カーフィッシング

龍鳥

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 魚を沢山釣りたい、大きな魚を釣りたい事は釣り人にとっては、誰しもが思う事である。この話の主役である伊藤も、その一人である。しかし、釣りの勉強をして上手くなる人もいれば、一向に上達しない人もいる。伊藤はどちらかといえば、後者であった。釣り場の視点を変えてみたり、釣り道具に対してお金の使い方を増やしたりと試行錯誤した結果、中々と思うようにいかない。


 だが、今日は違う。なにせ気になっていた女の子である良子との初デート。職場の同僚であり、彼の釣りの趣味を知った彼女は釣りに興味を持ち、一緒に釣りに行こうと誘ってくれたのだ。またとないチャンス、男は釣りに全ての生命を賭けて挑む。



 「ねぇ、伊藤君。まず釣りは何をすればいいの」



 待ち合わせ場所から車で移動して30分。海岸の釣り場に着いた2人は早速と釣りの準備にかかる。良子の釣り衣装は偏光グラスという水中の変化や魚影の動きを良く見えるサングラスの事である。さらに衣装は雨が降ったり、汗のべたつきを抑えるピンク色のレインスーツを着用。その他、釣り道具一式と諸々を合わせて数万円。全て、伊藤の自腹である。



 「初心者によくありがちなミスは、釣れるルアーと、釣竿をどうやって動かすことに悩むんだ。上級者は良子さんが身に着けてるような偏光グラスに費用を掛けるんだ。それに、釣り場のスポットを毎回と変えるのもポイントだ」



 「へえー、流石は伊藤君。詳しいね!!」



 伊藤が良子に惚れたのは、この素直さである。茶色のセミロングで化粧が少ない色白な顔なのに、聞き分けが良い素直な人物であると職場内で常に評判である。そんな彼女をゲットしたい男達は大勢いたが、どれも上手くいかない結果で終わっていると、噂である。男性側が良子の気を引くために度が過ぎた行為をしたのが原因ではあるが、実際には彼女の方にも問題があった。



 映画通のある男は、映画デートで思いっきりマニアックなタイトルの映画を誘っても、飽き性である良子は途中で寝てしまって玉砕されたり。


 食通の男は、食事デートで自分の料理の腕を振るおうと必死で練習して極上な料理を提供したが、良子は小食であって味の美味しさが分からなかったり。


 さらにもう一人の男は、定番の遊園地へとデートを誘っても高所恐怖症である良子は、ジェットコースターに乗って泣いてしまったりと。



 そう、良子は素直な性格でも難癖ある個性的な人物である。

 でも可愛いからいいじゃないか、そう論じる伊藤も伊藤で単純な人柄であった。だが、前述したように良子は一筋縄ではいかぬ存在だと彼も重々承知である。だからこそ、良子に興味を持たせるため伊藤は秘策を立てたのだ。


 釣りの初心者である彼が、どうやって彼女を惚れさせるのか。それは伊藤が見つけた”新しい釣り”である。



 「まず、レクサスにエンジンをかけます」


 「えっ?伊藤君?」


 「さあ、乗って良子さん」


 「う、うん」



 せっかく釣り場のスポットに来たと思ったら、再び車が置いてある駐車場に戻される良子は戸惑いを見せていた。お互い釣り用の衣装に身を包んでいるのに、何故か釣り道具を後部座席に仕舞う伊藤。



 「次に、車の曇りを防ぐデフのボタンを押して、イワシの匂いを車の外壁に匂いを染み込ませます」


 「伊藤君…車の中が凄く魚臭いんだけど…」


 良子のツッコミも虚しく、伊藤は車体のカラーリング変更ボタンを押した。パープルレッドのカラーをした車体は、ブラックとホワイトを着色した見事なイワシの色に変貌を遂げた。



 「最後に海に向かって、アクセル全開で突っ込みます」


 「ちょ、ちょっと!?伊藤君!?車を海に沈める理由なんてないよね!?ねっ!?ぎゃああああ!?」



 良子の叫びと共に、伊藤は車を海に向けて思いっきりダイビングした。激しい水飛沫を挙げて、車は一旦は浮かぶものの徐々にプカプカと沈んでいくのは、傍から見たら水難事故である。



 「大丈夫、海中でも車内には酸素が通るよ。それに」



 伊藤はタイヤ変更ボタンを押し、後輪の二輪から巨大なスクリューが勢いよく回転した。海中でバランスが悪かった車体は、スクリューが動いたことにより水平になり前進する。良子は、空いた口が塞がらなかった。



 「ちなみに、船のスクリュープロペラがどうして後ろについているかは理由があるんだ。プロペラが前と後ろに付いているのを比較すると、後ろに付いている方が燃料の節約にもなるし、流れの遅い所でプロペラを付けるとスピードが出るんだ」


 「あっ、はい」


 いや、それ釣りに関係ある?と思う良子であった。



 「これから釣れるスポットまで、数分で着くよ。それまでは音楽を聴こうよ」



 曲名は、釣りに対する愛が詰まったとされる某アイドルユニットの曲である。女性といるデートなのにアイドル曲を?と疑問に思う方もいるかもしれないが、歌詞を聴くだけで釣りに行きたいという欲求が強いられる名曲である。勿論、良子は車が船となって海中に潜水していることに頭が一杯で、音楽が耳に入ってこない。



 「着いたよ。ここが僕が見つけた釣りのスポットだ」


 「えっ?えっ?どこなのここ?」



 曲が終わったと同時に、伊藤は目的地へ到着した。場所は防波堤の近くらしく、比較的に波が穏やかな流れをしている。普段、堤防の周りにある海水は透明度がなく視界が悪いが、満潮から潮止まりに入る際に海水の透明度が増し、堤防の近くにいる魚は良く見えやすい。伊藤は、この時間を狙ったのだ。



 「いいかい?釣りが上手い人は、『魚が釣れることができた』と言わないんだ。『魚が釣れた』と言うんだ」


 「う、うん」


 「これから、上下にエアーを噴出して車体をプカプカさせて揺れるから気をつけて」


 「そ、その前にさ。伊藤君はこれから何をするつもりなの?」


 「釣りだよ」



 これから何をするのかと聞くのが今更だが、”釣り”と言われた良子はもう訳が分からない状態だった。早くここから逃げ出したいと思うが海中なので、この変人が何をするか見守らなければならない。

 

上下に四か所ずつに穴が空いているエアー噴射で、車体が上下に揺れながら待つこと数分。この沈黙が、彼女にとってどれほど苦痛かは計り知れない。世間話でもしようかと良子が口を開こうとした時、次の瞬間。巨大な吸盤が車のフロントの窓ガラスに吸い付いたのだ。



 「ぎゃあああ!!なにこれええ!!」


 「餌が喰いついたんだよ」



 恐ろしく冷静に応える伊藤は、ムンクの叫びをしている良子の顔に気付いてすらいない。無数の吸盤が車体を埋め尽くし、”何か”によってミシミシと音を立てていく。これは『餌が喰いついた』、ではなく『襲われている』という方が正しい。それは魔の東シナ海を処女航海したハイテク超豪華客船を、絶望の悲鳴で喰いつくされたパニックムービーのような光景である。



 「助けてええ!!」


 「待って。これから地上に差し込んでいた錨から、ワイヤーを引っ張るね」



 これはデートなのか?と疑問にさせるが、本人にとっては至って真面目である。車の後部座席からワイヤー巻き上げ機を出してシフトチェンジする。ワイヤーの逆回転ボタンを押し、巻き上げ機は高速で動いて地上へと引き揚げさせる。だがその間に、車に張り付いている巨大生物は車内をみるみるうちに、圧迫させていく。



 「伊藤君!!伊藤君!!これ死んじゃうよ!!」


 「良子さん。今やっている釣りはね、竿先を海面スレスレまでに巻かないとダメなんだ。そうしないと魚が逃げちゃうよ」


 「これ竿じゃなくて車ね!?私達が乗っている車!?」



 釣りの上手な人とは、ただ目の前にあった釣り道具で行うことではない。プロの釣り人でも、釣れない時は釣れないのである。釣った時に何故そこで釣れたのか、しっかりとポイントを押さえれば釣りの法則を見つけることができるかもしれない。

 初心者である伊藤こそ、何回も行った釣りに考えを考えを重ねた結果の必勝法こそが、この方法である。



 「それじゃ一気に引くよ!!」


 「いやあああ!!やめてええ!!」



 海面上まで上昇したら、一気にワイヤーのスピードを上げるボタンを押す。車は波上を作る勢いをつけて、駐車場まで一直線へと引き寄せていく。車体に張り付く獲物は、巨大な吸盤がガラスに吸い付いてるおかげで、離れようとしない。

 伊藤はワイヤーを巻き上げる上昇スピードを調整するボタンを、離そうとしない。それほど集中して、餌が逃げないように指先に神経を使っているのだ。一方の良子は、ただ泣き叫ぶしかなかった。



 「スクリューからタイヤに交換する。良子さん、これから地上へと出るよ」


 「もういいから早くここから出して!?」


 「…ここだ!!」


 

 勢いつけたワイヤーの回転を、伊藤は急停止させた。その反動により、車は宙に上がり駐車場へと目掛けて飛んで行く。その瞬間を狙って、貯め込んだ海水ポンプを車体の前方下部から飛び出し、噴出させる。これはペットボトルでロケットを作る要素と同じである。中に空気を送り込んでガスを発生させて、水を噴出させる。

 タイミングを間違えれば事故に繋がるが、デートのために何度も練習してきた伊藤に抜かりはない。



 「…成功だ」



 レクサスは、見事に元の場所に戻ったのだ。良子の顔は真っ青であるが。



 「ほらほら!!見てよ良子さん!!大きなタコが釣れたよ!!」



 伊藤がやっていた釣り、それはタコ釣りであった。タコは青物系で海中が鱗で、光物が定番とされている。だから車体のカラーリングはキラキラとさせて、エアーを噴出したのはタコの気を引くため、ユラユラとさせて生きているように見せたためでもある。



 「このタコは数十メートル位はいくなあ、どう伊藤さん?」


 「…何が?}


 「釣りって、楽しいよね」



 煌めく笑顔をする伊藤に良子は両肩を下げて、げんなりしていた。彼女は今更と思っていたが、一つの質問をした。



 「これ、車で釣らなくても良くない?」



 

 後日、経緯は不明だが2人は付き合うことになったのだった。



 


 



 


  


 

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