第10話 小説家としてのバランスは・・・

 米河さん、あなたは小説家としてこれからもっと作品を世に問うていくべき方です。お酒を飲まれようがどうされようが、それはすべて、芸の肥やしならぬ作品の肥やしとなることでしょう。

 そしてまたあなたは、それができる人であると思っております。

 しかしながら、あなたの場合、その文章が書けなくなったら終わりです。

 あなたの資本は、頭だけでなく、ご両親からいただいた、そのお体です。50歳を超えてなお、基礎疾患も高血圧程度。おおむね健康でいらっしゃる。

 私たちが生きていた頃であれば、50代ともなれば定年、老後をどうするなんて言う間もなく、ぼちぼちとあの世からのお迎えが来ていた時代でした。しかしあなたは、今のこの時代を生きておられるわけです。

 確か、セーラームーン絡みの本で、彼女たちが今のこの時代、つまり、1990年代の日本の東京という場所で生まれ育って来られたのも、戦争のない平和な時代だからこそ、という趣旨で書かれていた本があったと記憶しております。あなたも彼女たち同様、それも、先の大戦が終わって生まれた御両親の子として、それこそ、あなたが生まれた頃のフォークソングではありませんけど、戦争を知らない子どもたちの子どもとして、生を受けられた。

 私にしてみれば、うらやましいことこの上ない話です。

 確かに、いじめ問題をはじめ、子どもたちを取り巻く状況は、私たちの生きていた時代などよりはるかに厳しい様相も呈しています。大人にとっても、何ですか、今どき、セクハラに始まり、パワハラ、マタハラ、アカハラ、アカと言っても社会主義や共産主義とかではなくて、アカデミック、学問関係のことのようですけどね、それに続いてなんとかハラと、まあ、次々と出ていますね、いろいろな問題が。ある意味あなたは、その時代を先取りするかのような活動をされてきたことも、永野さんはじめいろいろな方から、伺っています。それは御立派ですが、戦闘的な言動も多かったと伺っております。私個人としては、喧嘩してもお互い握手して仲直り、そんな子ども社会が戻って欲しいと望んでおりますけれど、あなたのような方に言わせれば、そんなものはいまさら何の役にも立たない郷愁論に過ぎないということになるのでしょうね。寂しい話とか何とか、そんなことを言おうものなら、くだらない情緒論とか。そこについての論評は致しませんけれども、あなたがそうして生き抜いて来られたことで救われた人もいるはずです。

 話は変わりますが、子どもの頃のスーパースターは、大人になってもなお、スーパースターなのです。


 赤バットの川上、青バットの大下、物干し竿の藤村・・・。


 あなたにとって、王貞治選手は今でも、スーパースターですよね。そんな大物ではないと仰せかもしれませんが、そういう問題ではなく、あなたが生きてきたことで少しでも人のお役に立てていたことは、たくさんあったはずです。その人たちの期待を裏切らないように、どうか、これからの作家生活を送って行かれることを、私は、切に願っています。

 プリキュアを観ていらっしゃいますけど、あなたはすでに、父方のおばあさんより長生きされています。おばあさんは、あなたがそのような大人になることを期待されていたとは思えませんけれど、それはそれです。

 生きていく以上、どうか、おばあさんに対して、きちんと生き抜いたと胸を張って言える人生を送られることを、願っています。


 母親がここまで話した後、彼はふと、パソコン上の時計を見た。

そろそろ、15時になる。

「しかし、今日は久々に仕事がはかどったようだな。まあでもそろそろ、酒でも飲みに行ったらどうだ?」


 少年の弁を聴きながら、彼はネット上のSNSサイトに目をやった。


「おお! すばらしい!」

「何がそんなに素晴らしいのかよ?」

 少年の弁に、中年作家がそのページを示してみせる。


「これ見てくださいよ、おじさん。私とね、娘(=隠し子)のみのり。親子かどうかってアンケートをこのSNSでやっておりましてね、早速、票が入りましたよ。ほらほら。もう明らかに、見るからに、親子! これに1票入りました!」

「あのなぁ。いい年になって、何やっているのさ。そういえば君は、母上様に電話を掛けたとき、自分には実は娘がいるとか何とか、言ったそうだな。どう見ても虚偽の、到底信じられない情報に、母上様もさぞやびっくりされただろうに」

「まあそうでしょうね。一応、毎週日曜朝のテレビに出ていると申しておきました」

「アホか君は。まあ、父上はかなり女性にもてたそうだから、君も実は同じような要素を持っていたと勘違いされたかもしれないな」

「その可能性は、限りなく、永遠のゼロ! でしょう(苦笑)」

 中年作家は、そこでまた、グラスの紅茶を一口すすった。氷はすでにそのほとんどが溶けている。彼はペットボトルの残りをグラスに入れ、さらに一口、すすった。

「ちょっと、トイレに行ってきますね」


 ここはホテルの客室。トイレはすぐ目の前。

 戻ってきた彼に、少年が言うにはこうだ。

「君の娘さん、書いた小説が先輩に酷評されたそうだな。実体験が入っていない、頭でっかちだ、って」

「ええ、それは、彼女が克服すべき課題。ですがね、自分ではどうにも経験できないようなことだって、読書によって、経験できるのですよ。私なんて、プロ野球の本を読むことで、どれだけ、人生観を形作ることができたか。そういったところはね、他人風情がどうこう言えるところじゃありませんよ」

「米河さん、あなたの小説がそれなりに読まれているのは、実体験がしっかり入っていることも理由だと思われます。あなたの娘さんですか、その子は、今、プリキュアをやっていて、仲間の同世代の子たちとともに、さまざまなことを学んでいますね。それもまた、大事なのです。あなたの場合は、その逆から入ったようなところがありますけど、それはまあ、卵とニワトリのどちらが先かのような話ですからね。まあ、いいでしょう」

「要は、バランスが大事ってことですね」

「まあ、そういうことだね」


「それでは米河さん、午後3時もかなり回ったようですし、そろそろ、飲みに出られるのではないですか?」

「ええ、まあ」

「岡山で飲めないからって、丸亀で大酒飲もうなんて気で飲み歩くなよ!」

「もちろんです。今日は、鶏肉の名店に行ってみます。骨付き鳥がうまいのだそうで」

「そうか。じゃあ、気をつけて」

「では、お気をつけて。この度は、お誕生日おめでとうございました」

「ありがとうございました」

 30歳代の女性に対し、50代の男性作家は、丁重に礼を述べた。


 中年作家米河清治氏はルームキーをとって、部屋を出た。かの親子もそれに続いて部屋を出た。このホテルは15時がチェックイン。廊下には、掃除係の女性はもういない。彼はエレベーターでフロントへと向った。もっとも、霊界からの来客には、彼はともかく、フロントの係員たちもすれ違った客も気づかない。

 彼はフロントにカギを持ったまま預けることなく、たこ焼き屋の前を通り、鶏肉で有名な居酒屋へと足を運んだ。

 その途上、誰もいないところで、かの親子は中年作家に挨拶し、去っていった。


 この日幽霊の母子を見た人は、彼を除いて、誰もいない。



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