流される、流される

雨弓いな

流される、流される

 私の家には、二つのトイレがある。中のトイレと外のトイレだ。中のトイレは文字通り屋内に、外のトイレは庭兼畑に隣接する屋外に存在する。おばあちゃんから相続してこの家に住み始めて以来、この外のトイレの存在を意識することはほとんどなく、たまに掃除をするくらいのものであった。


 私が子供のころは、この家に遊びに来ては、外のトイレをおばあちゃんが頻繁に利用するのを見て不思議に思っていた。おばあちゃんは、嫌なことがあるといつも外のトイレに駆け込み、出てくるといつもすっきりとした顔をしていたのを覚えている。

そのおばあちゃんが死んで、私がこの家を相続することになった時、親戚からも特に反対の声は出ずに、あっという間に話はまとまって、私はこの家に引っ越してきた。

 それからというもの、私は特に外のトイレを利用することもなく日々を過ごしてきた。


 ある日、会社で上司である篠山さんとトラブルがあり、むしゃくしゃした気持ちのまま土日を迎え、その気持ちを晴らすかのように私は畑の草むしりにいそしんでいた。

 私は、嫌なことがあるとぶつぶつと口に出して呟いてしまうことがある。これはおばあちゃんから受け継いだ私の悪い面でもる。

 その時である。急激な腹痛に見舞われた。いつもなら外のトイレは利用しないところであるが、今日はその余裕もなく、外のトイレに駆け込んだ。

 この腹痛の理由も恐らくは篠山さんとのトラブルによるストレスからくるものであろう。

「篠山さんも、いくらなんでもあんな言い方ないじゃない。もうちょっとこっちの気持ちを考えたものいいってものがあるでしょうに……」

 私は、トイレに籠ってトイレットペーペーをくしゃくしゃに握りながらそんなことをつぶやいていた。すると、手元のトイレットペーパーに、急に何か黒い模様が浮き出てくるのが見えた。

「篠山さんも、いくらなんでもあんな言い方ないじゃない。もうちょっとこっちの気持ちを考えたものいいってものがあるでしょうに……」

よく見ると、私がさっきつぶやいた文言がそのまま写し出されている。私は気味が悪くなり、そのトイレットペーパーを慌ててトイレに流した。するとどうだろう、私の篠山さんに対するイライラも消えてなくなっていった。

驚いた私は、新たなトイレットペーパーにまた別の悪態をついてみた

「経理の山田さんも、頭でっかちに白黒つけるのではなく、もうちょっと柔軟に対応してくれてもいいじゃない」

 すると、やはり言葉に出したものとそっくり同じ文言がトイレットペーパーに浮き出てきた。それをトイレに流すと、それまでもやもやしていた気持ちもそっくり流されていく。

 そのことに気が付いて以来、私は外のトイレを大いに活用するようになっていった。思えば、嫌なことがあるたびにおばあちゃんが外のトイレに駆け込んでいたのも、イライラを流してしまうためなのだろう。イライラした気持ちが消えてなくなっていったことにより、私の会社での人間関係も円滑に進むようになっていった。


 そして。外のトイレについて、もう一つ気が付いたこともある。

 嫌な気持ちを流してしまうと、その相手からもその性質が消えてなくなるのだ。

 例えば、篠山さんの言い方がきつい、と愚痴を言って流してしまえば、翌日から篠山さんのきつい口調が改善されているのである。

 そのことに気が付いて以降、私は職場の環境改善のために積極的に会社の愚痴を外のトイレでつぶやいた。


 だがそうはいっても、心根の腐った人間というものは存在しており、いくらネガティブな要素を消していっても、次から次へ嫌な面が浮かんでくる人もいるのである。

 田島部長がその代表格のような人であった。

 私は、ある日むしゃくしゃしたあまり、外のトイレでつぶやいてしまう。

「田島部長なんか消えてなくなればいいのに……」

 すると、いつもは私のつぶやき通りに写し出されるのだが、今日は「田島部長」とだけ写し出された。

 私は不思議に思いながらも、そのままトイレに流してしまった。

 翌日、私は何も考えずに出社したら、篠山さんが部長席に座っている。

「篠山さん、どうして部長席に座っているんですか? 田島部長はどこに……」

「田島……? お前、何を言っているんだ。いくら俺のことが嫌いだからって言ったって、そんな言い方はひどいんじゃないのか」

 私は不思議に思い、部内のいろいろな人に聞いて回ったが、だれも田島などという人物に心当たりはないという。

 私は、昨日自分がトイレに流したもののことを思い出していた。そう、あそこには確かに「田島部長」とだけ書かれていた。

 まさか、私は田島部長の存在そのものを流してしまったのか……。慌てて過去の書類等を調べてみたが、やはり田島という名前の部長が存在した痕跡はなかった。ひやりと背筋を冷たいものが伝っていく。私は、自分の怒りだけで、田島部長を消してしまったのだ。


 それ以来、私は外のトイレを封印している。

 会社での人間関係のイライラは、自分の中で何とか折り合いをつける努力を始めたところ、それまでにないくらい職場環境が良い方へ変わっていくのを感じた。

 人間は心がけ一つで、どうにでも変わることができるものなのである。外のトイレは、そのことを私に教えてくれた。

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流される、流される 雨弓いな @ina1230

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