第23話 自分じゃない誰かのために

 翌日、朝食を食べながら、今日はお仕事に行ってもいいか、と凪沙に聞くと、意外な答えが返ってきた。


「なぎさもいくー」


「お兄ちゃんのお仕事見に来るのか?」


「うん。だってなぎさ、おにーたんといっしょがいいもん。おねがい」


 凪沙にお願いされたら断れない。断るのは約束違反だ。連れていったとして怒るような人間はいない。昌兄はむしろ喜ぶだろう。来客用のソファなら急に眠たくなっても大丈夫だ。


「お兄ちゃん、お仕事中は凪沙の隣にはいられないぞ」


「いいよー。おにーたんといっしょのおへやだったらいい」


「じゃあ、一緒に行ってみようか」


「わーい」


 朝食を終えて、お昼ご飯のために準備していた野菜炒めをお弁当に詰める。ごはんはおにぎりにして持っていくことにする。準備が整うと、いつもの自転車の後ろに凪沙を乗せて、事務所へと向かった。


「昌兄? 今日はちょっと凪沙を連れてきたんだけど」


 事務所に入って昌兄のデスクに向かっていく。事務所の四つ向かい合わせになったデスクは俺、昌兄、デバック用、空きになっている。空いているデスクに凪沙が座れば収まりがいい、と勝手に思っていた。


 それが今日に限って四つ全部埋まっている。


「あ、ましゃ! それからつかしゃがいるー。いわやまもいるよー」


 凪沙が一人ずつ指差して確認する。昌兄はいつもの席。俺の席には司。空きのはずの席には岩山。そして、デバック用のノートパソコンの置かれた席に勝間が座っていた。


「このひとしらなーい」


「あぁ、ナビゲーターのモデルさんですかぁ。実物もとてもかわいらしいですねぇ」


 指を差されて知らないとまで言われても勝間はのんびりしたペースを崩さない。


「いやいや、なんでみんないるんだよ!」


 勝間はまぁわかるとして、岩山は錦糸町のマンションに引きこもっているはずだし、司は大阪だし、今日も学校があるはずだ。


「俺が呼んだんだよ。企画書白紙から書き直すんだろ。だったらリアルタイムでみんなで見て、速攻でとりかかろうってわけよ」


「いや集めるにしても、まだ白紙なんだからある程度まとまってから集めれば」


「凪沙ちゃんが、倒れた、って聞いたぞ」


 混乱する俺に向かって岩山がぼそりと言った。岩山は前に会いに行ったときよりも顔色はずいぶんとよくなって、伸び放題だった髪もしっかりと短髪に整えられている。肌はまだ荒れているが、外を歩いてもゾンビと間違えられることはないだろう。


「そうだよ。それに古見さんもかなりボロボロだって聞いたんだけど。そんなことして凪沙ちゃんに迷惑かけたらどうするんだよ」


「お前こそ学校はどうした?」


「たまには行ってる。ボクがいないと古見さんはダメそうだったからこっちに来ただけ」


 少しバツが悪そうに司はつけたままのヘッドホンの位置をわざとらしく直した。少しだけ明るくなったような気がする。学校にも行っていると聞いて安心した。


「んで、お前は?」


「私の扱いだけぇ、ひどくないですかぁ?」


 にやり、と含み笑いを浮かべた勝間が手元のノートパソコンの画面をこちらに向ける。黒地に白文字で知らない人間には魔術書に見える言葉が並んでいる。ダンジョンのコードだった。


「昔、ゲームを作っていたってお話ししましたねぇ。落合さんは楢原さんばかり構っているのでぇ、こっちに常駐しますと言ってきましたぁ。お手伝いしますよぉ」


 勝間は言いながら視線を画面に戻す。コードを読んで構造を理解してくれているんだろう。パソコンゲームを作っていたと言っていたが、リアルダンジョンも似ている部分は多い。コーディングのスピードアップは間違いなく実現できる。


 仲間が、小さな事務所に集まっていた。

 今までさんざん口からいいことばかりを言って、最高のダンジョンだと騒ぎたてて、実際に造っていたのは俺のためだけのダンジョンだった。


 そんなものを造らされてもまだ、俺と一緒にダンジョンに向き合ってくれる仲間がいた。


「ほら、全員揃ってるんだ。さっさと会議用のモニターに画面映して書き始めろ」


「そもそも俺の机がないんだが」


「来客スペースの間仕切りをどけてそっち使えばいいんじゃね?」


 おいおい、仮にもこのダンジョンのプロデューサー様の扱いが借りぐらしかよ。そうは言ってもこんなところで時間を使っていたらいつまで経っても始まらない。


「よし、じゃあ書きながら説明するから。わかんなかったらその場で言ってくれ」


 俺は開いた真っ白なスライドのタイトルに昨日決めたコンセプトを大きな文字で打ち出した。


『戦わないダンジョン』


 これが、俺が考えた凪沙のための、凪沙と同じように傷付いている子どもたちに向けて造る最高のダンジョンだ。


「どうやってゲームとして成り立たせるんだ?」


「ゲーム自体は大きな変更はないんだ。ただ表現を変える」


 今までは普通のダンジョンと同じように出てきた敵モンスターを剣で斬って倒すことが目的だった。凪沙が東京で嫌がったことだ。


 それに剣を振り続けるというのは結構体力を使う。リアルダンジョンゲームをやり慣れていない人は疲れたり興味を失ったりする原因になる。


「だから、このゲームでは剣で戦わない。剣じゃなくコントローラでタッチするんだ」


 敵に対して、もっと優しい杖や肉球のついた棒みたいなもので敵に何度も触れるようにする。そうすると、敵だったキャラクターが友達になる。仲間を、友達を増やして物語を進めていくのだ。


「そうしてドロップアイテムを完全に廃止する。ランダムドロップはなしだ」


「それだと祐雅の会社のやつが言ってたみたいにリピータが減るんじゃないか?」


「あぁ、何もないとな。だから仲間にしたキャラクターにアビリティとして持たせる。欲しい能力があるならその敵を狙って仲間にすればいい」


 そうすればどれだけアイテムの数が増えても運要素は少なくなる。出会えるかどうかという部分なら目に見えている要素だから理不尽感も減る。仲間にしたキャラによって冒険スタイルが変わるなら、ヘビーなリピーターは期待しにくいが一度だけしかプレイしないユーザーは減らすことができるだろう。


「だから岩山には敵キャラと仲間キャラのグラフィックを作ってほしい。既存の敵キャラがなかまになったときのものと、既存アイテムを敵キャラクター化してほしいんだ」


「わかった。デザインの、リテイクは、何度もできないぞ。モーションも変えないといけないからな」


「司にはダンジョンBGMを全体的に明るくしてほしい。今の曲のアレンジでいい。何曲かは作ってもらうことになるが」


「わかったよ。凪沙ちゃんが楽しくなるような曲にしたいね」


 これが変わるだけで雰囲気は一気に様変わりする。敵対ではなく仲間を探す物語。心を閉ざしていたり、仲良くなることを拒絶していたり、不安に思っていたり。そんな様々な思いを抱えたキャラクターたちと触れ合い、仲良くなっていく。そして一緒にエンディングへと辿り着くのだ。


「勝間はコードの改修をしてほしい。主に接触判定部分だ。振らなくても効果が出るように調整してほしい」


「わかりましたよ。リアルダンジョンは考えるところが違って制作もおもしろそうですねぇ」


 企画書はどんどんと埋まっていく。悩み続けていたのが嘘みたいだった。時間も忘れそうになるほどに集中できる。書きあがったものにリアルタイムで質問が飛ぶ。答える。議論する。修正する。予定では十ページに満たないはずだった企画書は、いつの間にか十五ページに膨らんでいた。


「よし、完成だ」


 立ち上がって手を挙げるとその手に司がハイタッチをしてくる。


「いいじゃん。できたら遊びに来たいと思ったよ」


「じゃあ、しっかり音楽頼んだぜ」


 できたばかりの企画書を回覧メールでみんなに送って一息つくと、俺の隣に座っていた凪沙は一人お昼のお弁当を食べ始めていた。


「ごめんな、つまらなかったか?」


「ううん。おにーたんとってもたのしそうだった。おともだちたくさんだね」


「あぁ。でもきっとみんな凪沙の友達にもなってくれるよ」


 歳はずいぶんと離れているが、きっとみんな凪沙のことが大好きだから。この企画書も凪沙がここに座っているからあんなにも真剣に議論ができたのかもしれない。


 できあがった企画書を二部印刷して手元に持ってくる。再度目を通したが、いい出来だと思った。


「それどうするんだ?」


「あぁ、作った以上は見せてやらなきゃならない相手がいるんだよ」


 企画書を大切にファイルにしまい込んで、俺はスマホからやつの番号を探す。


「よう、俺だ。午後にちょっと話でもしないか?」


『いいだろう。私も君に言っておこうと思っていたことがある』


 こいつでお前と戦えるか、はっきりさせてやるよ、浩一。

 電話を切って、俺は昼ご飯を食べ始めているみんなに遅れてお弁当のふたを開いた。

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