――――ンンン―――ミ―――――ンンンン………………。







 






 開いた本を伏せたような瓦屋根を青紅葉が扇ぎ、縁側で昼寝をしている少年の黒髪に木漏れ日がかかる。部屋の中で、床に散らばったいろは歌の習字がパラパラと音を立てる。廊下のお盆に置かれた麦茶の飲み残しに青紅葉の影が映る。

 鮮やかな蝉の鳴き声にふっと意識が浮上した少年は、肺いっぱいに空気を吸って、寝転がったまま伸びをし、寝返りをうった。


「ぉーい、――!」


 その時、少年の名を誰かが呼んだ。


(父さん……?)


 少年は寝ぼけた頭の中で……ちょっと待って……と返事を返し、ごろり、落ち着く場所を探した。自分を呼ぶ声が近づいてきて、うっすらひらいた視線の先に映ったのは、廊下の角を曲がる黒い着流しの裾。

 あ、父さんだ、と少年が認識した瞬間。


 ヂヂ…ッ。


 ――蝉が。

 少年と父親の間を遮るように落ちてきた。少年をキッと射抜く目玉は、虫にしてはあまりにも黒く、凪いで、銃口のようだった。

 得体の知れぬ恐ろしさに身動き、瞬きをすると――


 胡麻粒ほどの隙間を残して、瞳孔と瞳孔が”かち合った”。


 至近距離の蝉の産毛の向こう、父親がぼやけていく。外からする鳴き声が、押し寄せるような耳鳴りに変わる。


『思い出せ』


 自分の奥深くから、声がした。

 その時、瓦屋根を吹き飛ばす勢いの突風が吹いて、世界がぐにゃりと澱んだ。太い幹はくの字にしなり、青紅葉の色が様々な色に変わり、騒めく葉は赤子の鬱血した手にも見えた。


(あ、れ? ここは……)


 蝉の巨大な目玉に映り込んだ”少年”の顔にノイズが走り、顔立ちがわからなくなった。


 何かを、忘れている。

 少年がそうはっきりと自覚し、記憶を振り返ろうとした途端、蝉の目玉が急速に膨れ上がって――。












――平成30年東京都千代田区――



「おい! 起きたか? サイコ野郎」


 茶色の革ジャンを着た無性髭の男が、線の細い青年を覗き込んでいた。

 青年が目覚めたばかりの霞んだ視界であたりを見回せば、コンクリート壁の六畳もない室内に無機質なステンレス製のテーブルとパイプ椅子、ドアの近くに座った警察官。ドラマで見たことのある取調室そのものだ。ならば、この無性髭の男は刑事だろうか。

 青年は手元を見る。座り心地の悪いパイプ椅子、手首でジャラつく手錠。


(僕は……捕まった、のか?)


 寝起きの頭がこの異常な状況を理解しようと高速で回転し始める。直前の記憶を巻き戻すように探ろうとするが頭に手酷い鈍痛が走って、消えた筈の蝉の鳴き声がまた頭の中で大きくなりだして。

 思い出そうにも、思い出せない。


「何とか言えよ、クズ!」


 刑事の男が怒りのまま机を蹴った。肩がびくっと跳ねる。心は怯えきっているが、それでも現状確認しなくてはと青年は自分に言い聞かせる。


「ぁ。あのぅ……」

「あ!? ようやっと何か喋る気になったかよ……」

「ここって……えっと……すいません、僕、何も覚えてないんですけど、何かしちゃったんでしょうか?」

「は!?」


 今にも襲ってきそうな怖い顔をして、男はスーッと息を吸いながら暫くうろつくと、青年の頭を握り潰すように掴んだ。


「テメェは今朝方スクランブル交差点で27人を殺した大量殺人鬼だ。このあと裁判が待ってるが、現行犯で逮捕したから死刑はほぼ確定している。次ふざけたことぬかしやがったらただじゃおかねぇぞッ!」


 殺人。誰が。僕が? 一体なんの話だ。

 困惑する青年の頭から、吐き捨てるみたいに手を離した男は向かい側のパイプ椅子にどかりと座る。本当に次何かとんちんかんなことを言ったら首を締められそうだ。漫画でしか読んだことがないがきっとこれが殺意なんだろうなぁと、急激なストレスでかいしかけた思考が、青年の脳内で人ごとの様に回転し始める。

 机の上の資料を取って男は読み上げ、


おくやままこ。平成9年12月7日生まれ。男性。20歳。無職。平成30年7月7日午前8時30分頃、都内渋谷区スクランブル交差点において、27人を素手で殺害。駆けつけた警察官によって現行犯逮捕。現在に至る。――ご感想は?」


 青年――奥山の目の前に資料をバンっと叩きつけて睨む。


「嘘つくならもっとマシな嘘にしろよ! 俺は気が長くねぇし、お前みたいな陰気な奴が一番嫌いだ!」


 奥山は大きな怒鳴り声に思わず泣きそうになりながらうなずいた。だって訳がわからない。質問したくてもこの男は怖すぎる。

 必死に考える。なぜこうなったのか。思い出そうとする。


 ヂヂ……。


 外から蝉の羽音が、拍子木のように二回鳴った。







 ――渋谷事件1時間前――


 蚊の羽音がして、奥山情門は起き上がった。


(うーん……あれ? なんか夢見てた気がするんだけどなぁ)


 忘れちったな。

 寝起きの黒髪をガシガシと掻いてベッドから下りた。頭が殴られたようにズキズキ痛む。辺りを見渡せば、狭い部屋の中は空になった安酒のビンや漫画がひどい有様で転がっていた。あぁぁ……掃除しなきゃ……などと考えつつ、おぼろに何をしていたんだったか思い起こし、大きな欠伸をひとつした。

 昨夜は高校の同級生らと明け方まで呑んでいたのだった。心許した親友らとたわいない話で盛り上がり、弱いからいつもは少量で止めておくところを限界まで飲まされ――酔い潰れてしまった後のことは覚えていない。


 プゥゥ――ン……ブウゥゥ――ン……――


 蚊が奥山の周りをさまう。ポリポリと腹を掻きながら床で寝こけている幼なじみ兼ルームメイトをチョイと蹴る。


「うぅぅ……ん」

「すいませーん。起きてくだしあ」

「………」

「返事がない。ただの屍のようだ」


 缶をテーブルに置いて、そばに座る。寝ぼけ眼で何とはなしに部屋を見渡す。蚊の羽音だけが響く。


 プゥン……


 組んだ足のスウェットの上に止まった蚊をそっと”手の中に包み”、奥山は立ち上がった。

 小指で窓を開けてほいっと外に放す。蚊はどこかへ飛んで行った。


「いや、殺せよ」


 寝転がっていた幼馴染――うちせんろうが呆れたように言い放つ。


「蚊だって生きてるんだから」

「出たー。はい出ましたー。仏のまこ!」


 網戸を閉めて換気をする。だってこの部屋、酒臭い。

 呆れ顔のうちはウンウン呻きながら床を這いずってリモコンを取り、TVをつける。


「っていうか頭痛ぁい。酔い止めってないの?」

『――都内品川区の住宅街で男女5人が死亡した事件について、警視庁はたかちょう容疑者(20)が東京拘置所内にて心不全で死亡したと報道しました』

「僕、普段飲まないから持ってないよ」

「えぇー! じゃあ買いに行くしかないじゃん」


 面倒臭ぁと言いながらチャンネルを変える。

 今のニュースの犯人、同い年だったなと思いつつ、


「いいよ、僕が行くよ」

「あ。それよ、それ。ダメだって」

「え? 何が?」

「その、面倒事は全部引き受けます、って態度」


 散らかった漫画本を手を伸ばして掴みながら鶏内はむすっと言う。


「お前何でもかんでもすぐに背負いすぎ。そんなだから変なバイト先に捕まるんだよ」

「うっ」


 そう言われて、つい昨日、喫茶店のバイトを辞めたのを思い出した。親友たちが集まったのはそれの慰め会だった。

 真面目で責任感が強く、誠実で丁寧な仕事をするまこはブラックな職場では格好の餌食だったのだ。

 週2の希望が週6は当たり前になって、情門がやらなければ誰もやらないが、やらなくては困る細々とした雑用などはサービス残業でやっていた。

 ただのバイトなのに、情門がいなくては店が回らないぐらいにまで責任を負わされ、やったことのない仕事もやらされ、失敗し、怒られる。最後は食洗機の入れ方が違うと不機嫌な店主に怒鳴られて、帰って泣いたら鶏内に辞めろと言われ、その日に辞めてしまったのだった。


「だって……それは……」

「何事も人任せにして適当に生きろよ、俺みたいにさぁ。そんなんじゃ早死にするぞ?」

「でも……」

「だから、今回はジャンケンな」


 ニカ、と笑う。釣られて奥山もへら、と笑った。


「最初はグー!」

「ジャンケン、」

「「ぽんっ!」」

「「あ」」


 うちがパーで、奥山がグー。奥山の負けだ。


「結局お前かよ」

「へへ。じゃあ行ってくるね」

「よろー」


 鶏内がため息を吐いて漫画を読み出すのを見て苦笑しつつ、髪を軽く整え、スウェット姿のまま携帯と財布を持って家を出た。


 ダンッッ――


 玄関のドアが銃声みたいな音を立てて閉まった。

 サンダルを履きかけながら進む奥山が一瞬撃たれたようによろる。


 アパートの玄関口にある木に蝉が一匹止まって鳴き始めた。






 土曜日の渋谷区は若い恋人たちや観光客、親子連れや休日出勤のサラリーマンなどでごった返している。

 考え事をしながら下を向いて歩いていたら、奥山はいつの間にかスクランブル交差点まで来てしまっていた。

 なんだって僕はバイトを辞めた翌日にリア充を見に来てしまったのか。まあ、いっか。幸せそうな人を見るとテンションも上がるかも。

 どこを見ても人、人、人。

 二日酔いにこの大量の人混みはやっぱりキツい。吐き気をグッと堪えて酔い止めが売っているだろうコンビニを探して歩き出す。

 前方から、モデルのように端正な顔立ちのカップルが歩いてくる。


「さっきの女、誰よ」

「仕事の同僚だって」

「嘘。見る目が変だった」

「あぁかしましい……お前にはもういた」

「はぁ? 何その言い方」


「っ、すいません…」


 すれ違い様に人を避けようとした奥山は、若い彼氏さんと肩がぶつかって咄嗟に頭を下げる。


「いえ、」


 隣の綺麗な若い女の子に顔を見られたくなくて、顔をあげなかったから。

 奥山は彼の目に一瞬映った愉悦に気づかなかった。


「…っと」


 避けた拍子に足がもつれてこけそうになるのを何とか防ぐ。


「大丈夫ですか?」

「あ、だっ、大丈夫です。ありがとうございます、すいません」  


 カチッと音がした。万年筆の蓋が取れたような音だった。

 咄嗟に腕を取って支えてくれた彼の目と、奥山の目が不思議なほどぴったりと合わさった。

 ――ヂヂッ。

 いい人だ、と思う奥山の脳裏で、蝉の鳴き声と共に彼の姿がモノクロにブレる。


(なんだ……? 着物……?)


 凄まじいほど蝉の声が押し寄せる。頭を振って誤魔化せば、左腕に小さな痛みがした。


「いてっ」

「あぁ、すみません。強く掴みすぎちゃったかな」


 見れば、彼の爪が奥山の皮膚を少し刺していて血が滲んでいた。


「いや、大丈夫です。これくらい。ありがとうございます」


 視線が外れた。

 彼はすぐに姿勢を戻して、ニコっと笑って彼女さんと去っていった。

 その口元が笑顔から真顔に戻る間、彼の皮膚の色が死体のように青白くなっていく。


(ん…?)


 ――突然、視界がぼやけて世界がぐらりと反転する。

 息が、上がる。

 その背後で、彼が倒れていく。


(なん…だ…?)


 奥山のぶたが一瞬 痙攣けいれんした。

 ゆっくりと見開かれた白目は墨を一滴落としたように滲んで黒く染まり、黒目は白濁していた……。


 次の瞬間。


「きゃあああああああああああ」


 倒れていく彼の頭部を、奥山の腕が尋常ではない速度で突き抜けた。

 凶行に走った奥山の額には、太陽と月を煮詰めたような”勾玉の瞳”が開眼し、ギロッと、立ち尽くす彼女をとらえた。








――現在公開可能な情報――


[平成30年7月7日正午のネットニュース]

 午前8時30分頃、都内渋谷区で27人が素手で殺害される事件が発生。

 警視庁は無職・おくやままこ容疑者(20)を殺害容疑の疑いで現行犯逮捕した。

 通報者の証言によると、当時の奥山容疑者の様子は尋常でなく、白目は黒く、黒目は白濁し、額の目が生き物のように動いていたとのこと。また、発見者の多くが、挙動が速すぎて何が起きているのかわからなかった、気がついたら人が血を流して倒れていたと証言している。

(略)

 奥山容疑者は事件直後から現在にかけてこんすい状態にあり、警察は意識障害の可能性もあるとみて捜査を進めている。







 ――コン、コン


「はい?」

「失礼します」


 身動き一つ取れぬほど緊迫した取調室に、男が入ってくる。喪服を思い起こさせる黒一色のスーツに黒い宝石を嵌め込んだロザリオのネックレスを身につけていた。刑事にしては異様な、およそ堅気ではない雰囲気の男は警察手帳を取り出して、


「公安第五課、あもです」

「あ、こりゃどうも、お疲れ様です」


 刑事同士で挨拶を済ませるとブラックスーツの男は奥山に視線を向ける。闇を喰らい尽くしたような高濃度のサングラスのせいで、どういう目で奥山を見ているのかわからなかった。


(公安って……あの? スパイとかやってるやつ?)

「彼が今朝の?」

「はい、そうです」


 フゥンと言いたげに奥山に近づき「ちょっとごめんね」と言って片手で奥山の目蓋を交互に開いて何かを確認した後、男の方を振り返る。


「今から彼の身柄は第五課が預かりますので」

「はい!? え、しかし、その、管轄が……」


 感情の出やすい男だ、刑事は眉間にシワを寄せて不審感を露にする。


「何か」


 天羽の冷ややかな視線はサングラス越しでも見て取れた。嫌な沈黙が落ちる。


「すいません……」

「全員出ていってもらえますか? 彼と二人で話がしたいんで」

「あ、はい。……行くぞ」


 記録係の警察官を連れて無精髭の刑事は出ていった。

 パイプ椅子に腰掛ける。と、がらりと天羽の雰囲気が変わった。


「いやぁ、暑いねぇ今日は。君はお水飲む?」

「え。あ、いえ、大丈夫です……」

「そう? 飲んどきなよぉ、熱中症になったら大変だよ?」


 紙コップを受け取る。生温いカルキ水が喉を通っていった。


「自己紹介するね。俺はあも。警視庁の公安第五課っていうところにいる刑事さんだよ。君はおくやままこくんでいいね?」

「はい」

「うん、うん。”最初の頃より意識がちゃんとしている”ようで良かった。体調はどう? 気持ち悪いとか、どこか痛いとかある?」

「いえ……頭が少し痛むぐらいで」

「そっか、そっか」


 天羽はチビ、と紙コップを傾け、ニコ、と笑う。


「それで……どこまで覚えてる?」

「え」

「ここに来るまで、のお話だよ」


 蝉が頭の中でうるさく鳴いている。


「それが……全然、覚えてなくて。さっきの刑事さん? に人を殺したと言われたんですけど……たぶん、何かの間違いだと思います」

「間違いではないよ」


 温和なひととなりほだされかけていた、信頼し始めていた心がキュゥと冷たくなる。誰かに否定して欲しかった。だって、それじゃあ。


「君は確かに人を殺している。交差点の監視カメラを俺は見てきた。27人、きっちり殺しているよ」


 見たかったら用意するよ、と付け加えられるが、衝撃が強すぎて反応ができない。


「このままいけば死刑か終身刑だね。裁判で勝つには精神障害を押していかないといけないけど、今の君は正常だから無理ゲーかな。それよりも……」


 机の上で手を組む。


「記憶がないっていうのは”殺人を犯している間”のことでいいかな?」

「……そうです」

「最後の記憶はいつで切れてる?」

「家を出て、コンビニに行こうとしました……ボーッと考え事しながら歩いていたら、交差点まで出ちゃってて。それで……」

「その時、誰かとぶつかったとか、目が合ったとか、なんか変なものを見たり触ったりしたとか、ある?」

「えっと……」


 頭の中のスモークを必死で払いのけてゆく。


「わ、からないです……すみません……」

「ううん、大丈夫。俺にとって重要なのは記憶の無い時間がいつかってことだからね。君はちゃんと答えてくれたよ、ありがとう」

「いえ……」


 柔和な声色にホッと安心する。張り詰めていた緊張感が少し軽減した。


「これから君にいくつか伝えなければならないことがあるんだけど」

「何ですか?」

「しっかりと聞いていてね。まず一つめは大前提のお話さ」


「この世には人とは別に、”鬼”と言う生き物がいる。鬼は平安時代より前から存在する化け物で、人を殺したり食べたり弄んだりする。俺たち第五課の調査で日本国内での怪死者・行方不明者・後天的精神障害者の殆どが彼らによるものであることが判明しているんだよ」


「鬼というのは、古来より神、妖怪、幽霊等と形容される自然法則に反した存在の総称でね。一級、二級、三級と等級分けされて強さも厄介さもマチマチなんだけど」


「生きている人間に”憑依”できるのは【つめ】と呼ばれる一体だけ」


「こいつに憑依された”媒体”は目の前にいる人という人を殺して回る。――丁度、今朝の君みたいにね」


 ズズ、と一息つく。

 ……少しも頭に入ってこない。


「……つまり?」

「殺人を犯したのは君ではなく、君の体を乗っ取った無爪だってこと」


 君に罪はないんだよとやんわり笑んだ。その言葉に涙がこぼれそうになってうつむいた。


「ありがとう、ございます……?」

「あはは。お礼を言われる筋合いはないよ。でも、二つめね」

「はい……」

「本当に申し訳ないんだけど、鬼がいることを世間には公表できないんだ。だから、君はこのまま罪を背負って生きていかねばならない。被害者家族からも恨まれるだろうし、世間は君を大量殺人鬼として扱うだろう」

「っ!」

「お家にも帰れないし、家族や友達とも、もう会えない。これは俺にもどうしようもない。ごめんね」


 だんだんと現実が迫ってくる。


「そこで物は相談なんだけど」

「?」

「君、うちに入らない?」

「??」

「正確には”協力者”になって手を貸して欲しいんだ。こっちのルートだと、君は獄中で自殺したことにするから世間が君を忘れるのは早くなるだろう」

「えっと、死刑にはならないってことですか…?」

「そうだね。裁判が行われなくなるからね。でも今まで通りの自由な暮らしは難しいかな。公安管理下の施設で俺たちと一緒に暮らすことになると思う」


 混乱状態の奥山は、天羽の言葉にすがるように頷いた。


「僕、協力者、なります」

「ほんとっ? ありがとう!」


 女の子みたいにキャッキャと僕の手を取る天羽さんに、へら、と笑い返す。


 この時、ドアの向こうでは。

 ボードを持って立っている男が、ボールペンを動かした。


 ――自我の項目、可にチェック。

 ――記憶の項目、不にチェック。

 ――会話の項目、可にチェック。

 ……

 ――秘匿死刑囚申告の項目、”可”にチェック。


 奥山が頷いた瞬間、男たちが慌ただしく動き出す。


『急げ。”無爪”に気づかれる前に”獄”送りにするんだ』

『これで”11人目”ですな』

『いやぁこれで”開いた穴が埋まる”ってもんです』

『課長! ”T-4”にいる”たかちょう”から緊急要請です』

「天羽。聞こえるな。”確認”は後でいい、媒体をT-4に移動する」


 インカムで流れる指示。一瞬笑みを薄めた天羽は再び無害な笑みを浮かべて口を開く。


「じゃあこれ着けて移動しようか。ついてきてくれる?」

「はい」


 チョーカーみたいな首輪が天羽の手によって付けられる。


「この首輪なんだけどね。中にナノ爆弾が入ってるから。米粒大の手榴弾みたいなもんさ。のけようとしてガチャガチャしたりすると勝手に作動して爆破する仕組みなんだけど、おとなしくしてたら大丈夫だから」

「ひっ…!」

「それと君はこれからちょっと危険な場所に行くけど、俺もついてくから安心してね」

「っは、はい……」

「うん。いい子、いい子。……そのまま、いい子でいておくれ」


 奥山の頭から首が頭巾で覆われる。顔面部分には赤いマジックで×と書かれていた。







うち、お前、奥山と連絡ついた?』

「いや。まだ既読つかねぇし、電話しても全然繋がんない。やっぱ没収されてんのかな」


 その頃、奥山の友人たちはニュースを見て驚き、どうにか連絡を取ろうとしていた。特に奥山をよく知る鶏内は「あいつが人殺しとかありえない」と、一目会うことができないかと警視庁まで駆けつけていた。


『送ったツイ見た? 何あの速さ。オリンピック行けるじゃん。あれが奥山とかありえねぇだろ。あいつ高校の時の50m走9秒だぞ、9秒。小学生並みだぞ? ありえねぇだろ』

「見た。マジで警察どうかしてるよな。ポテチの袋開けるのに必死こくやつが素手で人殺すとか草も生えませんわ」

『それにアップにした画像のやつさ、目ん玉3個目あったよな? 何あれ。つーか、カラコン怖すぎじゃない?』

「それな。額の目動いてたって言ってる奴いるけどバカだろ」

『わかる。流石にそれはない』


 駐車場に車を止めて友と電話をしつつアイパッドで情報を募る。ツイッターは朝から大騒ぎだった。そりゃあそうだ、渋谷のど真ん中での大量殺人。国民が騒がないわけがない。その割にTVのニュース番組ではあまり取り上げられてない様子だから、何かがおかしい。こういうのはリポートヘリの映像を速報で流しそうなものなのに。


『お前、警視庁まで行ってんだろ? そっちどんな感じ?』

「玄関口、記者でいっぱい。入るに入れなそうだけど行ってみようと思ってる」

『そっか。……頑張れよ。冤罪えんざいに決まってるんだ。俺たちもできることするから』

「あんがと」


 通話を切って、深く息を吐く。

 片親をついこの間亡くした奥山にとって、頼れるのは兄弟分の自分だけ。

 俺がしっかりせねば。


 鶏内がルームミラーで前髪を軽く整えて「よっしゃ行くぞ」と車を降りたその時、裏口から一台の護送車が台東区浅草へと出発した。

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