歪んだ愛のカタチ

eimy

第1話

拉致、レイプ事件後、

BUMP OF CHICKENにハマっていた私は、なんとか男性恐怖症を乗り越え某女子大に受かったが、中退しイタリアン店のアルバイトを始めた。

当時エクステが流行り私もエクステをつけロングヘアーにしていた。

アルバイト先の厨房で働くお兄ちゃん的存在の人から知り合いがバンドやっているから行こうと誘われ、初めてライブハウスというものに行った。

そのバンドのボーカルは身長が私より低く華奢な体でオレンジのつなぎをステージ衣装として使っていた姿が可愛く思え好印象だった。

曲も私の好みで、テンションが上がり、ライブハウスの雰囲気が好きで通うようになった。

そして紹介されたバンドの人とも仲良くなり楽しかった。




それが失敗だった。



通うようになり、バンドを盛り上げてほしいと頼まれ当時バンドのHPでの掲示板に書き込むようになり、友達もライブに誘った。

友達も気に入ってくれたようで私は嬉しかった。


数ヵ月後、バンドのボーカルが持病のネフローゼ症候群で入院し、入院中お見舞いに行った。

弱った彼は透析を受けており

【俺の命は長くはない】と何度も言われ同情をした。


そんな人間が私の周りにはいなかったせいもあり、ドラマでしか知らなかった私はどうしたらいいのかわからなかった……。

どう接していいのかわからなかった……。

彼には7年続く美容師の彼女がいた。

私は彼女を【姉さん】と呼び慕っていた。


退院後、気分転換に付き合ってくれと言う彼に付き合った。

お酒はダメだと言われているというのに居酒屋へ行った。

私は心配になり、お酒を飲むのを止めたが聞いてはくれず、タバコを吸いながら飲む彼を見て投げやりになっているのかと感じた。


そして酔った彼に【俺の事好きだろ?】と言われ【嫌いではない】と正直に答えた所、その返答が気に入らなかったのかキレ始めた。


本当に好きとかではなく、曲を作れたり歌がうまかったりと尊敬するところはあった。


そして何より姉さんという彼女がいるのになぜそんなことを言うのだろうと不思議に思った。


そして店でも道端でも口論となり近くにあったラブホテルへ連れていかれ、口論をし、ラブホに着いても、セックスはしたくない。私は過去の経験から不感症だと伝えたが、聞いてもくれず肉体関係を持った。

2回目はないと伝えた。

その後なにもなかったかのようにライブに呼ばれ行っていたが、彼は慕っていた姉さんに私の事をバラしており険悪になった。

姉さんの目は冷たく、私を睨んでいた。

優しかった姉さんに申し訳ないと思い

通うのをやめようと思い、アルバイトに励んだ。


時間が経ちメールで彼は彼女と別れたといい、

電話で【俺を好きなことはわかってるから】と言い放ち

気づけば私は彼女になっていた。


私と彼は付き合うことになった。

その頃の彼の口癖は

【愛は金で買える】

だった。

ホストみたいな発言をするなぁと彼を見る目が変わった台詞だった。

どういった恋愛をしてきたかわからないが、どうしてそんな価値観になったのかいくら考えても理解は出来なかった…


そしてセックス経験のあまりない私にあれこれ教えはじめ、毎日AVを見させられ、フェラの仕方など教え込まれた。


今思えば、彼との付き合いは同情や哀れみで恋愛感情とは違う。

当時私はそれを恋だと思い込んでいた。

命少ない限られた時間を満たしてあげようという変な哀れみの気持ちも、幸せにしたいという気持ちも確かにあった。



付き合うごとに、彼は私に病気で働けないからと金銭やプレゼントを求めた。

ギターやらエフェクター、シンセサイザーなど機材やらゲーム、マンガ、服などを買い与えた。

そのうち、私はお金がなくなっていき夜の店で働くようになった。

キャバクラもセクキャバもデリへルもソープも何が違うのかもわからず、いきなりセクキャバといわれる店に勤めた。

セクキャバというのは当時おっぱいパブで、ひたすら何人ものお客さんにキスやおっぱいを揉まれ、舐められるものだった。

毎日が精神的に辛く、気持ち悪さでいっぱいになった。

1日に酔っ払った男性におっぱいを揉まれ舐め回されキスも普通のキスではなくディープキスでのサービスに毎日病んでいた。

彼にはbarで働いていることにし、借金も抱えた。

そしてデリへルも掛け持ちでするようになった。

デリへルは、本番行為(セックス)がなく、手や口でのサービスで射精をさせるというものだった。


ある日彼は同棲しようといい、私名義で初めて部屋を借りた。

当時簡単に借りれたレオパレスだった。

彼は自分の家というしがらみから逃げ自由気ままに生活するようになった。

女の子を連れ込んだり、友達を呼び、飲み会をしていた。

私は毎日気持ち悪い思いをしながら働いているのに……と思い腹が立ち帰らない日もあった。


ケンカをする日もあったがするたびにセックスに持ち込まれごまかされ私が折れるという形が出来てしまっていた。


突然、彼は【日記とかつけてる?】と聞いてきた。

つけてると答えると、過去の日記全て見せろと言い出した。

日記は交換日記でない限り、他人に見せるようなものではないと説明したが折れてはくれず


私が、イエスと答えるまで説教をし始めた。


言うことを聞かないと何時間でも寝ずにでも、丸1日かかろうとも説得するような男だった。


相手がイエスと答えるまで話を続けるやり方しか出来ない男だった。

毎回毎回、寝ずに説教されて終わりの見えない話をひたすら聞き続けるには体力的にも精神的にもとても苦痛だった。


結局、私は丸1日以上寝かせてもらえず、心が折れ日記を取りに実家へ帰り日記を見せた。


全て日記を見て満足したのか、支配欲が満たされたのか笑っていた。


そのうち赤線や赤丸をつけたエロ本をを渡され全て暗記しろと言い出した。


それも抵抗すると、また説教を長時間され私の心は疲弊していった。

暗記したところで何の役に立つというのか。

全く理解が出来なかった。

わかったと適当に流し終わろうとしたが、私の態度が気に入らなかったのかキレ始め、また長時間の説教ををくどくどと始め、寝ずに仕事に行く羽目になり、更に心は疲弊していった。


私はもう彼にはついていけないと思いながらも、なぜか別れられなかった。


すでに心も頭も正常には働いていなかった。


そしてとある日、バイト先からの電話でのやりとりを聞いていたらしい彼はキレ、口論になったが、携帯を壊され、服も下着も全て捨てられ、外に出られないようにされた。


もちろん車の鍵も取られた。


彼は私の頬を殴り抵抗したが服は破れ無理矢理私は真っ裸にされ延長コードで縛られた。

なんでここまでするのか理解が出来なかった。


電話内容は

【人が足りなくて出勤お願いしていいかなー?】

という電話だっただけなのになぜこんなことになったのか。



仕事へも行けず、お金がなくなるまで、

延長コードで縛られたまま過ごすことになった。

何度も延長コードの拘束をとろうと頑張ったが、全く解けず次第に疲れていき諦めていた。

携帯も壊され外部との接触が絶たれた私には彼と2人きりの小さな世界に変わった。


数日でやめてくれるだろうと私は思っていた。


だけれども数日経っても変わらなかった。


寝るときも拘束は解いてくれなかった。

私の横で眠る彼は私を見てニコニコと笑いながら【愛してるよ】と髪を撫で、彼は満足そうに眠りについた。

私は体が痛く眠れない日を送った。

眠れたのは気を失った時だけだった。


夏が過ぎ、そこからはあまり記憶がないがシャッターを閉められ外は見れなかった。


毎日彼の性欲のままに私は犯され続けた。


トイレは洗面器だった。

お風呂もお湯が出るまでは拘束されていたため一緒に入って体や髪を洗ってくれていたが水になり、冷たく鳥肌が立ち入れたものではなかった。

彼はお風呂に入るときのみ実家へ帰っていった。


何度か体調を悪くし寝込む日もあった。

看病してくれるのは彼しかおらず、私の中では【彼がいないと生きていけない】という考えに陥っていた。


24時間ずっと拘束され何日も体を動かせず痛み始め、拘束部位はアザになっていた。




そしてそのうち水も止まり、食べ物も最初だけで途中からは何もなくなり、私は洗面器の下に敷かれた新聞紙をしゃぶっていた。

喉が乾くと洗面器に入っている自分のおしっこを飲んだ。

食べるものもなく便意はなかった。


もうそのときには何も味も匂いも感じなくなっていた。


はじめこそ抵抗はあり、生理的に受け付けず吐いていたが喉の渇きがひどく慣れるまで時間がかかったが喉の渇きは耐えられるものではなかった。


涙を流しながら毎回、おしっこを飲んだり、新聞紙をしゃぶったり食べていた。


次第に痩せていき体力も落ち頭もそのうち現実逃避なのか何も考えられなくなっていった。


何をどうしたらこんなことになったのだろうか。


時間感覚も麻痺し、日々を何もせず過ぎていった。


私と彼だけの2人だけの世界の中で、


私の中では彼しか見えず、彼の存在は絶対的なものに変わっていた。


そしてある日、痩せ細った私を見て彼はこう言った

【一緒に死のう、俺だけのものでいてくれ】

といい

私の手首を包丁で横ではなく縦に切りつけ、流れる血を見た彼は逃げ出した。


私はもう痛みすら感じなかった。


大量に流れる血の温かさや

傷口が熱く感じた


私は生きているのだと感じた。

今まで監禁されてからというもの生きた心地はしなかった。

自分のおしっこを飲んだり新聞紙を食べるという日々にまさに地獄だという世界に生きていると思っていた…。


私の腕を切りつけ一緒に死のうとした男が逃げる姿を見て私はこのまま死ぬのかと頭によぎった。


流れる血の温かさを感じ私は回らないなんとか頭を動かし、窓を割り割ったガラスで延長コードを切り、延長コードで上腕を結び止血を咄嗟にした。そして布団カバーをガラス破片で切り腕に巻いた。

裸でフラフラしながらもタクシーを拾った。

明らかに異様な私を

タクシーの運転手は私と目を合わさないよう、何も言わず私の言う通りの道を走り続けた。

そして実家へと帰ったが、あまりの変貌ぶりに母は私だと気づくのに時間がかかり、タクシーにお金を払ってくれ、すぐに病院へ運ばれた。

極度の栄養失調で記憶も途切れ途切れで話にならず、脳が萎縮しているかもしれないと言われ母は泣いた。

170センチある身長で38キロしかなかった。


そして回復に向かい監禁され季節が変わっていたこともあとで気づいたのだった。

毎日出される食事は受け付けず、点滴を打つことになり、吐いてでも食べる習慣をとにかくつけるのに苦労をした。

退院後、実家での療養となった。


レオパレスは母に解約してもらった。


味覚も匂いも感じることができるようになり、ご飯を美味しく食べられるようになっていった。


どんなご飯でも食べられることに喜び、美味しかった。

家族がいることで安心感もあった。





するとどれくらいの期間が経ったのかわからないが突然、親がいない時間に彼が家宅侵入してきて睡眠薬を飲み寝ていた私を連れ去り


目が覚めた私は見たこともない部屋で寝ていて混乱した。

ここはどこ?なんでこんな所にいるの?親は?妹は?とパニックになった。

すると彼が現れ理解した。

ここは彼の家で彼の部屋だとわかり絶望感でいっぱいになった。

彼の両親には【彼女の家は離婚問題で彼女には居場所がないからうちにおいてやってくれ】という話で伝わっていた。


携帯もない、車もなく、住宅街で場所もよくわからず、大きな道路も見当たらず、彼は働いていないため、常に監視下に置かれ、何も出来ず、動くこともままならない私はひたすら横たわっていた。


薬なしで眠るのが辛く、過呼吸を起こすたびに彼は私を抱きしめ安心させようとしたが過呼吸は止まらず、何日も眠れない日が続いた。



そしてなぜか毎日彼への気持ちを日記にするよう指示されそれを確認するという毎日になった。


そうすることで私は洗脳されていったのだと思う。


彼に対しての好きだの愛だのを書かされ、将来どういう形で一緒になりたいのかを具体的に書いた。


【私にとってあなたの存在は大きく、一緒にいないと不安で、好きすぎてつらい。】


というようなことを毎日日記に書き、それを読んだ彼は満足そうに笑い、私を抱きしめたのだった。


そうすることで、私は彼を本当に好きだと思い込むようになった。

そう思えた方が楽だと思ったのだろう。


彼の家族との食事にも気を遣い、洗い物や洗濯も自分のもののを出すのは申し訳なく、お風呂に入るときに手洗いをして干した。


そうしてある日生理が来ないことに気づいた。

妊娠検査薬をすると陽性反応がハッキリと印された。


焦りや不安、心配の中で私は中絶を望んだが、彼は

【産んでほしい、今から仕事にもつくから】と言ったが信用出来なかった。

そして妊娠を、彼の母に2人で伝えたが、彼の母は泣いていた。

明らかに喜びの涙ではなかった。

どういった涙なのかはわからないが女として人として母親として見てもこの人間は最低だと感じずにはいられなかった。



そして私の母は出産を反対した。

働いてもない、持病持ちの男の子供なんて可哀想だと言った。私も同意見だった。



妊娠を喜んだ彼は、エヴァンゲリオンが好きで、

【女の子ならアスカ、男なら諸葛亮孔明が好きだから、孔明とつけたい】


と話した。


就職活動をする毎日を送る彼は1つ会社に受かったが

【この会社で一生を勤める気にはならない。ごめん、おろしてくれ】と泣いた。


怒りのまま私は彼を殴っていた。


妊娠が発覚し1ヶ月以上は経っていた。

そのときには私はうまく食べ物も食べれず吐いていた。

母性もそれなりに出てきていた。

エコー写真を見るたびに、愛しく感じていた。


結局、私は中絶することにしたが彼や彼の両親は一切お金を払わなかった。


家族ごとおかしいこの一家を憎み、放火してやろうかとも思った。


手術当日、病院に彼は送ってくれた。

そして手術を、迎え

先生から説明を受け、施術をする際に数を数える間に意識がなくなりますといい、

【3.2…】

そこから意識がなく気づくとベッドに横たわっていた。

うっすらと意識を取り戻すと、カーテン越しの向かいの女性は陣痛を、起こし旦那さんと思われる男性が【がんばれ、大丈夫?がんばれ】と女性を労る声が聞こえ、その反面私は中絶した1つの命の喪失に情けなく、悲しく、つらく、子供を殺してしまったこと、励ましてくれる、労う人間すらもおらず、ただ1人でいることに涙を流した。

ふと見るとテーブルには回復食なのか食べ物が置いてあったが食べる気がせず、泣いていた。

すると看護士が

【動けるようなら窓口までお越しください】と冷たく静かに言い、痛みを抑えながら会計をした。

すると迎えに来た彼は全身新品の服で笑顔やってきた。

神経を疑った。

私が手術を受けている間、彼は買い物をし買ったものに着替えていたのだ。

それを知った瞬間、殴りそうな自分を必死に【落ち着け】と言い聞かせ止めた。

怒りや憎しみ、子供を殺してしまい自分を責め、いっぱいいっぱいになり無言で涙が止まらなかった。



こんなに1つの命の重さもわからない人間がいること自体信じられなかった。

【大丈夫?】

という心配の声すらなかった。


先程、同室で【がんばれ、大丈夫?がんばれ、】と励ましていた男性とは雲泥の差だった。


こんな人間が存在していいのかとすら思った。


下腹部の痛みをこらえ彼の運転する車でひたすら嗚咽を漏らし無言で泣いた。

私の実家近くになり彼は何を思ったのか

【別れようと思ってんの?】

と聞いてきた為、声にならず頷いた。

すると彼は車のスピードを上げ、別れることを否定させるため説得、説教をし始めた。

また長時間の説教を始めるのかと、思いながらも泣きながら聞くしかなかった。

抵抗すればするほど説教が長くなり、どうでもよくなりイエスと答えるような判断しか出来なくなる程に長い話を彼は平気でするのだ。


最終的にはいつも言う台詞があり

【なんで俺はこんなに愛しているのにわからないの?俺がいないとお前はやってけないだろ?俺がいなくてもいいの?こんなに尽くしてるのに】

と何度も言い


私は耐えきれずに咄嗟に走行中の車のドアを開け飛び降りた。


たまたま、豚の肥やしの山があり軽症で済んだ。

中絶した体でおそらく全身飛び降りた衝撃でどこか折れたかもしれないと思ったが逃げたい一心だった。


そして近所にある家に助けを求めた。

その家の人は驚き対応してくれた。

実家に電話をしてくれた。

迎えに来た母は心配のあまり怒っていた。


彼は警察を呼ばれる事を恐れ逃げたのだった。


母と病院へ行くと医師からは全身打撲ということだった。


1週間後、彼の母親から手紙が1通来た。

【今回は残念だったけれども、次は孫にグランマと呼ばせたい、これからもどうかよろしくお願いします】というような内容だった。

それを見た私は呆れ果て、私の母は怒り、訴えると言いだしたがもう私自身、彼や彼の両親には関わりたくないと伝えた。

なんとか母をなだめ、体が回復するのを待った。


そして、私は彼がまた家に来ると迷惑をかけるばかりだと思い、何も言わず荷物を最小限まとめ家を出たのだった。


電車に乗りとにかく県外に行こうと考え、人の多い東京へと向かった。


その後、行方知れずになった私を彼は鬼電する毎日だった為、携帯を解約し新しく購入し、実家にも連絡した。

私の思うように彼は何度も私の実家へ来たようだった。


状況が落ち着くまで家には帰らないと母に言い残し、なるべく連絡はするからと東京へと移った。


それでも彼は私を見つけ出そうとあらゆる手を使ったようだった。


私はまたその当時彼から逃亡をしていたがまだ洗脳は解けていなかった。


痛い目にも遭いながらも彼の声が聞きたいとさえ錯覚を起こしていたが、逃亡し寮付きのランジェリーパブで働いていた。

下着姿でのキャバクラみたいなもので、とにかく忙しかった。


下着代もバカにならず、病院代もあり、とにかく節約をしていた。


そうして日にちが経ち数ヶ月、私はランジェリーパブの店長に好かれた為か、客につかせてもらえず売り上げも下がりクビにされた。

住む場所もなくなり、私は借金返済の為、スカウトも使わず、求人雑誌に載っていたなんの事務所かもわからず事務所へ行き寮があるという理由だけで事務所と契約しAVデビューをした。

あとで気づいたがAV大手の事務所だった。


約3ヶ月下積みというのか、企画単体として売れていたらしい私は自分のポスター等が出ている事を知らなかった。


仕事上、ブログをすることになりまたそれでも彼にバレ、実家へと告げ口をし、なんとか実家へ帰らせるよう私の親へ説明をしていた。


事実ではあるか、家族は彼の言うことを信じなかった。

私の家族の中で彼は【異常者、非常識者】として認識されていた。


そしてその後某メーカーでの専属契約が決まり単体として改めてデビューすることになったのだった。


何度かブログでメッセージがあったがマネージャーに頼み消してもらった。


そうして10年、15年が経ちFacebookやTwitterで私を見つけメッセージが届くようになった。


【今度こそ結婚しよう】

というメッセージに恐怖を抱いた。


彼の依存心、執着に恐怖を隠せなかった。


付き合う当初彼は20代だったが全然死ぬどころか生きていることにも恐怖や騙されたと憎しみをを抱いた。


今更ながら調べたが、彼の持病のネフローゼ症候群とは、尿に蛋白がたくさん出てしまうために、血液中の蛋白が減り(低蛋白血症)、その結果、むくみ(浮腫)が起こる疾患です。 むくみは、低蛋白血症が起こるために血管の中の水分が減って血管の外に水分と塩分が増えるために起こるものだった。


難病指定にはされているが、死に至るものとは書いてはなかった。


そして警察に相談に行ったが、居場所がバレてない限り大丈夫だろうとのことだった。


彼と過ごしたたった4年半は彼の中でそんなに大きいことだったのだろうか。



未だにその彼は生きている。



私は彼が生きている限り、心のどこかで恐怖を感じながら生きている。



彼は今後どう生き、どう死んでいくのか。



私の知るよしもない。





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