第22話 家族の証明

「げんきー!」


 夜も布団を並べて一緒に寝た凪沙は、起きて一番、俺に向かって復活をアピールした。うん、昨日の夕方くらいからうずうずしていたのは知っている。一日お休みするという約束を凪沙も俺もしっかりと守った。

 根治のために薬は飲み続けるが、すっかり具合はよくなっている。


「おでかけー。おにーたん、おでかけいこー」


「まずは朝ご飯食べてからなー」


 準備をしている間も落ち着かない様子で、凪沙は俺の周りをぐるぐると回っている。たっぷりと睡眠をとった俺たちは健康的に午前六時起き。こんな時間じゃまだ美術館は開いていない。


「おにーたん、ごはんまだー」


「ほら、もうすぐできるぞ」


 二人ともお休みで時間があるから、今日は朝から少し手間をかけてフレンチトースト。漬け置きの時間に簡単な玉子サラダもつけて、朝から栄養満点だ。


「はやくたべてね、たくさんえとかちょうこくとかみるの」


「開館時間に合わせてなー」


 凪沙は弱っていた反動か、起きてからずっとこの調子だ。体調のことも考えて、市街の方に一館あったような気がしているからそこにしようかと思ったんだが、せっかくの休みだ。ちょっと遠出するのも悪くない。


「じゃあ電車乗っていこうか。県北にちょっと有名な美術館があった気がするから」


「しんかんせん?」


「新幹線と電車はちょっと違うかな。岩山に会いに行ったときに東京で乗ったやつだよ」


 前に東京に行くためにターミナル駅に向かったときも市街のショッピングモールに行ったときも昌兄に車を出してもらった。休みの日のお出かけはせいぜい自転車に乗って安売りの大型スーパーに行くくらい。凪沙は俺と会ってからあまり電車に乗ることはなかった。俺も車、買おうかなぁ。


「他の人も乗ってるから静かにしなきゃダメだからな」


「はーい」


 凪沙はお出かけだと言うと、自分の部屋に行って、東京に行ったときに買ったサロペットと帽子を着て戻ってきた。


「きょうはおにーたんとでーとだから、これきていくー」


「うん、そうしよう。似合ってるぞ」


 凪沙はくるりと回ってポーズを決める。世界一のファッションモデルでもこのかわいさには敵わない。


 家を出てからもテンションは少しも落ち着いていない。駅に向かっていく間は大好きな懐メロを歌ってくれていた。でも凪沙はちゃんと約束を守る子だ。駅に着くと人が変わったみたいに静かになって、おとなしく座席に座っていた。


 ターミナル駅から県北に向かうローカル線に乗り換える。こっちは地元と違って電車の本数が多い。それでも一時間に三本だから、東京とは比べ物にならない。しっかり時刻表アプリを確認しながら、乗り遅れないように電車を乗り継いで行く。


 たっぷり二時間かけて最寄り駅につくと、秋色に染まった通りに迎えられた。ここも地元と大して人口は変わらないが、田舎の雰囲気が違う。平野にあって見渡す限りに田んぼが広がっている地元と違って、ここは山間の盆地にできた集落から発展した町。視界はどこを見ても山に遮られ、通りは山から引っこ抜いてきたのかと言わんばかりに並木が等間隔で並んでいる。


「おやまいっぱーい。まっかなおはながさいててきれーい」


「あれは葉っぱが赤くなってるんだよ」


「おやまもかぜでおねつでてるのかなー」


 子どもらしい感性で凪沙はまとめた。繊細な感受性は寂しさから生まれた鋭敏な凪沙の盾なのかもしれない。俺が一人きりでも楽しめるようにゲームを考えるようになったのと同じことだ。あらゆる経験はすべて悪いことばかりじゃないという慰めになる。


 並木の赤いカーテンを抜けていくと、近代建築らしいガラス張りの美術館が見えてくる。今は季節展示で俺の知らない外国画家の作品が飾られているらしい。よく知らないまま入るのもどうかと考えたが、凪沙にはそんなこと関係ない。素直な気持ちで見ていけばいい。


 小学生は無料でチケットがいらないので、俺の代わりに凪沙が券売機のボタンを押してチケットを買い、中に入った。


「静かに見ような」


「わかってるよー。なぎさはなんかいもきてるもん」


 回廊状になった展示スペースには等間隔で絵画が並び、その側には小さな文字で注釈が加えられている。その時代の一瞬を切り取ったような風景画がいくつも並び、俺は凪沙に歩調を合わせながらひとつひとつを瞳に映していく。


 こういうものも心を動かす。当たり前だが、ヒロイックなストーリーや大恋愛、死別だけが感動を生むことができるわけじゃない。普段見慣れていると思っている日常のワンシーンを画家の目を通して切り取れば見ている人間の心に何かを去来させることができる。


 凪沙だってそれを理解している。ただ母親に連れていってもらったからではなく、子どもの感性にも同じように響くものがある。


 俺は最高のダンジョンを造る、と言ってここまでやってきた。嘘をついたつもりもないし、間違っているとは思っていない。


 ただその最高は誰のためだ?

 ゲームは売上じゃない。お客さんを感動させてこそだ。そう言い続けてきた。でもお客さんって誰だ。俺は、誰の顔を想像しながらダンジョンを造っている?


 目の前に画家の自画像が現れる。ふいにその絵が気になって立ち止まった。やや斜めに顔を背けてこちらを鋭くにらみつけるような表情をしている。中学の頃、美術の教科書に載っていた有名画家の自画像もこんな感じだった。


 なぜ似たような構図になるんだろうか、なんて思ったが、今素直に考えれば鏡か何かに映った自分を描いているからなんだろう。正面にはキャンバスがあるから斜めに鏡を置くし、対象をじっと見つめているから目力も自然と強くなる。


 なぜ自分を描こうと思ったのだろうか。

 一番近くにいるモデルだから。鏡に映ったものを描いてみたかった。自分の顔を絵にして残したかった。

 いろんな理由が頭に浮かんだが、どれもしっくりこない。


 俺だったら、そう。自分自身をもう一度作りたかったんだ。これまでの自分を形作ってきた様々な経験や考えを、作品を作ることでもう一度追体験する。そして周囲に問いかけるんだ。自分は人に見せられるような生き方ができていたのか、と。


 幼い頃から作り続けてきた自分の考える最高のゲームが、誰にとってもおもしろい最高のゲームだと認めてもらいたかったのだ。


「おにーたん。このえ、きにいったの?」


「あぁ、自分を作品にするって難しいよな」


「んー、なぎさががかさんだったらね。おにーたんかくよ! なぎさ、おにーたんすきだから」


「そうか。じゃあお兄ちゃんは凪沙を描こうかな」


 俺の答えを聞いて、凪沙は嬉しそうに俺に身体を寄せた。

 どうして今まで最高のダンジョンと言い続けてきたのか、ようやくわかった気がした。言葉にしなければ自分の中で何かが引っかかっていたからだ。


 今造り上げてきたダンジョンは間違いなく俺にとって最高と言えるものなのだ。それはきっと、小学生の頃の俺が遊びたかったゲーム。お金も時間も技術もなくて、でも頭の中で思い描いた自分のためだけのゲームなのだ。


 俺のためのゲームでは、誰かにプレイしてもらうゲームにはならない。凪沙がここに来たがったのはきっと偶然だ。俺がこの絵の前で立ち止まったのも。俺の脳内に詰まっていた血栓のような息苦しさがまた少し取り除かれた気がする。


 凪沙だって、六年間必死に生きてきた。俺の人生とはまったく違う道を辿って、自分の力で。だから自画像のような斜めからの構図じゃなくて、俺を真正面から見てくれることができる。


「でも絵を描くのは難しいから、凪沙のためにゲームを作ろうか」


「なぎさのためのげーむ?」


「うん。誰も傷つかないような、たくさんお友達ができるような」


 誰かが離れていくのが怖いから、離れないでと自分を隠してしまう必要がないように。最後まで前を見て進んでいけば、周囲に仲間がたくさん見つかるように。そんなゲームを。


 瞬間、電流が走るようにひらめきが頭の中を駆け巡った。

 美術館から出て、凪沙がトイレに行ったのを確認して、俺は昌兄に電話をかけた。


「どうした? 仕事の話なら聞かないぞ」


「いや、仕事の話、ではあるんだ。ただ今すぐ言わないといけなくて」


 焦っているはずの俺の声はいつになく弾んでいた。新しいおもちゃを買ってもらった子どもみたいな、大人がとうに忘れてしまった声。


「一分だけ聞いてやるから話してみろ」


 その雰囲気が伝わったのか。昌兄は嫌がる気配は残しながらも俺の話を促す。


「リニューアルの企画書。いったん白紙にしてくれ。明日書き直す、いや明後日か。とにかく今のまま動いても無駄になるかもしれないから止めてくれ」


「なんかいいこと思いついたらしいな。わかったよ。明日出て来い。凪沙ちゃんがいいって言ったらだけどな」


「ありがとう、昌兄」


 お礼を言うと、電話が切れた。もう一分経っていたのか。トイレの方を見ると凪沙が戻ってきているのが見えた。


 駆け寄ってきた凪沙を思わず抱き上げる。驚いた顔は一瞬で、凪沙はすぐに笑顔になって俺の頭を撫でた。いつもと逆だ。


「おにーたん、うれしそう。びじゅちゅかんにくるとね、なぎさたのしくなるの。おにーたんもたのしかったの、よかったね」


「あぁ、とっても楽しかったよ。ありがとう」


 やっぱり凪沙は俺のことを見ている。俺が真正面から凪沙に向き合っているのと同じように、凪沙も俺と真正面から向き合って、斜めからじゃ見えないものを感じ取ってくれているんだ。


 凪沙を下ろして手を繋ぐ。互いに感じる温かなぬくもりは家族の証明だ。

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