第25話 凪沙のいる事務所
事務所に戻って浩一の残していった企画書をみんなで読み合った。正統派で流行を押さえたファンタジー路線。目新しくもないが、この田舎では食いつくお客さんも少なくないだろう。それに相手は三フロアしかないこともあって、料金は俺たちのダンジョンより安くなることはまず間違いない。それも不安材料の一つだった。
「ようするに、こっちにお客さんを呼び込めばいいんでしょ。ボクが新曲書くから外にスピーカーでもつけて流そうよ」
「看板も、新調するか? アナログでも、描けるぞ」
俺の不安を一蹴するように、司と岩山はそう答えた。
「ちょっと広告関係の予算出せるか相談してくるか」
「せっかくですしぃ、私は落合さんの動向でもぉ、探ってきましょうかぁ?」
昌兄と勝間はクリエイターの二人とは違う方向で作戦を立てている。
「あ、あの。私も何か手伝えませんか?」
授業が終わって遊びに来ていた麻耶も来客スペースからそう声を上げた。
「みてみて、おにーたん。まやはふかふかー」
その膝の上に座った凪沙は最高級のヘッドレストに身体を預けながらはしゃいでいる。
「麻耶はそのまま凪沙と遊んでてくれ」
「こ、このままですかぁ」
情けない声をあげているが、いい役目だぞ。あの人見知りする凪沙がそうやって座ってくれるんだから。
凪沙はちゃんと優しい人間を見極めるだけの力がある。過去の辛い経験がそうさせているんだろう。でもここには凪沙に損得勘定なしで愛情を注いでくれる人しかいない。
『いいじゃない。子どもはね、たくさん愛情を向けられる権利があるんだから』
たぶんお袋が言っていた言葉はこういうことなんだろう。子どもをたくさん愛してやること。そして愛してくれる人間に触れさせてやることが、俺が凪沙にできる一番のことだったのだ。
最後は俺の持っている最高の力で、凪沙が楽しめるダンジョンを造ってやる。それが俺にできる最大の愛情表現だと思うから。
「よし、時間もない。動こうぜ!」
やることは決まった。後は全力で完成まで走り抜けるだけだ。
俺はシナリオの監修。昌兄は広報。岩山はグラフィックで司が音楽関係、勝間はコーディング。麻耶は受付スタッフ。
やるべきことに人がピースのようにしっかりとはまっていく。やるべきことが曇りなく見えて迷いが消える。浩一の企画書はいつの間にか机の隅に追いやられていた。今見るべきはこっちじゃない。俺たちが考えた企画書の方だ。
やっぱり俺はゲームを作っているときが一番楽しい。できあがったゲームを毎日運営していくのも大切な仕事には違いないが、俺は新しく作ったり、新イベントを考えたりしている方が性に合っている。ようやく調子が戻って来たみたいだった。
もう一つ変化があった。学校が終わった後、凪沙は家じゃなく事務所に来るようになった。
「なぎさいいこにしてるから、おねがい」
と俺と昌兄にお願いしたのだ。俺も昌兄も二つ返事でOKしたのは言うまでもない。その代わりに定時で帰る約束は一時間後ろ倒しになり、夕食の時間には帰ることに緩和された。それでもせいぜい一時間程度の違いなのだが、それよりも凪沙が近くにいることの方が安心だった。
「ねーねー、おにーたん。まやはきょうはこないの?」
なんだか俺と一緒にいたいというよりも麻耶の膝の上が気に入ったんじゃないかという疑念も生まれたんだが、まぁ女の子ならいいか。
準備は前のオープンのときに手伝ってくれたスタッフに声をかけ、急ピッチで進んでいた。最初こそ無理だと思っていたスケジュールもオンスケに戻り、十二月のリニューアルまでの道のりが誰の目にもはっきりと見えてきた。
そんな日のことだった。
「おはようございまぁすぅ」
間延びした声とともに勝間が事務所に入ってくる。いつも元気があるのかないのかわからないやつだが、今日はいつも以上に中途半端だ。どうした、と声をかけようとして、後ろから現れた影にびっくりして体が止まった。
「うちの勝間をいいように使ってくれたらしいな」
「落合、さん。何か用ですか?」
取り繕うように視線を切って、来客用のスペースに案内しようとしたが、落合は事務所の中をぐるりとにらみつけるように見まわして、怒りを込めて鼻を鳴らした。
「勝間が役所にいても暇だから、と勝手をしていたのは知っていた。だが、まさかゲーム作りを手伝わせていたとは。どうやって懐柔した。いや買収でもしたか?」
「お前と一緒にするなよ。俺は最高のダンジョンを造っていただけだ」
「その通りです。先ほどお話ししたように、私が手伝いたいと思ったからそうしたまでです」
「勝間、お前もこんな場所にダンジョンゲームなんて意味がない、と。そう言っていたから俺の下につけたんだ。それがなんだ、以前の内覧のときといい、なぜこいつらに協力する?」
落合は手近な空きデスクを恫喝するように二回叩く。手慣れた動きだ。俺や昌兄はそんなことで動じたりはしないが、勝間の方は肩を小さく跳ねさせて少しビビっているようだった。
凪沙がいない時間帯で助かった。こんなものを見せられたら、せっかく少しずつ心を開けるようになった凪沙がまたふさぎこんでしまうところだった。
「きっと、落合さんにはわかりませんよ」
勝間はにらみつける落合の方を見て、はっきりと言った。のんびりしたいつもの調子じゃない。ゲームを語るときの早口でもない。ゆっくりと自分の気持ちを確かめるような声だった。
「内覧のときも、結局あなたは古見さんのゲームをプレイしませんでしたね。ナビゲーターのグラフィックができたときもゴーグルをつけはしなかった。そんな人では、なぜ私が彼らの協力をしているかなんてわかりませんよ」
小さいが力のこもった声に落合は少したじろいだようだった。付き合いが短いとはいえ、こんな勝間は初めて見た。落合も恐らくそうだったんだろう。拳を作って振り上げようとしたところでその手が止まった。言い返す言葉を探しても、事実だけを突きつけた勝間の言葉に返せるものは何もない。
「もういい。勝手にしろ。年末の査定を首を洗って待っていろ!」
落合はそれだけの言葉をなんとか吐き出して、事務所の扉を破る勢いで出ていった。残された勝間は、持っていた勇気を全部絞り出したようで、へなへなと崩れ落ちるように床に座り込んだ。
「ははぁ、この歳でクビとなるとぉ、将来が心配になりますねぇ」
「いいじゃねえか。ここに勤務時間以外は優しいプロデューサー様がいるぞ」
昌兄はへたり込んだ勝間の肩をたたくと、俺に向かってにやりと笑顔を見せた。
「昌兄はクビになったら、コードくらい打てるようになってからきてくれよ」
「おいおい、俺は大丈夫だろ。最初からお前の味方であいつの敵なんだから」
「どうだかなぁ。さんざんハゲって言いまわったしな」
俺たちのやりとりを聞いていた勝間がようやく笑い声をあげた。緊張でわずかに固まっていた体もほぐれ、床に上半身を投げだす形になる。
「古見さんたちは強いですね。私は今日、落合さんに呼び止められただけで全身が固まってしまったのに。何度無理な注文を突きつけられてもそうやって笑いながら乗り越えてしまう。ゲームの主人公みたいだ」
「そんないいもんじゃないがな」
諦めが悪くて、理想を追いかけることしかできないだけだ。
「さて、そろそろ仕事にとりかかろうぜ」
やるべきことはまだ残っている。怒鳴ることでしか自分の言うことを聞かせられないやつには、仲間と何かを作ることがどれほど辛くおもしろいことかを見せつけてやらないとな。
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