エスカレーターを駆け上がる男

雨弓いな

エスカレーターを駆け上がる男

 毎朝通勤電車に揺られて大手町へと通勤する。朝のピーク時間帯の東西線は、もうあと一人も乗れない、そんな状況なのに次の駅では必ず何人かが乗車してくる。

満員電車の中では、様々な攻防が繰り広げられる。なんとしてでも座りたい人、絶対にドアの両脇を譲らない人。そんな中、私にも譲れないことがある。電車を降りた後、一番に改札へ向かうことだ。


 いつからだろう。私は毎朝遅刻ギリギリの時間まで二度寝をするようになった。結局、毎日目覚めるのは、出発しなければならない時間の十五分前である。

そこからは、戦場である。急いで顔を洗い、身支度を整えていると、十五分など一瞬で過ぎていってしまう。以前は出発までにもっと時間がかかっていたが、どんどんと作業を効率化していった結果、十五分まで短縮することができた。

 慌てて鞄をつかみ、ドアへ向かう。今日はエレベーターが一階で止まっている。小さく舌打ちをしながら、ボタンを何度も押す。私にとっては、このエレベーターを待つ短い時間でさえも命取りになりかねないのである。やってきたエレベーターに乗り、一階ボタンを押して閉ボタンを連打する。

 駅に着くと、東西線の上りホームまで駆け下りていく。今日も何とか八時三十五分の電車に間に合った。ほうっと息をついて電車に乗り込む。だがしかし、すでに電車は満員である。何とかほかの乗客を押して、自分をドアギリギリのところまで押し込む。十五分も我慢すれば大手町駅に到着する。


 大手町駅に到着すると、私は我先にとエスカレーターへと向かう。憎らしいことに、東西線から地上へ出るエスカレーターは非常に長い。一分一秒を争う私は、エスカレーターを駆け上がる。まったく、暢気に立ち止まっている人々が憎らしく感じる。中には、真ん中に立ったり、大きなカバンを持っていたりして、私の行く手を塞がんとする輩もいる。エスカレーターを駆け上がっていくと、当然そういった人たちにぶつかることになる。だがしかし、私はぶつかったとしても決して謝ったりはしない。ぶつかるような位置に立っている人が悪いのである。


 そうして、エスカレーターを駆け上がると、会社の入っているビルに向かって駆けていく。始業まであと五分。手元の時計で時間を確認する。エレベーターに乗って七階のフロアまで行かなければならないことを考えると、遅刻ギリギリの時間である。

 うまい具合に、ちょうど良いタイミングでエレベーターが到着した。すでに多くの人が乗っていたが、そこを何とか押し込んでエレベーターに乗り込む。この分なら今日も間に合いそうだ。


 オフィスに着くと、始業一分前であった。こちらをじろりと睨む上司を横目に、席へついてPCの電源を入れる。そもそも私が始業時間ギリギリに出社するようになったのは職場環境のせいなのである。上司に睨まれる筋合いはない。


 諸悪の根源は、激務である今の職場環境だ。恒常的に人手不足で、そのくせに業務量は多く、私を含めたスタッフたちは皆毎日のように終電まで残業させられる。

 私は、毎日終電まで働き、家に帰ったら何もせずにシャワーだけ浴びて布団にもぐりこむ。毎日そんな生活を送っていた。当然、趣味などに費やす時間はこれっぽっちも存在しない。休日は、眠るためだけに存在している。

 そんな環境であるから、当然平日の疲労を土日の二日間だけで解消できるはずもなく、月曜日からまたギリギリの状態で出社することになるのである。

 何か土日の楽しみになるような趣味でもあったら、少しは違っていたのだろうか。あいにく、私には趣味と呼べるものもなく、いつからか、何かを好きだと思えることもなくなっていった。


 そんなある日、政府が働き方改革を打ち出し、残業を制限するよう命令が出された。当然、私の会社でもその命令に従い、月四十五時間以上の残業ができないことになってしまった。

 問題は、残業時間は減らすが、業務量は減らさず、人員は増やさない会社の体制である。結果的に、私たちスタッフは、これまでと同等の業務をより短時間でこなさなければならなくなってしまった。

 すると、必然的に業務中のトイレや昼食などささやかな休憩時間が奪われることになり、業務中はいつもの二倍近いスピードで働かなければならなくなる。

 私は、次第に疲弊していき、毎日九時前に家に帰ると、やはりシャワーだけ浴びてそのまま眠りにつくという生活が習慣化していった。


 そして、結局翌朝もギリギリに目覚めて、エスカレーターを駆け上がることになるのである。


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エスカレーターを駆け上がる男 雨弓いな @ina1230

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