深渕の踊り子
K
大菩薩の嶺
今から九百年ほど昔の話である
後三年の役と呼ばれる奥州征伐に従軍した一団が帰路についていた
漆黒の山中をその軍勢は松明の灯りを照らし進んでいる
戦には大いに勝ったが、道なき道を進む一団の疲れは隠せない
各々の甲冑が擦れる渇いた金属音が、この山の中になおのこと重い
「
夜の闇に包まれた山中に道しるべはあるはずもなく
自らがどの方角へ向かっているのかも見失う
立ち止まればたちまち黒い闇に飲み込まれてしまうのではないかという感覚に陥る
馬上の武者は一団の先頭に赴くと行軍を
「おののくな、我らが領内はまもなくぞ」
「
「
「
「ならばよい、我が先頭に立とう、ゆくぞ」
武者は馬を降りると従者に預け、自ら松明を手にし進み始めた
「前へ!」
武者の後に続く者たちが口々に号令する
その矢先だった、
武者は早速その足を何故か止め、前方の闇に松明を向けると目を凝らし始めた
「・・・先の方に何かおるぞ」
「誰か!こっちへ参れ!」
武者の後ろから勢いよく数名の足軽が、それに向かって駆け出していく
こんな山奥、しかも漆黒の夜中に道なき山中、足軽たちの松明が囲むと
一人の男を暗闇に照らし出した
足軽たちは何やらその男と問答の末、武者の元へ戻ってきた
「
「何、樵とな。さても我ら剛の衆でありながら助けるべきは民にもかかわらず、その民に助けを乞うとは武門の恥辱とあれど、もはや是非にもあらず、山の者ならば目も利くであろう。案内とあれば尚のことそれは有難い、では頼むと伝えよ」
闇夜の山中、突然現れた樵を先頭に一団は山の中を進むと、不思議なことにいとも簡単に目的地であった導となる峠に辿り着いた
一団は沸いた
「礼を遣わすゆえ、樵をこれへ連れてまいれ」
武者は再び馬上に自らを整えると、先にいる樵を呼ぶように伝えた
傍らにいた足軽が前方の樵の元へ駆けよると、また不思議なことが起きた
皆の目の前で樵がまるで霧が飛ぶように消えてしまったのである
このことに樵の周囲にいた者達は大いにどよめいた
「不思議なこともあるものよ。あの樵は我らを窮地よりお救いくださった神の化身に間違いあるまい。これぞ八幡大菩薩のご加護というものである」
武者はそう言って八幡大菩薩の加護に感謝をしたという
武者の名は、後の甲斐武田家の始祖、源義光。またの名を新羅三郎義光という
現在の山梨県甲州市と北都留郡丹波山村に跨る一帯の連嶺を大菩薩嶺と呼ぶのは、この新羅三郎の逸話が起因とも云われている
この大菩薩嶺の中に
鶏冠山とは、山梨県甲州市にある黒川山周辺の総称であり、その標高は一七一〇m。山梨百名山の一つであり、東京の水を賄う多摩川の源流(水源)である
鶏冠山の読み方については「けいかん」「とさか」と二通りあり、どちらも間違いというわけではないようであるが、ここでは「けいかん」とさせてもらうことにする。
深渕の踊り子 K @mk-2K21
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