第五十一話 初校尉の仕事

「おや? 初校尉しょこうい殿の仕事なのだろう?」

「えっ? えっ?」


 そこまで言われて、文輝ぶんきは漸く華軍かぐんが言っているのが文輝の「偽善」のことであると思い至った。兵部兵部軽歩兵隊 けいほへいたいの執務室には茶房さぼうという下働きの女官がいる。彼女たちの仕事に口を挟んで、文輝の思う善を成してきたことをどうして華軍が知っているのか。それは今年の春に始めたばかりで、当然、死に別れた筈の華軍が知ることではないだろう。

 それでも。

 華軍は知っている。知っていて、文輝の思う正しさについて今なお問うている。

 文輝の四年は何も生まなかったのだろうか。否、そうではないのだろう。文輝の思う正しさを成していることにどのぐらい責を負えるのか、華軍は試している。その問いに答えるにはまず文輝が胸を張らなければならない。

 だから。


「華軍殿、俺は仕事だから姑娘くーにゃんたちの手伝いをしているのではありません」

「ならばお前はどうして水汲みをする」

「関わり合いになりたいから、と表現するしかないのですが人と人との関係など程度の違いはあれど皆そのようなものでしょう」

「気配りの出来る上官でも目指しているのか」

「俺はそんな幻想を抱くほど、大した右官うかんではありません。ですからやはり関わり合いになりたいから、なのでしょう」


 茶房たちの仕事を手伝うことで自己表現をしている、としか言いようがない。そこにいて、誰が何を思って、何の仕事を何の為に成しているのか。その一つひとつを拾うだけの時間的猶予を人は誰も持っていない。それでも、人は人と関わり合って社会を形成する。そこに意義を見出したいのなら、まずは「自ら」の定義を自ら行う必要がある。誰かと誰かの間でしか成り立たない「認識」の世界を求めているのなら、関わり合いを持つことでしか存在することの証明は出来ないだろう。

 その点について、怪異と人との間に差があるのか。

 そのことを問おうにも文輝はまだ怪異の理を知らない。

 かつて人であった、今は怪異である華軍を通して、その解を得たいと思うのは分不相応だろうか。

 そうだとしても、文輝の手の中に残った数少ない糸の先にいる華軍の手を離すことだけは出来ない。

 利用したと蔑まれてもいい。品のないと嗤われてもいい。

 闇の向こうで見えもしない糸の先を手繰って、手繰って、手繰って手に入れるものを切望している。

 だから、文輝は胸を張った。

 名を預かったあるじとして恥じない自分である為に文輝は、華軍の前で胸を張った。


「華軍殿。俺は自分の意思でここにいます。そして、自分の為に『信天翁あほうどり』を探したいのです」


 誰かの為ではない。沢陽口たくようこうの為でも、委哉いさいの為でも、白瑛びゃくえいの為でもない。国の為でも、何の為でもない。文輝自身が答えの糸口を掴むのに必要な道だと思ったからここにいる。何か不都合が起きても、決して責任転嫁の無様な泥仕合を演じない。

 だから、伝頼鳥てんらいちょうを飛ばしてほしい。

 言った文輝の表情は硬かっただろう。それでも、華軍は春の宵のように穏やかに微笑んで承る旨を返してくれた。


「――いい顔だ。君もそう思うだろう、副官殿」

「文輝。貴様、いったい『何』と契約を交わしたのだ」


 子公しこうの声もまた硬い。彼は華軍の向こうに未知を感じている。

 多分。

 文輝は人理を全て知っているわけではないから、推測することしか出来ないし、まして怪異の理など知る由もないから当然の帰着点になるが、多分。文輝が華軍の名を読んだあの瞬間に文輝の記憶と華軍の記憶とが交錯したのだと考えるのが一番道理に適っている。華軍の二十数年間の記憶が一瞬に流れて消えた。あのとき、文輝の記憶もまた華軍の脳裏に流れていたのだろう。

 だから華軍が知っているのだとすると一番違和感がないが、文輝の目を通してみたものを、華軍が「見た」のだとすると、それはやはり人理では到底説明など付かない。

 子公はそれを察して溜息を吐いている。

 彼の嘆息を聞いて、遅ればせながらそのことに思い至った文輝は青くなったり白くなったりと忙しなかったが、結局のところ開き直るという原初の答えに帰着した。


「華軍殿。『武官諸志ぶかんしょし』を百回諳んじた感想を楽しみにしています」

「皮肉を嗜んだぐらいで胸を張れるのなら、お前はまだまだ子どもだな」


 言って、華軍は委哉に向けて硯箱と大量の料紙を要求した。間を置かず、嘴の店員がそれを持ってくる。どこにこれだけの料紙があったのか。いつ運んだのか。問い質したいことは幾つもあったが文輝はそれらを一旦全て飲み込むことを選んだ。

 そして。

 子公が諳んじる文面を華軍がすらすらと書き綴り、そうして一羽目の伝頼鳥を飛ばす準備が整った華軍が言う。


「さあ、楽しい鳥追い祭の始まりだ、小戴しょうたい

「楽しくはないと思いますが」

「俺の『目』は貸してやった。使い方は分かるだろう。存分にお前の動体視力で追え!」


 役割分担は成った。あとは文輝が持論を実証して「信天翁」の居場所を突き止めるだけだ。

 今日はいずれ暮れる夜の中、見え続ける鳥の軌跡を追うという戦いと向き合うことになるだろう。持久戦だ。心理戦でもある。それでも、必ず成果を勝ち取るまで諦めないと誓って、文輝は晴天を見上げ、華軍の諳んじる「武官諸志」の前文を同じように胸の内で復唱するのだった。

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