第七十話 半年だけの森
「ねぇ、
「――どこへ、だ」
「清流に大瀑。閑けさの立ち木でもいいし、花が好きなら夏の花をいっぱい楽しめるわ」
森中に思いを馳せる
一つひとつ、噛み締めるように確かめながら文輝は至蘭が姿を消してしまわないように細心の注意を払って会話を続ける。
「俺は、そういうのに明るくないぞ」
「ならもっと好都合だわ。あなたにわたしの好きなものを広められるもの」
あなたはきっと素直な性質だから、見込みがあるわ。
言ってそっと微笑んだ至蘭は勝者そのものの顔をしていた。
その、横顔に問う。至蘭は残酷に微笑んで、そうして文輝に時候の挨拶でもするかのような気安さで死刑宣告をした。
「至蘭。一つだけ訊きたいことがある」
「なぁに、首夏」
「君と一緒にいる、この場所の時間は人の暮らしからは隔絶されている、んだろうな」
「そうよ。ご明察の通り。だから、首夏。わたしはあなたを絶対に帰したりはしない」
ずっと、ここにいるの。わたしと二人でずっと、ずっとここにいるの。
笑みの形をしているのに慟哭しているのだと文輝は視認する。そのぐらい、至蘭の翡翠の双眸は悲しみと怒りを湛えていた。
何があって至蘭は
生きることも死ぬことも出来ないで――それでも数多の祈りを一身に受け、ただ尽くすだけの一生を背負っているのがこんな年端も行かない少女の姿をしていることに胸が痛んだ。偽善の二文字が脳裏に明滅して、自らの都合の為に至蘭を利用しようとしてることを思い出させる。そうだ。これはただの偽善だ。ただの同情で憐憫に他ならない。わかっている。わかっていたから、文輝はその感情を言葉にはしなかった。
至蘭といるこの場所が人間の営みからは隔離されている、という言質を取った後、文輝は自らの職分のことを一旦忘れることにした。ここにどれだけ長く留まっても現実世界に影響を及ぼすことがないのなら、文輝は至蘭のことを知りたいと思った。
「
文輝の前を得意げに歩いて、山林の見どころを一つずつ至蘭が教えてくれる。
この山に咲く花を数えると百種類を超えること。夏と秋の間をこの空間はずっと繰り返しているということ。瀑布の滝壺に潜ると川魚がたくさん泳いでいるということ。その水源である内輪山に降る雪を至蘭は見たことがないこと。
他愛のない話をずっと繰り返した。人間の世界ではないからか、不思議と空腹感も覚えない。夜も朝も飛ぶように過ぎた。何昼夜を過ごしたのか、ひと月かふた月か、あるいはそれ以上か。至蘭の言った通りに秋が終わる頃に爽やかな風が吹いて初夏に戻る。
その繰り返しを何巡もしているうちに文輝はこの空間を作っているのが至蘭本人の記憶なのではないか、と考えるようになった。時間にして半年。季節の移ろいは二つ。朝の時間と夜の時間の切り替わりが極端に早く、至蘭が文輝に見せたいものが何なのか、という答えを探っている。
ただ、至蘭本人にはその自覚がないらしく、婉曲に伝えたいことを確かめても彼女は不思議そうに首を傾げるだけで結論には至らなかった。
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