バカっ

パープルジャンパー

第1話

風呂から上がり、リビングルームへと足を運ぶと

四人掛けの食卓テーブルの1席に座っている妻の後ろ姿が見える。


僕が入ってきた事に気付く気配の無い妻。

(何かに夢中になっているのだろうか?)と僕は、妻の向かい側へと歩みを進める。


妻は本を読んでいる。

活字が縦に並んだ本だ。


僕が全く手をつけない物だ。

妻は読書が趣味で、よく本を読む。

確か、好きな作家がいるみたいだが……誰だっけ?

最近、物忘れが酷い!年を取りたくないものだ。


僕は、妻の向かい側の椅子を引き、腰を下ろす。

そんな僕の動作にも、全く目を向けることなく、読書に集中している。


少しの寂しさと、ほんの少しのジェラシーをおぼえる。

僕以外のものに夢中になるなんて(笑)


昔から、そんな妻の気を引こうと、くだらない話を延々としたものだが、あれから数年、僕は諦めを知った。


僕の中身の無い話より、本の中で起こる出来事の方が、何倍も妻の心を夢中にさせる。

勝てない勝負はしないに限る。


邪魔をして、何度叱られたことか。

もう、妻の機嫌を損ねたくない。



穏やかに過ぎる夜


僕はじっと、妻の顔に見入ってしまう。


どれだけの時間が、たったのだろう?

数分?数十分?数時間?

どれだけの時間でも、僕は妻の…彼女の顔を見ていられる。


世間から見たら、妻はそれほど美人とは言えないだろう。

かと言って、ブサイクかと聞かれたら、全面的に否定しよう。

彼女を妻にした。僕が言うのも何だが、ごくごく普通の容姿だと思われる。


しかし

僕には、最高の女性だ。

この世に、たった1人しかいない、彼女。

普通と言ったが、1人として、同じ顔をした人間はいないわけで、

僕の好きな顔だ。


(一卵性の双子でも微妙に違ってるらしいし……同じ人間はいないよね…たぶん…)


そういうわけで、ずっと時間を忘れて見ていられるのだ。


妻が本を読み終える…その時まで…


ふと妻の顔が上がり、目線が僕に向いた!


やっと僕に気が付いた。

(これは僕の勝ちだよねw)と心の中で、ガッツポーズをとる。


妻は「どうしたの?」と、じっと自分の顔を見ている僕に、疑問を感じたのか、そう言葉を発した。


僕は眉1つ動かさず、そのままの顔で「可愛いな」と答えた。


妻は「はっ!?」と驚いた顔をして「なにが?」と再度、疑問を投げかけてくる。


「キミが」と間を開けず、すっと答えた。


妻は、恥ずかしくなったのか?じっと見つめる僕に変顔をして、おどけて見せた。


僕は、そんな妻の行動が、物凄く可愛らしく見え「可愛いね」と今度は、笑みを含めて言った。


顔を赤くした妻は、この場にいたたまれなくなったのか、開いていた本をパタンと閉じ、立ち上がり、リビングルームを出ていってしまった。


ドアが閉まる寸前に「バカっ」と小さい声が聞こえたのは、僕の勘違いじゃないと思う。

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