殺戮オランウータン ~人間の血はなぜ青い~
ねえ虚無
青い血
平手打ちをすれば、ぽろりと相手の首が捩じ切れる。殺戮オランウータンにとって、そんなこと朝飯前だ。
よって、お昼時までには、幾つもの頭身分離体が廊下に居並ぶわけだが、彼の生来の几帳面さによって、各々のホトケはあたかもマネキンを整列させたかのように寝相が美しい。
そこはよい。
そこは問題ではない。
もっと刮目すべき事がある。
「何故、血が青い?」
ホトケから滴る血液は、総じて青色である。アメリカ人が好みそうな、青色2号の着色である。
「へい」
殺戮オランウータンは、はにかんで答える。
「イカも血は青色でごぜーます」
イカの血だって青いのだから、人の血も青くたって構わないだろう。そう言いたいらしいのだが、元より人間の血液は赤い。赤い筈の物が青く滴っているとは一体どういう料簡だろう。そう尋ねたつもりだったのだが、如何せんこの殺戮オランウータンは殺戮にしか能がない。
「そうじゃなくて、何でこいつらの血は赤くないのかと聞いているんだ」
すると、殺戮オランウータンは困った顔をして、手を揉み始める。この主人は変な所に拘ってばかりで困る、そう言いたげな目である。それから少しすると、「あっ」と何を閃いたのか、目を輝かせて主人に答えた。
「海も青いでごぜーます」
「馬鹿っ!」
一喝してしまう程に、見当違いな答えであった。やはりこの殺戮オランウータンは殺戮にしか能がない。どうしてそれで答えになると思ったのか、一度こいつの頭の中を確かめてみたいと思った。
「まあ良い」
と、ここは一旦退いておく。本題はそこではないのだ。
「午後はオランダ人。身長が90~170センチの物を10センチ刻みで一人ずつ。その後は、インド人をできるだけ。段取りはそんな感じだ。分かったか?」
これぐらい分かってくれないと困る。殺戮オランウータンは、主人が言った言葉を何度か上の空で復唱して、頷きながら「はい」と答えた。一挙手一投足が馬鹿っぽい。
主人は励ましに殺戮オランウータンの腰を叩いて立ち去る。その姿が廊下の角に消えると、殺戮オランウータンは昼休憩の青バナナをそそくさと食べ始める。
コンサートホールである。
高級感漂う赤い座席が並ぶ中、観客は最前列の二人しかいない。燕尾服を着て、真ん中の座席に並んで座る二人の中年男は、ぽっかり口を開けて舞台の方を見上げている。
「社長さん、それは……」
片方が、あんぐりと口を開いたまま言う。
『社長』と呼ばれた主人は、冷や汗をかきながら注目の的となっている商品を紹介する。
「ご覧の通り、コンサートチャイムです……」
舞台には首の無いオランダ人の身体で作った、典型的なコンサートチャイムが置いてある。身長90センチから10センチ刻みで順番に逆さ吊りさせた物で、首の断面から滴る血液を下皿で受け、定期的に上皿に補給することにより、体の血液を保つ仕組みである。棍棒で叩くと良い音が鳴る事請け合いなのだが、一カ所不信な点がある。
座席の男二人は、一旦顔を見合わせて、またこちらを見返しながら言う。
「だが、血が……」
「青い……」
痛い所を突く、と主人は思う。確かに、彼等にとっては突かざるを得ないのだろうが、しかし、ちょっと待って欲しい。青いから何だというのか、青くても音は変わらないだろうというのが、今現在の彼の本音である。
「しかし、イカも血液は青色でございますから……」
と、あの殺戮オランウータンと同じ、馬鹿げた返答しかできないのが悔しい。
男二人はまた顔を見合わせ、なおも狼狽は解けずに問い詰める。
「だが、人間の血は……」
「赤い……」
存じております、という返答にもならない言葉しか出てこない。ここで、続けて「海も青い」と発言するようであれば、彼は自分で自分を殴ったであろうが、そこは殺戮しか能がない殺戮オランウータンとは違う。気の利いた一言をかけられてこそ、一介の商売人と呼べるだろう。
「空も青うございます」
自分で自分の頬を平手打ちした。幸い、彼は殺戮オランウータンではないので、首が捩じ切れることはない。
男二人は呆然として、今一度顔を見合わせると、ひそひそと言葉を交わし始めた。
「お前が変な所から取り寄せたんじゃないのか」
「馬鹿言え。ちゃんとブランド業者から買い付けたんだ」
「でも見ろ、血が青いぞ」
「そんな訳ないだろ。あれを紹介してもらった時は額を切って見せてもらったんだが、綺麗な赤い血だった」
「でも青い」
「手違いだ!」
何度かそういう応酬が為され、だんだん声も大きくなっていくものだから、主人の耳にも入ってくる。
主人にはどうしようもない。殺戮オランウータンが捌いた時にはもう全部青かった。殺戮オランウータンは殺戮にしか能がないから、血を真っ青にするなんて小細工できやしないし、元々青かったのだという主張しかできない。
男二人はひとしきり言葉を交わし終えると、主人の方を見て、一言告げた。
「困る」
しかし、音は変わりませんから……、と答えるも、
「楽器の血は赤い」
と断固として譲らない。とりあえず、今日の所は納品せず、原因が分かるまでこちらで保管するという話になった。
「おい」
と、主人は殺戮オランウータンに問い詰める。
「お前、何かしたか」
廊下に接する部屋の奥には、先日から捌き続けているインド人の頭身分離体が、やはり殺戮オランウータンの几帳面さによって丁寧に並べられている。これらは近日、国営軍事会社に弾頭部品として納品する手筈なのだが、やはり血液が青い。
殺戮オランウータンは飄々として主人に応える。
「へい、首を捩じ切りました」
「馬鹿っ!」
そういう事を聞いているのではない。そろそろ学習して欲しい物だが、やはり殺戮オランウータンは殺戮にしか能がない。
「捩じ切る時に何かしたか」
殺戮オランウータンは手を揉んで答える。
「へい、頬を叩きました」
腹が立ってきた。主人は足先で何度も床を叩き、それでもなお原因を究明しようとして問いを立てる。
「捩じ切る前に何かしたか」
「へい、『お前を殺す』と言いました」
おや、と主人の足が止まった。
「『お前を殺す』と言ったのか」
「へい」
殺戮オランウータンは生返事をする。主人は訝った。
「そんな工程は指示してない。黙って捌き続けろと言ったはずだ」
殺戮オランウータンは押し黙る。落ち着きなく手を揉み、そういった主人の裁量に対して不満な態度を醸し始めた。間もなく、殺戮オランウータンは、不満を溢す。
「でも、それじゃあつまらんでごぜーます!」
「知るかっ、阿呆っ!」
主人が一喝すると、殺戮オランウータンは肩を跳ねて身を竦める。
全く、と主人は思い、しかし原因が解明された訳ではない。彼は続けて殺戮オランウータンを問い詰める。
「その前は?」
「はい?」
「『お前を殺す』という前に何をしたかと聞いているんだ!」
主人の額に青筋が浮かぶ。殺戮オランウータンは怯えて顔を隠しながらも、怖くて必死に首を捩じ切る前に行った事を思い返す。
「そ、その前は確か、馬鹿にしてやりました!」
「馬鹿にして何の意味があるんだよ! その前は!」
「え、えーと、えーと、うちわを配ってやりました!」
「はあ?」
余りに脈絡のない行動だったので、思わず間抜けな声が出た。そろそろ意味が分からないので、殺戮オランウータンには真意を話して貰わねばならない。
「意味が分からねえ。最初から説明しろ。何で奴等にうちわをくれてやる必要があるんだ」
すると、殺戮オランウータンは、罰の悪そうにしながら渋々言葉を話し始めた。
「とりあえず、仕入れた人間共を椅子に座らせたんでごぜーます。それで、今は夏でしょう? 冷房の無い貧乏会社だから、暑くて堪らなくて、とりあえず窓は開けてたんですけど、それでも暑くって……。それで、人間共が暑い暑いと喚き出して、仕方がねーから、貧乏クズ会社が冷房の代わりに配ってる大量のうちわを配らせたんです。そしたら、そいつらふんぞり返って扇ぎ始めましてね……。それがなんかアホみてーで……。
それで、言ってやったんですよ。『お前ら、今から俺に殺されるんだぞ。なのに、悠々と扇ぎ腐って、馬鹿ばっかだなあ』って。それでビビるかと思ったら、そいつら『は? おめーみてーな小せえ奴に殺されるわけねーだろ。むしろ、俺たちが殺してやるよ』って、煽りやがりましてね。頭に来たんで、さっさと仕事も進めたかったから『ぶっ殺してやる!』って叫んで、いつもみてーに捩じり殺してやったんですよ。そしたら、その場の全員が青ざめ始めましてね……。
それからは、もう一方的に殺してやったんですよ。そういえば、その時から何かもう血が青かったんでごぜーますがね、そんなことはどうでも良くて、とにかく、気持ちよくって。毎日ご主人に威張られてイライラしてたんでしょうね、捩じり殺すたびにスッと心が軽くなって、『あんのご主人のヤロー!』、『クズバカボンクラアホ会社め!』、『給料上げろうんこタレ!』って思いながら捩じり殺すと、それはもう快感で、そんなこと初めてだったんで……。
それからは、同じことを続けて、同じことをしてたって話なだけなんで、血が青い事とは何も関係ねーでごぜーま…………、あ………」
ひとしきり言葉をまくし立てて、殺戮オランウータンは初めて我に返った。今目の前で肩を震わせる男は何者だったか。彼は自分のご主人で、冷暖房費をケチるクソバカボンクラアホ会社の社長で……。
「このっ、クソバカボンクラアホ殺戮オランウータンめっ!」
雷が落ちた。
「聞いていれば俺のことバカにしやがって。仕事を与えてやってるのはどこの誰だ! 殺戮しか能がないお前をわざわざ雇ってやってるのは誰だ! そもそも、お前が何かしでかしてなきゃこんな事にはなってねーんだよ! 今日会ったお客様は、あの人間共を仕入れた時には血は赤かったって言ってた! ならあいつらを捌くお前が何かしてなきゃ血が青くなるわけがねーんだ! 何かやったんだろお前! いい加減にしろよ、お前のせいで納品できなかったんだぞ! お得意様だったんだぞ! これでまた売り上げ減ったらどうするんだ!」
主人は顔面のありとあらゆる場所に青筋を作り、罵詈雑言を尽くして殺戮オランウータンを煽り立てた。
「なんか言えよ、役立たず! 俺の事業の足引っ張りやがって、殺戮だけならどんなオランウータンでもできるんだよ! おめーは殺戮しかできねーだろうが! そんな馬鹿でクズの極みみたいな奴をこの俺が雇ってやったのに、恩を仇で返しやがって! お前はクビだ!」
主人は殺戮オランウータンの頬を平手打った。軽快な音が部屋に響き渡り、殺戮オランウータンは呆然として今身に降りかかった事を整理しようとしている。その間にも、主人は怒りに任せて殺戮オランウータンを罵った。
それが何十分も続いた後、やがて主人は、
「クソッ、苛々してたらもっと暑くなってきやがった」
と言って、うちわで首筋を扇ぎ、携帯してたペットボトルの水を呷った。
その時、
「……ってやる」
主人は殺戮オランウータンが何かを呟くのが聞こえた。
「何だって?」
主人が耳をそばだてると、殺戮オランウータンは怒号を上げて叫んだ。
「ぶっ殺してやる!」
主人は青ざめた。同時に思い出す。この殺戮オランウータンは一体何の能しかなかったのか。
次の瞬間、殺戮オランウータンの平手打ちが飛び、主人のクビも飛んだ。その断面からは、海にも空にも、イカにも負けない、鮮やかな青色の血が噴き出した。
殺戮オランウータン ~人間の血はなぜ青い~ ねえ虚無 @kyomukyomu01
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