ブラック企業に疲れたので、田舎でダンジョン経営始めます
神坂 理樹人
プロローグ
第1話 こんな会社辞めてやる
時計は午後十時。残業時間も五時間を超えようというところだった。
五月も中旬に入り少しずつ日が長くなってきたといっても、この時間じゃ太陽なんてとうの昔に沈んでいる。それでもすべての照明がついたオフィスの一室はスタッフ全員が死んだような目をして残業していた。
今日はあと何時間で帰れるだろうか。残るは最終チェックのみ。この様子なら久しぶりに終電に間に合うかもしれない。そんな期待はむなしく裏切られることになる。
「あの、ちょっときてもらっていいですか?」
誰かのあげた声にヒヤリとする。そっちを見ると、疲れ切った表情でプログラマーの一人が手を挙げている。気晴らしに雑談したいなんて表情ではなかった。
何かあった。そう思ったのは俺だけじゃなかったらしく、同時にそいつのパソコンの前に残業していたスタッフがワラワラと集まってくる。
「テストでドロップの体感を調べてたんですけど、レアアイテムがドロップしてないんです」
「これは、おそらくテーブル設定のミスだろうな」
にわかに騒がしくなる。やっとトラブルの可能性がある営業時間も終わったっていうのに、今日も徹夜になるかもしれない。慌てる同僚たちを落ち着かせるように、俺は一気に指示を飛ばした。
「ログとコード確認しといてくれ。明日までに修正が間に合うように動ける人から動き始めてくれ」
やってしまったミスは過去に戻って直すことはできない。でも実装前に発見と対応ができただけマシだったと思うしかない。そう信じてコードに必死で目を通しながら、俺は漏れそうな溜息を必死にこらえる。
最新のAR技術を使った体験型のリアルダンジョンRPGは、今や市とつく町なら一つはある人気レジャーとなっている。ARゴーグルをかけて、ウレタンで包まれた剣型のコントローラを振りながらタワー型ダンジョン風に迷路状になった施設内を冒険するというものだ。
大都市圏なら通りに面して二、三軒が競合していても不思議じゃない。まさにゲーム業界の最先端、
俺の勤める会社もその中の一つだった。
今日は、明日実装される予定のイベントの最終チェックが行われていた。集めると限定武器が手に入る素材アイテムがドロップするイベントで、俺が企画提案して、やっと実装までこぎつけたものだ。
ギリギリまで調整案を粘った結果、開発がズレ込んで無理なスケジュールになった。こういうことが起きるのも覚悟はしていたつもりだったが、また今日も帰れないかもしれないな。
「とりあえず報告いってくる」
ざっとした状況、それらしいコードの発見、修正方針の目途が立ったところで、俺はそれを乱雑にメモ書きして席を立った。気は進まなかったが、上司に言わないわけにはいかない。明日までに必ず直ると言えるならもみ消してしまいたい気分だった。
広いフロアの中はそれぞれのスタッフが作業に集中できるようにと間仕切りでチームごとにスペースが区分けされている。シナリオ、サーバ、グラフィック、モーション、プログラマーチームの座席から他のチームのスペースを抜けていき、一番奥の席。背もたれに身体を預けてスマホをいじっている横柄な男に声をかけた。
「報告だ。明日のイベントにトラブルが発生。現在原因調査中」
「ふん、君が進めていたあの企画か。中止になるのか?」
耳障りな声に自分の顔が歪むのがわかる。来てしまった以上は説明しないわけにはいかない。コレは、同期でプロデューサーの
社内規則違反の金色の髪は立場上黙認されている。俺はオフィスカジュアルとも言えないティーシャツにチノパンというほとんど在宅スタイルだが、こいつは今日もブランド物の高級スーツにブランドのロゴが入った高そうなネクタイを締めている。
切れ長の鋭い目で見られると、動けなくなるほど怖いなんて言うスタッフもいるが、俺には通用しない。
「明日に間に合うかは今のところ不透明だ。延期するか、……最悪中止もありうる」
言った口が苦くなる。明日は俺の考えたイベントが初披露になるはずだった。それが中止になるなんて考えたくもない。今日は徹夜してでもそんなことはさせないつもりだった。
「ふぅん、別にいいじゃないか」
報告を聞いて、浩一は事も無げにそう言いやがった。
「イベントは初日だし、通常の素材アイテムはドロップしているんだろう。レア素材は明日はたまたま出なかった。明後日以降普通に出る。それなら問題ないだろう」
「おい。ちょっと待て。じゃあ明日来てくれたお客さんにはどう説明するんだよ!」
「言わなければわからないだろう。それに、一度で出なければ客はリピートする。収益にはむしろプラスになる。よかったじゃないか」
「ふざけんな! 何のために仕事してると思ってんだよ!」
俺がこの企画のためにどれだけのことをやってきたと思ってんだ。
無駄に金のかかった高級スーツの胸ぐらをつかんでつっかかる。それでもこの男、浩一は少しも動じない。自分の方が立場が上ということをこいつは理解している。俺なんかより社会のうまい使い方を心得ている。
「金だ。会社に勤めているならわかるだろう。毎日やっても一つも出ないのならクレームになるが、一日ならごまかせる。ごまかせればただの利益だ。ただしさっさと修正はすませろ、朝に報告だ」
ふざけるな。もう一度心の中で吠える。こんなことをしたくて俺は会社に入ったわけじゃない。
最初は下っぱのゲームプランナーだった。勘がいい、とゲームバランスや企画にもかかわった。興味を持って勉強していたら、いつのまにかプログラマーの仕事も増えた。それでも求められるのはいつもいくら稼げるのかという話ばかりだった。
今回の企画も何度も何度もボツを食らった。内容にケチをつけられたことはない。どれくらい稼げる見込みがあるか、とだけ聞かれ続けた。ゲームを通じてやりたかったことは何一つ実現できていないまま、三年の時間が過ぎてしまった。
深夜残業も山ほどやってる。休日出勤も文句ひとつ言ったことはない。つい先週のゴールデンウィークも、年末も盆も実家に帰っていない。
すべては、自分が理想とするゲームを作るため。それなのに、ここで与えられる仕事はいつもこんな薄汚れた大人の事情ばかりで塗り固められている。
「どうした。さっさと自分の仕事に戻れ。やらないなら帰れ」
「わかったよ。じゃあ帰らせてもらう。こんな会社辞めてやるよ!」
つかんでいた胸ぐらを突き飛ばし、荷物をまとめる。だが、トラブルの真っただ中、逃げ出すことを思うと手が止まった。
「ちょ、
サブプロデューサーが声を上げたが、浩一の睨みを受けて押し黙った。そうやってこいつは権力を使って力押しで生き延びてきた。きっとこれからも変わらない。そうだとすれば俺の願いは叶わない。
「問題ない。次は探しておく」
「じゃあな。俺はずっとてめえのやり方が嫌いだったよ」
「奇遇だな、
振り向きざまにそれだけ言って、仕事に戻る。後ろを向くと、俺の怒鳴り声を聞いて集まってきたのか、プログラマチームのスタッフが集まってきていた。
「心配すんな。俺の最後の仕事くらいちゃんとやるさ」
不安そうな顔で事の成り行きを見ていた後輩たちに笑って見せる。幸いトラブルは軽微なもので、なんとか深夜の二時には修正が終わり、始発が出る頃には報告書も完成した。
ただし、言ってしまったことはもう取り消せない。引き留めようとする後輩たちから逃げるように、俺は朝日を受けながら会社を出た。
出勤するスーツ族と入れ替わるように家に帰り、昼間に目が覚めると着信履歴とメールが大量に入っていた。案外なんとかするから戻ってきてほしい、というものが多くて驚いたほどだった。トラブル時にキレて出ていこうとしたやつにそんな情けをかける理由もないはずなのに。
それでも会社に戻る気にはなれなかった。あそこで何年働こうとも、きっと俺の考えている理想のゲームはできやしない。ゲームは会社のためにあるんじゃない。クリエイターが作った世界でお客さんに楽しさと感動を届けるためにあるんだ。
「とはいえ、これからどうすっかなぁ。何も考えてなかったけど、次の仕事探さねえと」
またスマホが鳴る。引き留めの電話だろう。はっきりと断ってやるのが、最後の優しさかもしれないと思えた。しかし、スマホの画面を見ると懐かしい名前があった。
「おじさん?」
「祐ちゃん、元気かー?」
「なんとかやってるよ。ただ実は」
久しぶりの優しい声にほだされて、俺はおじさんに会社を飛び出したことを話していた。どんなに怒られるかと思ったが、意外なことにおじさんは喜んでいるようだった。
「そりゃちょうどよかった。人間は健康が一番だ。いつも無理してないか心配だったんだよ。それで地元に帰ってこないか誘うつもりで電話したんだ」
「なんでまた」
「祐ちゃん。あんた、自分のダンジョンを作ってみたくないか?」
「作れるのか!?」
「いい食いつきだなぁ。昔第三セクターで建てたはいいがすっかり寂れて放置されてるリアルダンジョン施設があってな。そこをなんとか建て直してほしいんだ。ダンジョンゲーム制作ができるやつは都会にしかいなくてな」
その電話の声を聞きながら、俺は部屋を引き払う段取りを考え始めていた。
「行く! できるだけ早く戻るから、お袋にも話つけといてくれ」
自分のダンジョンが造れる。俺が考える最高におもしろくて、最高に楽しめるダンジョンを造れる。それだけでも地元に戻る価値がある。俺は通話を切ると同時に新幹線の予約ページを検索していた。
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