第二十話 異国の湯場
東山の麓から湖岸までの平野部を切り取った匣のような城郭にも貴賤は等しく存在する。
文輝は安寧の岐崔で育った。
岐崔の城下にも貧困街はあっただろうが、沢陽口のそれとは決して比べられるものではないだろう。飢えて死ぬものも飢えた末に肉親の遺骸を食すこともない。
その、苦く苦しい風景が沢陽口の路地裏の景色に折り重なって映る。
衣食足りて礼節を知る、という言葉がある。
文輝が道の正しさなどという高尚な概念を持て余しているのも己が
城下の延長、などと言ってもこれが現実だ。表通りを一本逸れるだけで人々の暮らし向きは一変する。怪異の発生がなければもっと賑わっているのだろうか。そんなことを束の間考えたが、そうであれば文輝がこの路地に立ち入る正当な理由はない。
衣食足りて礼節を知った文輝に出来ることは世の中の歯車として大なり小なり噛み合って動き続けることだけで、今、まさにそれを求められているのだとひしひしと実感していた。
文輝たちを先導して
帰り道も案内してもらわねば迷うだろう。その確信を植え付けるのに十分なだけの複雑さを伴った道順に閉口しながらも、文輝たちは濡れた右服を煩わしく思いながら歩き続けた。
委哉が立ち止まり、後方を振り返ったのは袋小路となっている、路地のどん詰まりだった。
西白国の一般的な建造物の範疇である石組みで作られた総二階の民家。その軒先に湯屋の目印である黄色の旗が揺れている。建物の中に三つの湯場があり、男女別の交代制で一日中、いつ来ても湯が浴びれるのだと委哉が説明した。
「湯代は中で?」
「こんなところで商売をする奇特な人なんていないのじゃないかな。少なくとも、僕が湯代を支払ったことはないから、相場すらわからないよ」
こんなところに来てまで遠慮をすることなどない、と委哉は断言して文輝と
そんな真っ当な文句を言っていられるのが「正常な日常」の中だけだったと知るのは湯屋の木戸をくぐってすぐのことだった。
外観はどこからどう見てもただの石造りの民家だ。なのに。湯屋の中は想像以上に広く、豪奢な様相をしている。木材が敷かれた床は美しく磨き上げられており、建屋の奥が一見では視認出来ない。壁土は黒く丁寧に塗られ、落ち着いた雰囲気を醸し出していた。
束の間、見入った文輝の隣で子公が眉根を寄せる。
番頭と呼ばれた管理人が一段高い床板の上の手前で軍靴を脱ぐことを要求してくる。その横顔には人間のものとは一線を画した「耳」が生えており、彼もまた怪異であることを言外に物語っていた。
その番頭の指示に従って、靴を脱いでいると子公が今にも泣きだしそうな顔で湯屋の中をぼうと見ているのに気付いた。子公。呼ぶと彼は弾かれたように文輝を見て、そうして一時の感傷の沼から両足を引き上げる。
「文輝、怪異と言うのは他国の文化を解するのか」
「
「ごく限られたものしか立ち入れなかったがな。よく似せたものだ」
その紫水晶の向こうに映っている景色を文輝は知らない。
知らないが、それゆえに知っている。どれだけ彼が否定しても、子公は青東国の生まれで、そして彼は青東国の湯場に立ち入れるだけの高貴な身分だった。その全てを棄てた、と子公は何度も言うが、それは多分子公が彼自身に言い聞かせているだけなのだろう。
文輝は九品
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